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〔詩篇8:3~9、144:1~4〕
今日はダビデのため息から漏れ出たような信仰告白を見ていきたいと思います。
彼は夜空に輝く月や星を眺めながら〈人とは何者なのか〉と呟き、詩を作ります。それは神によって天地が造られていることを信じる信仰から生み出されているのです。
「あなた(神)の指のわざである天を見、あなたの整えられた月や星を見ますのに、人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは」(詩篇8:3~4)
一方でダビデは自分の生涯を省みるとき主なる神は、私を守る「盾」であり、私の身の避け所であることを思いながら、人とは何者なのかと呟くのでした。「主よ。人とは何者なのでしょう。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです」(詩篇144:3~4)としながらも、虚無感に陥ることなく神を賛美するのです。〈ほむべきかな。わが岩である主。〉と。それは〈あなた(神)は、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉の冠をかぶらせられました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、〉と、人の使命が何であるかを知っているからでした。「何のために人は生きるのか」人生の真のゴールに向かって歩んでいたからです。神の栄光のために生きる人生は、何と幸いなのか、八十路をむかえた私の呟きです。