投稿者「Katsuyoshi Takahashi」のアーカイブ
牧師コラム 『とこしえの神の愛』 2017年11月26日
牧師 高橋勝義 |
聖書の冒頭には「初めに、神が天と地を創造した(創世記1:1)」と記されています。
神が造られた世界を見たダビデは、「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。(詩篇8:3~5)」と驚きの声とともに創造主なる神をほめたたえています。
人は、誰でも自分の存在を認めて欲しいと切に願っています。
しかし、私たちは自分を正しく評価してくれない社会や人に対して、失望し、怒りや恨み、そして、憎しみと妬みを持ちます。これが、心を閉ざしたり、あるいは攻撃的な行動になったりします。
これらは、どちらも、健全ではありません。
ところが、創造主の神は、いつもあなたを顧みて下さる(注目して下さる)お方です。
この神の愛に触れたダビデは、驚き、感激し、自分という存在をこの神の愛によって受け入れることが出来たのです。
ですから、「栄光と誉れの冠」を与えて下さっていると表現したのです。
ダビデが感じた神の愛は、創造の初めから、今に至るまで、これから先も全く変わることなく、国境を越え、人種を越え、分け隔てなく私たちに注がれています。
では、私たちは、この神の愛をどのようにして知ることが出来るのでしょうか?
聖書は、『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)』と語っています。
神の愛のしるし、これが、イエス・キリストであり十字架なのです。
牧師コラム 『恐れるな、信じなさい』 2017年11月19日
牧師 高橋勝義 |
自分の力ではどうすることもできないことが起った時、将来に希望が持てない時、私たちは、恐れと不安に襲われます。ひとり娘が死にかけていた会堂管理者のヤイロは、イエス・キリストにすべてを託し、家まで来て下さるようにお願いしました。
しかし、イエスが彼の家に向かおうとすると、群集が押し寄せ、そのどさくさにまぎれ、十二年の間長血をわずらっていた女が「(イエスの)着物に触ることでもできれば、きっと直る(マタイ9:21)」と信じてイエスの着物に触ったのです。
すると、その女の病は直りました。その時、「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。(ルカ8:49)」との悲しい知らせが届きました。
イエス・キリストは、これを聞いてヤイロに「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。(ルカ8:50)」と語り、彼に信仰に立つように促したのです。
死んだ娘が生き返る…どう考えてもあり得ない事です。
ヤイロはイエスのことばを信じ、家にお連れしました。
人々はみな、娘のために泣き悲しんでいましたが、イエスは「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」と言われたのです。
しかし、人々は、イエスをあざ笑いました。
そして、イエスが「子どもよ。起きなさい。(ルカ8:54)」と命じると娘は生き返ったのです。ペテロが『あなたがたの信仰と希望は神にかかっている(Ⅰペテロ1:21)』と語っている通りです。まさに、『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない(ローマ9:33)』のです。
これは、信仰による約束です。
牧師コラム 『いと高き神の子』 2017年11月12日
牧師 高橋勝義 |
悪霊に憑かれている男は、イエス・キリストに出会うと「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。(ルカ8:28)」とひれ伏し、大声で叫びました。
この男を支配している悪霊は、イエスが、どんなお方なのかを知っており、イエスを非常に恐れていることが分かります。そうでなければ、「お願いです。どうか私を苦しめないでください。」などと言ったりはしません。また、悪霊は、イエス・キリストがこの世に来られた目的をも知っていました。
聖書は、私たちの姿について「罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊(悪霊)に従って、歩んでいる(エペソ2:2)」と記し、その結果「罪から来る報酬は死です(ローマ6:23)」と語っています。
しかし、これだけでは終わりません。この次に続く御言葉が、とても重要になってきます。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ6:23)」。
