今日のメッセージ 『すべてを知っておられる神を恐れる』

 牧師 高橋勝義

〔申命記17章1~13節〕

 モーセは、生活の中で起こる問題に、どう対処すべきかについて語りました。

 「主が忌み嫌われるものをいけにえとして献げたり、主の契約を破り、ほかの神々に仕え、それらを拝む者があれば、男であれ女であれ、よく調査しなければならない。もしそのことが事実であるならば、二人の証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。もし町囲みの中で争い事や様々な事件が起こり、あなたがさばきかねるものであれば、レビ人の祭司たち、あるいは、そのときに立てられているさばき人のもとに行って尋ねる。もし、人が、祭司やさばき人に聞き従わず、不遜なふるまいをするなら、その者は死ななければならない。イスラエルのうちからその悪い者を除き去ることによって、民はみな聞いて恐れ、もう不遜なふるまいをすることがないようにするためである。」

 ところで、人はうわさ話しが好きで、特に人の足をひっぱる話しに耳を傾けます。それゆえ、聖書は「人を中傷して回る者は秘密を漏らす。唇を開く者とは交わるな。(箴言20:19)」と忠告します。しかし、「舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちている。(ヤコブ3:8)」のも事実だからです。さまざまなトラブルがおきれば、やはり「二人の証人または三人の証人の証言」が必要になってきます。その時、その証言は誰の前でするのかが肝心になってきます。神を信じる私たちは、「心の中のはかりごと」のすべてを知っておられるお方(Ⅰコリント4:5)を恐れなければなりません。

 なぜなら、神の前には「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはない。(ルカ8:17)」からです。

今日のメッセージ 『イエス様を信じた日を覚える』 2026年9月6日

 牧師 高橋勝義

〔申命記16章1~22〕

 モーセは、民に「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。(出エジプト13:3)」と語りました。この日がアビブの月(ユダヤ暦1月)であり、この日にイスラエルはエジプトを出発し、約束の地に向かって旅立った記念すべき日なのです。 それゆえ、モーセは、約束の地に入ったならば、「アビブの月を守り、あなたの神、主の過越を祝いなさい」と命じたのですエジプトで奴隷であったところから救い出された日は、イスラエルにとって、決して、忘れることのできない日であり記念日です。

 では私たちにとっての記念日は、何でしょうか。

 聖霊の導きにより、自分の罪が示され、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる信仰に導かれた日が、記念日になるのではないでしょうか。私たちの記憶は時間とともに薄れるもので、自分がどうしてイエス様を信じるようになったのかを書き留めておくことはとても大切です。後々、自分の信仰の確認にもなるからです。神の子であるイエス・キリストが、私たちの罪を贖うためにこの世に来られ、救いを成し遂げてくださった(ピリピ2:6~8、ローマ4:25)ことを心から感謝し、今日も礼拝をささげましょう。

  「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。(Ⅰペテロ3:15)」とあるように、自分のうちにある“希望”が何であるかをしっかりと説明できる用意をしておられるでしょうか。

今日のメッセージ 『あらゆる恵みに満ちた神』 2026年8月30日

 牧師 高橋勝義

〔申命記15章1~23節

 「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい(レビ19:18)」と命じられた神は、「あなたは七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない」と定められました。異国人からは取り立ててもよいが、あなたの同胞があなたに借りているものは免除しなければないとされたのです。この命令を守るには、主が御声に聞き従うあなたを、必ず祝福される、という神の約束を信じる信仰が求められるのです。しかし、人の心には、よこしまな考えや物惜しみする思いが湧くのをご存じの神は、十分に気をつけなさいと警告されました。

 ところで、私たちは、あれが足りない、これが足りないと神に不平不満を言ってはいないでしょうか。また、困難や苦難に会うと、神は私を助けてくれなかった、とつぶやいてはいないでしょうか。しかし、聖書は「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。(Ⅱコリント9:8)」と語っています。

 この神の恵みが分からないのは、私たちの自己中心が原因です。自己中心が信仰の目を曇らせ、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えようとされている神の愛を見えなくしているのです。それゆえ、神は「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身がわたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てないと言われたからです。(へブル13:5)」と神の約束に目を向けるように促しています。

 「聖書はこう言っています。この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』(ローマ10:11)」とあるように、私たちの罪のためにご自身のいのちを献げてくださったイエス様に信頼して歩みましょう。

