今日のメッセージ 『神とともに歩む人生』 2026年2月15日

 牧師 高橋勝義

〔民数記34章1~34節〕

 神は祭司アロンに「あなたは彼らの地で相続地を持ってはならない(民数記18:20)」と語りました。しかし、レビ人にも住む場所は必要です。それゆえ、神はモーセに「あなた方の相続地のうちから、居住のための町々をレビ人に与えよ」と民命じるように告げられたのです。そして与える町々は大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならないとされました。さらに、誤って人を殺してしまった者が逃れることできる逃れの町」を定めるようにと命じました。これは、血の復讐を防ぐためであり、何より、神が与える約束の地は、主である神自身がそのイスラエルの子らのただ中に宿っておられのですから、その土地を汚さないためなのです。

 宿るとは、生けるまことの神がともにおられることです。時が満ちて、神は、このことを具体的に見える形にされました。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエル(神が私たちとともにおられる)と呼ぶ。(イザヤ7:14)」と預言されているとおり、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。

 神が人となってこの世に来られ、罪に満ちたこの世(私)をきよめるために、この方が、ご自身のいのちを私たちの罪のためにささげてくださったのです。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ55:9)」とあるように、神のなさる不思議な御業であり、到底、人間には思いもよらないことです。その愛には、本当に驚かされるばかりです。

 私たちとともにいてくださるイエス様を喜び、このお方を信頼して歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『イエス様の愛を祈り求めましょう』 2026年2月8日

 牧師 高橋勝義

〔民数記34章1~29節〕

 通常、領土の境界線、つまり、国境は隣接する国の力関係で決まることがほとんどです。それゆえ、国境は、強力な権力者が起こるたびに変わります。ところが約束の地カナンで、神がイスラエルに与えようとしている相続地の境界線は、神ご自身が定められました。しかも、その境界線の位置について、神はこと細かく指示し、その相続地を受け継がせるイスラエルのそれぞれの部族の長も選ばれたのです。

 アブラハムが信じた主なる神は、天地万物を創造された神(創世記1:1)であり、この世界を支配しておられるお方ですから、境界線を決めることができるのです。そして、神から与えられた相続地で、イスラエルが、神の教えに聞き従い、神の民としての歩みをすることで、地上のあらゆる民が、このお方こそが生けるまことの神であり、ほかに神はいないことを知るようになるのです(Ⅰ列王記8:60)。これが、イスラエルに与えられた大切な使命でした。

 イエス様が「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります(ヨハネ13:35)」と語られたように、私たちに与えられた大切な使命は「キリストの弟子」として互いに愛し合いながら生きる歩みです。しかし、生まれながらの私たちは自己中心で愛がありません。けれども、「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださる(Ⅰヨハネ5:14)」と約束されているのですから、愛が分かるように、また互いに愛しあう愛をください、と祈り求めましょう。

 私たちの内には、助け主なる聖霊が住んでおられますから、気張らずとも、聖霊があなたに力を与え(使徒1:8)、愛することができるように導いてくださいます。

今日のメッセージ 『弱さの中に現わされる神の力』 2026年2月1日

 牧師 高橋勝義

〔民数記33章50~56節

 神はモーセに、「約束の地に入ったならば、まずその地の住民をすべて追い払い、彼らが造った石像や鋳像をすべて破壊し、高き所をすべて壊さねばならない」と命じました。その地の住民を残せば、必ずその慣習の影響を受け、結局偶像礼拝が始まるのです。

 この問題について神は、「彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたを、わたしの前に罪ある者としないようにするためである。あなたが彼らの神々に仕え、あなたにとってとなるからである。(出エジプト23:33)」とすでに警告していました。まさに、「あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる」からです(民数記33:55)

 イエス様が「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです(マタイ6:21)」と語られたように、私たちのうちにはあらゆるものを偶像にしてしまう危険性が潜んでいるのです。この心の隙間に、悪魔は誘惑の罠を仕掛けてきます(Ⅰペテロ5:8)。

 では、どうすればよいのでしょうか。「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい(エペソ5:10)」とあるように、自分の弱いところを自覚することが大切です。この世では弱さはタブーですが、神を信じる私たちにはどうでしょうか。パウロは自らの経験から「主は、わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからであると言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)」と告白しています。私たちも、この神に信頼して歩んで行きましょう(ローマ9:33)