イエス・キリストは、私たちを罪の支配(悪霊の支配)から解放するために、十字架で身代わりとなって死に、三日目によみがえり、人間にとって最大の恐怖である【死】を打ち破られたのです。
それ故、イエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちを頂き、滅びから救われ、新しいいのちに生きる者へと変えられるのです。
これらすべては、私たちへの神からの賜物(プレゼント)なのです。
十字架は、罪の支配(悪霊の支配)から私たちを解放する力です。
この目的のために、『いと高き神の子』であるイエス・キリストは、この世に来られたのです。
牧師コラム 『預言者ヨナの説教』 2017年11月5日
牧師 栗原延元 |
前回(10月1日)はヨナが魚の腹の中から、彼の神、主に祈った祈りのことばを学びました。今回は、魚の腹の中から陸地に吐き出されたヨナがニネベの町に行って、主のことばを伝えたヨナの説教の働きとその結果について学びます。
当時のニネベは、行き巡るのに三日もかかるほどの非常に大きな町でした。12万人以上の人間と数多くの家畜とがいました。その町の人々にヨナは歩き回りながら「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と叫んだのです。悪と暴虐が町中にはびこっていたニネベの町でしたが、ヨナの宣教のことばによってニネベの町の人々は、こぞって神を信じ、悪の道から立ち返り、暴虐な行いを悔い改めました。
主なる神はニネベの町の人々が悪の道から立ち返るために努力しているのをご覧になって、彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直して、そうされなかったのです。
ヨナの説教で悔い改めたニネベの人々をイエスは称賛しました。 (マタイ12:41) そして、〈ここにヨナよりもまさった者がいる〉と、ご自身が誰であるかを明らかにするのです。まさにイエスこそ、神が世を救うために、天から遣わされたお方なのです。
2017年9月28日 万石浦仮設支援 第171回
日時:2017年9月28日(木)
場所:渡波万石浦仮設集会所
参加者:20名
奉仕者:10名(仙台教会8名、石巻教会2名)
この日は、石巻支援には珍しく雨模様の天気となりました。
仙台を出発した私たちの車は、ETC泉インターが閉鎖されていた為遠回りをさせられ、石巻到着が、30分程遅れてしまいました。その間、仮設の集会所では、石巻在住の高橋先生御夫妻がテーブルセッティングを済ませ、来会予定者の送迎をして下さっていました。
仙台からの奉仕者が到着した時には、8名ほどの方がすでに談笑されていました。
(私は、家庭の事情で、このところ支援活動に思うように参加できずにいますが、万石浦仮設へは震災後、数多く通わせて頂きましたので、思い入れの残る場所です。見慣れたお顔があるとほっとします。)
復興住宅やご自宅、仮設等から20名の方が集って下さいました。
真知子先生の明るい笑顔での挨拶に始まり、明美先生指導で季節のお魚名を入れた歌を歌いながらの体操に続いて、「幸せなら手をたたこう・四季の歌・青い山脈」と馴染み深い曲を歌いながら、頭と身体を動かします。特に青い山脈は、皆さん青春時代に戻って、はつらつとした笑顔で、精一杯歌っておられました。メッセンジャー栗原先生も「古い上着をさようなら…」がとてもお気に召したようでした。
この日のお話は、石巻蛇田出身の人権弁護士布施辰治氏についてでした。
キリスト教精神に基づいて、明治から昭和にかけて、不当な搾取と虐待、差別問題に苦しむ人々の為に働いた方だそうです。特に、当時、朝鮮人と言われた人々の為に働き、韓国から建国勲章を受けたそうです。
石巻が、こういう人を生み出した事をあまりご存じなかった様子だった皆様は、故郷をさらに誇れる気持ちになれたのではないでしょうか。
嬉しいお話しの後は、お食事をしながらのお交わりです。
仮設支援が始まった頃、私たちに採れたてのワカメを分けて下さったり、手作りのブローチを下さったりした方と、お話しすることが出来ました。
松島の方で暮らしておられる息子さんに呼ばれ、地元を離れる決心をされたこの方は、仮設を出る時、住んでいた部屋の前に桜の苗木を植えて行かれたよそうです。
石巻に来る時は、子どもが小さい時から家族ぐるみでお付き合いをしていた方が送迎をして下さるそうで、週に何回か万石浦仮設の集会所を訪ねては、仲間と話す時を大切にしておられます。新しい土地で友人を作るのは、難しいそうです。
万石浦仮設に入っておられる方は、もう少なくなっています。
けれど集会所は、いつでも使えて、気がねなく行ける場所として、散り散りになった方々の大切な場所になっている様です。