今日のメッセージ 『何をするにも神の栄光のために』 2026年8月23日

 牧師 高橋勝義

〔申命記14:1~29

 イスラエルは主の聖なる民であり、主はあらゆる民の中から彼らを選び、ご自分の宝の民とされました。それゆえ、モーセは、神の民としてのふるまいについて教えたのです。

 まず、食べてよい物、食べてはならない物について詳しく指示します。次に、毎年、すべての収穫の十分の一を必ず献げること、レビ人には相続地が与えられていないので、レビ人をないがしろにしないこと、さらに、寄留者や、孤児や、やもめが来て食べ、満ち足りるために、三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を残すようにと命じたのです。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるからです。

 神は、ペテロに夢の中で「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」と語りましたが、ペテロは「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と答えます。しかし、神は「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」とペテロを諭します(使徒10:9~16)。

 私たち異邦人への伝道は、ここから始まり、また、何でも食べることができるようになりました。私たちは、今、この恵みの中にいます。聖書は「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(Ⅰコリント6:19,20)と命じています。

 では神の栄光を現すには、どのような歩みをすればよいのでしょうか。

 聖書は「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8)」と勧めています。

今日のメッセージ 『神の武具を取れ』 2026年8月16日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章29節~13章18節〕

 神は、イスラエルがこれから所有しようとしている国々に入ったならば、まず高き所にある祭壇と神々の彫像をことごとく打ち壊すように、またその地の住民の神々に仕えてはならない、と命じられました。イスラエルの民が罠に陥らないようにするためです。

 また、預言者や夢見る者が現れて、何かのしるしや不思議を示し、それが実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言われても、その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない、と命じ、「ほかの神々に従い、これに仕えよう」と言ったその悪い者を、あなたがたの中から除き去るように命じたのです。

 悪魔(サタン)はイエス様に対して、「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」と誘惑しますが、主は「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」と答えました(マタイ4:8~9)。また、「驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。(Ⅱコリント11:14)」と聖書は語り、悪魔には力があることを私たちに教えています。ですから、悪魔を侮ってはなりません。

 悪魔は、神の御座を奪おうとしたため、神が天から落としたのです(イザヤ14:12~15)。このことについて、イエス様は、「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました(ルカ10:18)」と証言しています。悪魔の目的は、私たちを生ける神から引き離し、自分のほうに引き込むことです。その私たちには、悪魔に立ち向かう力はありません。それゆえ、神は私たちに神の武具を用意してくださいました(エペソ6:10~18)、私たちは、神が用意された武具をしっかりと受け取って、悪魔との戦いに備えましょう。

今日のメッセージ 『生ける神を礼拝できる恵み』 2026年8月9日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章1~28節〕

 モーセは、約束の地に入ったならば、高い山などに建てられた祭壇、および、そこに祭られている神々の彫像をすべて打ち壊すようにイスラエルの民に命じました。そこは異邦の民の礼拝の場所であり、その彫像は彼らが信じる神々だったからです。

 神がエジプトを出て、すぐに幕屋建設をイスラエルに命じられたのは、生けるまことの神がおられるところで、ささげ物を献げ、主を礼拝するためでした。主は、自分勝手な場所で礼拝し、ささげ物を献げないように気をつけなさい、と命じられたのです。また、礼拝は主との交わりの時ですから、主が祝福してくださった、すべての手のわざに感謝し、家族共々に、主の前で食事をし、喜び楽しむようにとも命じられました。

 旧約の時代は、罪ある者が聖なる神を礼拝できるように、神は動物のいのちを罪の贖いとされました。しかし、今は、イエス様が十字架の上で流された血潮によって、すべての罪の贖いが成し遂げられたので、だれでも神を礼拝することができるのです。それには、イエス様が「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。(ヨハネ4:21)」と言われたように、イエス様を罪からの救い主と信じることが必要です。また、イエス様は「父なる神はご自身を礼拝する者を求めておられること(ヨハネ4:23)」、そして、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません(ヨハネ4:24)」と私たちに教えています。

 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい(ローマ12:1)」と勧められているように、私たちも、生ける神を喜びをもって礼拝しましょう。

今日のメッセージ 『主の道を選び祝福を受けよ』 2026年8月2日

 牧師 高橋勝義

〔申命記11章1~32節

 これから約束の地に入ろうとしている民に、モーセは繰り返し繰り返し、主を愛し、主の掟と定めと命令を守るように命じました。そのうえで、新しい世代に「見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福とのろいを置く(申命記11:26)」と語り、彼らに決断を迫ったのです。