今日のメッセージ 『救いの確信に堅く立つ』 2026年1月25日

 牧師 高橋勝義

〔民数記33章1~49節

 モーセは、イスラエルがエジプトから救い出され、荒野で過ごした四十年の旅路を神の命により詳しく書き記しました。エジプト軍が迫ってくる中で、海が二つに分かれ、海の底を逃げたこと、シンの荒野では日々の食料として神が「マナ」を与えてくださったこと、レフィディムでは岩から水が出たことなど、どこも神の恵みで守られてきました。しかし約束の地を目の前にしながら、四十年間荒野での生活を余儀なくされたのは、民の不信仰が原因であったのも事実です。神は、約束の地に入ろうとしている新しい世代に、自分たちはどこから救い出され、また、今どこに向かって歩んでいるのかを自覚させ、この荒野で学んだ教訓、そして神の愛と恵みの中に生かされてきたことを伝えたかったのです。

 自分たちの「ルーツ」やどんな時にも助け導いてくださる神様を知ることは、これから彼らを襲うさまざまな困難や苦難に立ち向かい、勝利する原動力となるからです。

 私たちも、自分はどのようなところから救い出され、どこに向かって歩んでいるのかを自覚することはとても重要です。というのは、困難や苦難の中で、人は不安や恐れから起こる思い煩い、後悔、責任転嫁など不信仰の渦に巻き込まれてしまうからです。それゆえペテロが「あなたがたのうちにある希望を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい(Ⅰペテロ3:15)」と語っているように、自分の救いを書き記すことが大切です。

 信仰の原点に立ち返り、今、自分は天の御国を目指して旅をしていることの再確認になるからです。後戻りすることのないように、イエス様は「鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません(ルカ9:62)」と私たちに警告しています。

今日のメッセージ 『神を信じる信仰』 2026年1月18日

 牧師 高橋勝義

〔民数記32章1~42節

 イスラエルがいよいよヨルダン川を渡り、約束の地に入ろうとしていたときのこと、ガド族とルベン族モーセと祭司エルアザル、族長たちに「しもべどもがこの地を所有地として賜りますように」と願ったのです。それは彼らが多くの家畜を持っており、ヨルダン川の東の土地は家畜に適した場所であったからでした。しかし、これを聞いたモーセは怒り、「どうして、これから戦いに向かうイスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか」と問い詰めます。40年前、彼らの父たちが約束の地の探索で、イスラエルの民の意気をくじいた同じ過ちを繰り返すことになるからでした。すると、彼らはモーセに私たちはここに、家畜の囲い場を作り、妻子のために町々を建てます。しかし私たちは、イスラエルの子らを彼らの場所に導き入れるまで、武装して先頭に立って急ぎ進みそれぞれその相続地を受け継ぐまで、自分の家に帰りません。」と誓ったのです。

 このことばには、彼らの覚悟と同時に、残す妻子と家畜を神が守ってくださるという信仰がなければ、簡単に口にできることではありません。周りの国々は、戦士がいないとなれば、すぐに攻めてきます。彼らは、このような危険があることを十分承知し、すべてを神にゆだねる信仰に堅く立ったのです。聖書に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)」とある通りです。

 詩篇の作者も「御名を知る者はあなたに拠り頼みます。主よあなたを求める者をあなたはお見捨てになりませんでした。(詩篇9:10)」と告白しています。

今日のメッセージ 『あなたの行く道すべてに主を仰ぐ』 2026年1月11日

 牧師 高橋勝義

〔民数記31章21~54節

 イスラエルは神の命令に従い、ミディアン人を根絶やしにし、分捕りものについても、神の定めどおりに行いました。軍団の指揮官たち、すなわち、千人の長、百人の長たちはモーセのもとに進み出て「しもべどもは、部下の戦士たちの総数を数えました。私たちのうち一人も欠けていません。」と報告しました。そして、モーセと祭司エルアザルは、軍団の指揮官たちから受け取った金を、主の前における、イスラエルの子らのための記念としました。民は、兵士が誰ひとり欠けることなく無事に帰って来たことで、主が自分達とともにおられることを経験し、それは、これからの戦いの心の準備になったのです。

 私たちの歩みは、次々と押し寄せる困難や苦難の連続です。また社会情勢も目まぐるしく変化し、押し寄せてきますから、途方に暮れないはずがありません。しかしパウロは、「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。(Ⅱコリント4:8)」と語るのです。また、「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」とも語ります。神こそが、この世を統べ治めておらるお方だからです(出エジプト19:5)。しかし、私たちは、いざ困難や苦難、試練に会うと、不安と恐れに支配され、思い煩いでいっぱいになるのも事実です。