いつか、この場所が名無くなってしまったら、どんなに寂しいでしょう。
イベントがあると沢山の方々が集まって下さる石巻教会です。
これからは、毎週の礼拝やお茶っこ会等を利用して、親交を繁く場として下さってもいいと思います。
礼拝は、少し慣れないかとも思いますが、高橋先生が普段と違う背広に着替え、やさしく話す様子や心を込めて奏楽されている明美先生の様子は、とても暖かく礼拝堂の中にいるだけでほっとできるのではないかと思います。
震災という苦しみを共に過ごして来た友人との絆を、これらも石巻教会を中心に繁いで頂ければと願います。また、これから都会に出て行くかもしれない若い方々に、本当のキリスト教をお伝えする必要も感じています。
キリストさんと呼び、キリスト教を良きものと思って下さっているだろう石巻のこども達が、おかしなカルト集団の巧な誘いに捕まることのない様に、若い方々にお伝えしていく術はないものでしょうか。お祈り下さい。
牛久洋子
牧師コラム 『あなたの信仰はどこにあるのですか』 2017年10月29日
牧師 高橋勝義 |
イエス・キリストとその弟子たちは、舟で湖を渡ろうとしていました。
舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれたのですが、そこに突然、突風が吹き荒れ、弟子たちは水をかぶり危険になりました。
弟子たちは、イエスを起こし「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と必死に助けを求めたのです。
そこで、イエスは、起き上がり、風と荒波とをしかりつけました。
すると、風も波も収まり、湖は穏やかになったのです。
イエスは、弟子たちに『あなたがたの信仰はどこにあるのです』と問いただしました。
舟には、この湖で漁をしていた元漁師が4人も乗っていました。
しかし、湖を熟知している彼らでもどうすることも出来ない突風がやって来たのです。彼らの経験や知識は、全く役に立ちませんでした。
それどころか、死の危険を感じ、慌てふためいたのです。
信仰は、生活のただ中で働かせてこそ、力になるのですが、残念ながら、肝心な時に彼らの信仰は働かなかったのです。
弟子たちは、イエスと寝食を共にしていましたから、イエスの歩みのすべてを日々見ていました。にもかかわらず、イエス・キリストというお方がどのようなお方なのか、分かっていなかったのです。
『あなたがたの信仰はどこにあるのです』は、ご自身のことを分かっていないことへの嘆きなのかもしれません。
幸いにも、弟子たちは、イエスがおられることに気付き、助けを求めました。
「ことばで、嵐を鎮めるお方」に信頼して歩むならば、たとえ、あなたの日々の暮らしの中に大嵐が襲って来たとしても、まことの神イエス・キリストがあなたを助けて下さいます。
牧師コラム 『神の御心を行う』 2017年10月22日
牧師 高橋勝義 |
イエス・キリストは、ご自分に会いに来た母と兄弟に『わたしの母、わたしの兄弟たちとは、神のことばを聞いて行う人たちです(ルカ8:21)』と語りました。
一見すると、愛のない、思いやりのない言葉のように聞こえてしまいます。
しかし、マルコの福音書3章35節で『神の御心を行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです』と語っているように、ここでは、信仰を持つ者同士の関係について語られたのです。
そして、そのポイントは、[神の御心を行う]ことです。
イエス・キリストは、父なる神の御心を行うためにこの世に遣わされました。
その御心について、『事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネ6:40)』と語っています。
人は、まことの神から離れ、自分の願うままに生きています。
聖書は、その行き着く先について『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)』と語っています。
愛なる神は、滅びとさばきからすべての人を救うために、イエス・キリストをこの世に遣わし、すべての人の罪の身代わりに、十字架で彼を処罰されたのです。
この良き知らせ(福音)を信じる者には、みな永遠のいのちが与えられ、イエス・キリストがよみがえったように、終わりの日によみがえる約束をくださったのです。
神の御心は、イエス・キリストの十字架によって成し遂げられ、その恵みを受けた者に引き継がれ、御心を行う者へと変えられていくのです。
2017年10月5日 バイパス東仮設支援 第170回
日時:2017年10月5日(木)
場所:バイパス東仮設
参加者:11名
奉仕者:仙台教会:8名、 石巻教会:1名
