牧師 高橋勝義 |
〔申命記5章22~33節〕
かつて神は、火の中からイスラエルの民に語りかけられました。民は、この神の御声を聞き、自分たちは死んでしまうと思い、モーセに「あなたが近づいて行き、私たちの神、主が言われることをすべて聞き、私たちの神、主があなたにお告げになることをすべて私たちに告げてください。私たちは聞いて行います。」とお願いしたのです。神はこれを聞き、民に自分たちの天幕に帰るように言い、そして、「あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。あなたがたの神、主が命じられた道をあくまで歩み続けなければならない。」とモーセを通して命じられたのです。それは、イスラエルの民が幸せになり、所有地で長く生活するためです。
ところでイエス様は、このようなたとえを話されました(マルコ4:1~20)。ある人はみことばを聞いても心を閉ざしていて、すぐにサタンがみことばを忘れさせてしまう。また別の人は、みことばを聞いてすぐに喜んで受け入れるが、困難や迫害が起こると、すぐにぐらついて離れてしまう。さらに別の人は神のすばらしい知らせを聞き信じるが、この世の思い煩いや、富、そのほかいろいろな欲望にみことばがふさがれ、実を結ぶことができない。これらは、私たちの姿を見事に言い表しています。しかし、みことばを聞いて受け入れ、成長する人は、三十倍、六十倍、百倍の実を結びます。ですから、私たちは自分の心の中の関心事は何か、吟味する必要があるのです。
右にも左にもそれない歩みとは、「主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ(詩篇1:2)」歩みであり、その人は「時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える(詩篇1:3)」と約束されています。
牧師 高橋勝義