 それゆえに、ソロモンは「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。(箴言3:6)」と諭しているのです。

今日のメッセージ 『罪をそのままにしていませんか』 2026年1月4日

 牧師 高橋勝義

〔民数記31章1~20節〕

 約束の地に入る準備として、神はモーセにミディアン人への報復を命じ、その後、あなたは自分の民に加えられる、と語られました。それはモアブのシティムにとどまっていたときのことでしたが、民は土地の娘とふしだらな関係を持ち、さらに、誘われるまま偶像礼拝に加わったのです、神の神罰で2万4千人もの人が死に、民が泣いている前で、ひとりの男がミディアン人の女を自分の兄弟たちの前に連れてきたのです。すかさず、祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスが槍でその二人を刺殺したことで、神の罰は終わりました(民数記25:6~8)。このようなわけで、神は、不品行と偶像礼拝の罪の重さを自覚させ、民への教訓と戒めのためミデヤン人への報復を命じられたのです。約束の地に入ったならば、イスラエルは、必ず、これらの誘惑にさらされることになるからです。

 この教訓と戒めから、私たちが学ばなければならないことは、罪をそのままにしないことです。しかし、罪ある人間は自分の罪を取り除くことができません。バプテスマのヨハネが、イエス様の姿を見て「見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)」と語られたように、罪なきお方が罪を取り除くためにこの世に来られ(Ⅰヨハネ3:5)、十字架の死によって私たちのすべての罪を取り除いてくださったのです。それゆえ、「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。(Ⅰテモテ2:5)」とあるように、日々、自分の罪を認め、告白する罪の悔い改めが大切なのです。

 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます(Ⅰヨハネ1:9)」これは、神の変わらない約束です。

今日のメッセージ 『聖霊に導かれて』 2026年1月1日

 牧師 高橋勝義

〔ヨハネ16章1~11節〕

 2026年も生けるまことの神を礼拝することからスタートできることに心から感謝します。

 十字架の死から復活されたイエス様は弟子たちと過ごし、40日後に彼らの目前で天に帰られました。しかし、ご自身を信じる者たちをこの地上に置き去りにするのではなく、その後も生き生きと力強く生きられるように「助け主(聖霊)」を遣わすと語られました。ご自分が去って行けば助け主が遣わされ、それがあなたがたの益になるのだと語られたのです。助け主が来ることによって、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかにし、私たちを救いへと導くからです。「聖霊によるのでなければ、だれもイエスは主ですと言うことはできません(Ⅰコリント12:3)」とある通りです。

 またイエス様は、昇天されるとき「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。(使徒1:8)」と語られました。聖霊が私たちのうちに臨み、また住んでくださる(ヨハネ14:17)ということは、自分の力で頑張って生きる歩みから、聖霊の助けによって生きる歩みへと変えられるということなのです。それゆえ、使徒パウロは「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。(ガラテヤ5:16)」と私たちに勧めます。またペテロは「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。(Ⅰペテロ5:8)」と警戒を促します。

 しかし、「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)」と語られたイエス様が、私たちの味方なのですから、恐れず、勇気を出して新しい年も聖霊に導かれて歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『あなたの信じる神はどんなお方か』 2025年12月28日

 牧師 高橋勝義

〔民数記30章1~16節〕

 30章は神様の前に真実な歩みをすることが教えられています。具体的には男性が主に誓願をしたり、物断ちをして誓う場合には、すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない、ということです。しかし、女性の場合は父が娘の誓願を認めれば有効となり、反対すれば無効、同様に夫が妻の誓願を認めれば有効となり、反対すれば無効となります。

 この時代の女性は男性主権のもとに置かれており、この教えがなければ、女性は誓願することすら許されない中で、神が女性を尊ぶご配慮なのです。

 また、ここで大切なことは、誓願するときの心です。聖書は「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。愚かな者は喜ばれない。誓ったことは果たせ。誓って果たさないよりは、誓わないほうがよい。(伝道者の書5:4,5)」と教えています。ところが、誓いが形骸化している行為をイエス様は厳しく戒め(マタイ5:33~37)、からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。(マタイ10:28)」と語られるのです。

 私たちは、生けるまことの神に向かって「誓願」していることを忘れてはなりません。と同時に、イエス様が「心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります(マルコ11:23)」と語られたように、誓願する自らが信仰に立っているかどうか(Ⅱコリント13:5)、自分を吟味する必要があるでしょう。

 私たちの信じている生けるまことの神は、「神にとって不可能なことは何もないお方(ルカ1:37)」だからです。