牧師 高橋勝義 |
〔民数記32章1~42節〕
イスラエルがいよいよヨルダン川を渡り、約束の地に入ろうとしていたときのこと、ガド族とルベン族はモーセと祭司エルアザル、族長たちに「しもべどもがこの地を所有地として賜りますように」と願ったのです。それは彼らが多くの家畜を持っており、ヨルダン川の東の土地は家畜に適した場所であったからでした。しかし、これを聞いたモーセは怒り、「どうして、これから戦いに向かうイスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか」と問い詰めます。40年前、彼らの父たちが約束の地の探索で、イスラエルの民の意気をくじいた同じ過ちを繰り返すことになるからでした。すると、彼らはモーセに「私たちはここに、家畜の囲い場を作り、妻子のために町々を建てます。しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進み、それぞれがその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。」と誓ったのです。
このことばには、彼らの覚悟と同時に、残す妻子と家畜を神が守ってくださるという信仰がなければ、簡単に口にできることではありません。周りの国々は、戦士がいないとなれば、すぐに攻めてきます。彼らは、このような危険があることを十分承知し、すべてを神にゆだねる信仰に堅く立ったのです。聖書に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)」とある通りです。
詩篇の作者も「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者をあなたはお見捨てになりませんでした。(詩篇9:10)」と告白しています。
牧師 高橋勝義