秋の深まる三陸道を走り抜けて石巻稲井の仮設につく頃、穏やかな秋風が麦畑を吹き渡っていました。集会所では、参加者の方々が集まって、わたしたちを待っていてくださいました。そんな中、風邪が長引いている方、早朝から牡蠣剥きの仕事についている方などお休みの方々のことが案じられました。
早速、今日のクラフト「ポシェット」作りに取り掛かりました。10月と11月、2回に渡って行なうことになっています。秋らしい茶色や深緑の葉っぱの模様の生地、そして幾何学模様2種類から選んで頂きました。今回も4台のミシンを使ったことで、作業が早く出来るようになり、約2時間かけて今日の工程が終了しました。残りは、家での宿題となりました。出来上がりが楽しみです。
集中して縫い物をした後は、コーヒータイムで、ほっと一息ついていただきました。
その後、スウェーデン人「レーナ・マリア」さんについてのお話しを聞いて頂きました。生まれながら、両腕欠損、左脚が右足の半分の長さしかないという原因不明の障害を負って生まれてきたレーナさん。まず、CDでその美しい歌声を聞いていただきました。
レーナさんは、「たとえ腕がなかろうが、人には家族が必要だ」と言う両親のもと、愛情いっぱいの家庭で育てられました。また小さい時から教会の聖歌隊で歌い、大学では音楽を専攻し、卒業後はゴスペル・シンガーとして活躍しています。お母さんはこう言っています。「レーナは、時々、少し不便だと言うことはありましたが、自分の体の障害のために、悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もありませんでした。町や公園に出かけても、堂々と誇らしそうに歩いていました。・・・彼女を見ていると、自分が小さな問題で不満を言ったり悩んだりするのが恥ずかしくなると多くの方々から言われてきました。これは、初めから神様がレーナと共にいて下さりあの子を支え、生きる力と喜びをくださったからです…娘を通じて、神様は、すべての人は等しい価値があるという真理を教えてくださいました。」
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 イザヤ43:4
最後にみんなで、御言葉を読み、「アメージング・グレース」を歌いました。大きな声が集会所に響きました。
この支援のために祈りと尊い捧げものを持って支えてくだっている兄姉に神様の祝福が豊かにありますように。心から感謝して。 (吉田真知子)
牧師コラム 『聞き方に注意しなさい』 2017年10月15日
![]() 牧師 高橋勝義 |
話し上手な人は、他人の話を聞くのも上手とよく言われています。
しかし、聞き上手が、必ずしも、相手の真意を正しく理解できているどうかまでは分かりません。ここが肝心なところです。
イスラエル民族の指導者たちは、イエス・キリストの話を聞きに出かけて行きました。その彼らに対し、イエス・キリストは、彼らが言葉巧みにはぐらかすので、『聞き方に注意しなさい(ルカ8:18)』と警告するのです。
なぜなら、まことの神の前では、『隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはない(ルカ8:17)』からです。
まことの神の御言葉を聞くという事は、神が自分に何を語っておられるのか、真摯に向き合い、その神に信頼し、従う歩みをすることなのです。
そうした神に従う日々の暮らしの中で、人は、神の愛と恵みを味わい知るのです。
そして、これら一つ一つの積み重ねが、やがては、大きな祝福へとなっていくのです。
では、具体的にはどうすればよいのか。預言者イザヤは、まことの神の思いをこう語ります。「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。(イザヤ57:15)』」
つまり、心砕かれ、へりくだることこそが、神の御言葉を聞く時の姿勢なのです。
心砕かれ、へりくだるとは、神の前に、自分の弱さ・無力さ・足りなさを素直に認め、神に助けを求めることです。そうすれば、神が、へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かして下さるのです。
この約束が、あなたの中で大きな力になるのです。
【お詫びと訂正】
2017年5月28日の「牧師コラム」で「石巻出身の漫画家、石ノ森章太郎の代表作に『仮面ライダー』があります。」と記載しました。
石ノ森章太郎氏の出身地は、「登米市である」との指摘を受け、確認したところ、確かに「登米市」でした。しかも、登米市には、「石ノ森章太郎ふるさと記念館」があることも分かりました。
私の思い込みで、間違ったことを記載し、誠に申し訳ありません。
ご指摘して下さった方に、心から感謝します。
牧師 高橋勝義 