 「祝福」とは、あなたがたの神、主の命令に聞き従って歩むことであり、「のろい」とは、主の命令に聞き従わず、命じる道から外れて、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って歩むことです。なぜ、モーセは、彼らにこのような決断を迫ったのでしょうか。それは、約束の地を占領し、神が与えると言われた乳と蜜の流れる地で、彼らの日々が長く続くようにするためでした。これまでのイスラエルの歩みを知っているモーセだからこそ、心を定めて、主を愛し、主の掟と定めと命令をいつも守るようにと促したのです。

 聖書は「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある(箴言14:12)」と語ります。また「どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。(詩篇119:9)」とも語っています。

 イスラエルに対するモーセの問いかけは、私たちにも問いかけられていることです。それは、私たちを造られた生けるまことの神を信じ、このお方に従って歩むのか、それとも、自分の力やこの世の力に頼って生きるのかと。つまり、永遠のいのちへの道か、それとも、滅びの道か、どちらを選ぶのか、と神は私たちに決断を迫っておられるのです。

 神は「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない─【神】である主のことば─。だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル18:32)」と私たちに語っておられます。

今日のメッセージ 『アブラハムの信仰に続こう』 2026年7月26日

 牧師 高橋勝義

〔申命記10章12~22節

 神は、アブラハムとアブラハムの子孫(イスラエル)に契約のしるしとして、生まれて八日目の男子にはみな「割礼」を施すようにと命じました(創世記17:10,12)。これは、神への従順(創世17:1)と神の選びの恵みをあかしするものです。しかし、イスラエルの荒野での歩みは、神への不従順の連続でした。それゆえ、モーセは民に、「あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。」と語ったのです。それは、神があなたがたに求めておられることは、主を愛し、主に仕え、主の命令と掟を守ることである。だから、それをしっかりと心に刻み、父祖たちの信仰に倣って歩むように、と促したのです。これこそが「心の包皮に割礼を施す」という意味なのです。

 パウロが「(アブラハム)は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためである(ローマ4:11)」と語っているように、私たちもキリストを罪からの救い主と信じる信仰によって義とされるのです。

 ここで重要なことは、自分は罪ある者と認めて、口で言い表し、悔い改めることです。つまり、神に従って生きる歩みへと舵を切る決断です。しかし、私たちの中には罪の性質が残っているため、すぐにうなじを固くする者(神に不従順な者)になってしまうのです。

 それゆえ、日々、罪の悔い改めが重要になってくるのです。なぜなら、神は「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます(Ⅰヨハネ1:9)」と約束してくださっているからです。

今日のメッセージ 『キリストの旗印を掲げて歩もう』 2026年7月19日

 牧師 高橋勝義

〔申命記10章1~11節

 エジプトの奴隷から救い出されたイスラエルは、荒野での40年間の旅を終え、いよいよ約束の地に入ろうとしています。振り返ると彼らの神への背きは、モーセがシナイ山でさとしの板二枚を神から授かっているときに起きました。急ぎシナイ山を下ったモーセの前には、アロンが作った金の子牛を囲んで祝う民の姿がありました。怒りに燃えたモーセは、その二枚の板を粉々に砕いたのです(出エジプト32:19)。そして、民を滅ぼすといわれる主に、モーセは四十日四十夜とりなし祈りました。結果、神は、モーセに二枚の石の板を用意させ、その板に前と同じ文を書き記しモーセに与えます。モーセは、それを契約の箱の中に納めたのです。

 主はモーセに「民の先頭に立って進め。そうすれば彼らは、わたしが彼らに与えると父祖たちに誓った地に入り、その地を占領することができる。」と言われたのです。先頭には、契約の箱があり、そのうしろに、十二部族が進みます。モーセは、神が先立って歩んでおられるから、その神を信じて歩むなら必ず約束の地を占領できると民を励ましたのです。

 イエス様は、「羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。(ヨハネ10:4)」と語っています。イエス様が私たちの先頭に立って私たちを導いておられるのですが、私たちはこの世のさまざまな声に惑わされたり、自分の関心事を優先させたりして歩んでしまいます。

 私たちは、神の子ども(ヨハネ1:12)であり、光の子ども(エペソ5:8)とされ、神のものとされた民(Ⅰペテロ2:9)なのですから、この旗印をしっかりと掲げ、私たちの人生の先頭にはいつもイエス様がいてくださることを覚えて歩みましょう(マタイ28:20)。