今日のメッセージ 『信じない者ではなく、信じる者に』 2026年10月4日

 牧師 高橋勝義

〔申命記18章9~22節〕

 神はイスラエルに「あなたがたは、(かつて)自分たちが住んでいたエジプトの地の風習をまねてはならない。また、(これから)わたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地の風習をまねてはならない。彼らの掟に従って歩んではならない。(レビ記18:3)」と命じ、モーセも「あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない」と語りました。それは神への冒涜だからです。そして、神は一人の預言者を起こし、彼の口に神のことばを授けるので、そのことばに聞き従うようにと命じ、たとえ預言者が主の名によって語っても、ことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない、と注意を促したのです。

 神は、モーセのような預言者を遣わすと約束されたように、多くの預言者を遣わされましたが、イスラエルの民は神のことばに聞き従いませんでした。そして、時が満ち、救い主がこの世に遣わされたのです。そのお方がイエス・キリストです。

 イエス様が語られたことはすべて実現しましたが、人々はイエス様が“救い主”であると信じることができませんでした。それはイエス様が、自分たちが求める救い主の姿ではなかったからです。イエス様は、「滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです(マタイ7:13)」と語られ、「父のみこころは、子(キリスト)を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせる(ヨハネ6:40)」と約束されました。私たちは信じない者ではなく、信じる者になり(ヨハネ20:27)、滅びから救い出していただきましょう。

今日のメッセージ 『互いに相手を尊重しなさい』 2026年9月27日

 牧師 高橋勝義

〔申命記18章1~8節〕

 神は「見よ。わたしは、イスラエルの子らのうちで最初に胎を開いたすべての長子の代わりに、イスラエルの子らの中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものとなる。(民数記3:12)」と定め、「レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびすべてそれに付属するものを管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これに仕え、幕屋の周りに宿営しなければならない。(民数記1:50)」と、レビ人を神の奉仕の働きに召されました。それゆえ、レビ人には、約束の地における相続地が割り当てられていません。主は民が主への献げ物として献げた物の中から、彼らが受けとるべきものを定められたのです。

 教会はキリストのからだにたとえられています(エペソ1:23)。ですから、主を信じる私たち一人ひとりはキリストのからだの部分なのです(Ⅰコリント12:27)。からだには、たくさんの器官があり、それぞれの器官が助け合っているように、私たちもそれぞれの働きを尊重しつつ、助け合い、キリストのからだである教会を建て上げるのです(エペソ4:12)。

 私たちがキリストのからだのどの部分に召されているのかは、主から教えていただかなければ分かりません。さらに、どの部分も大切な器官であり、優劣はないことも覚えなければなりません。ですから、すぐに優劣をつけてしまう私たちに、主は、「兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい(ローマ12:10)」と命じるのです。さらに、私たちは地の塩、世の光として、この世に遣わされている(マタイ5:13,14)ことも忘れてはなりません。事の大小にかかわらず、主にあって忠実に歩んでいきましょう。

今日のメッセージ 『しもべとなられたイエス様を見上げよ』 2026年9月20日

 牧師 高橋勝義

〔申命記17章14~20節〕

 大国エジプトの奴隷であったイスラエルは、神の力強い御腕と不思議な御業により救い出され、ここからは神ご自身が民を導いておられました。しかし、約束の地に入った後、「周りのすべての国々と同じように私たちも自分たちの上に王を立てたい」と願うであろう民の心をよくご存じの神は、「必ずあなたの神、主が選ばれる者をあなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。」と命じ、さらに、王は私腹を肥やしてはならないこと、また、自分の神、主を恐れ、主のみおしえのすべてのことばとこれらの掟を守り行うことを学ぶようにと促されたのです。

 古今東西、人は、なかなか謙遜になることができません。ですから、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とことわざにもあるように、先人たちは謙虚に生きることを教えます。

 イエス様は、弟子たちを呼びよせ「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。~あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。(マタイ20:25~27)」と、自らの歩みを通し、模範を示されました。その頂点が十字架です。ですから、私たちも十字架を見上げ、主の謙遜を覚えながら歩んで行きましょう。

 「あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。(Ⅰペテロ5:6)」

今日のメッセージ 『すべてを知っておられる神を恐れる』

 牧師 高橋勝義

〔申命記17章1~13節〕

 モーセは、生活の中で起こる問題に、どう対処すべきかについて語りました。

 「主が忌み嫌われるものをいけにえとして献げたり、主の契約を破り、ほかの神々に仕え、それらを拝む者があれば、男であれ女であれ、よく調査しなければならない。もしそのことが事実であるならば、二人の証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。もし町囲みの中で争い事や様々な事件が起こり、あなたがさばきかねるものであれば、レビ人の祭司たち、あるいは、そのときに立てられているさばき人のもとに行って尋ねる。もし、人が、祭司やさばき人に聞き従わず、不遜なふるまいをするなら、その者は死ななければならない。イスラエルのうちからその悪い者を除き去ることによって、民はみな聞いて恐れ、もう不遜なふるまいをすることがないようにするためである。」

 ところで、人はうわさ話しが好きで、特に人の足をひっぱる話しに耳を傾けます。それゆえ、聖書は「人を中傷して回る者は秘密を漏らす。唇を開く者とは交わるな。(箴言20:19)」と忠告します。しかし、「舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちている。(ヤコブ3:8)」のも事実だからです。さまざまなトラブルがおきれば、やはり「二人の証人または三人の証人の証言」が必要になってきます。その時、その証言は誰の前でするのかが肝心になってきます。神を信じる私たちは、「心の中のはかりごと」のすべてを知っておられるお方(Ⅰコリント4:5)を恐れなければなりません。

 なぜなら、神の前には「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはない。(ルカ8:17)」からです。

今日のメッセージ 『イエス様を信じた日を覚える』 2026年9月6日

 牧師 高橋勝義

〔申命記16章1~22〕

 モーセは、民に「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。(出エジプト13:3)」と語りました。この日がアビブの月(ユダヤ暦1月)であり、この日にイスラエルはエジプトを出発し、約束の地に向かって旅立った記念すべき日なのです。 それゆえ、モーセは、約束の地に入ったならば、「アビブの月を守り、あなたの神、主の過越を祝いなさい」と命じたのです。エジプトで奴隷であったところから救い出された日は、イスラエルにとって、決して、忘れることのできない日であり記念日です。

 では私たちにとっての記念日は、何でしょうか。

 聖霊の導きにより、自分の罪が示され、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる信仰に導かれた日が、記念日になるのではないでしょうか。私たちの記憶は時間とともに薄れるもので、自分がどうしてイエス様を信じるようになったのかを書き留めておくことはとても大切です。後々、自分の信仰の確認にもなるからです。神の子であるイエス・キリストが、私たちの罪を贖うためにこの世に来られ、救いを成し遂げてくださった(ピリピ2:6~8、ローマ4:25)ことを心から感謝し、今日も礼拝をささげましょう。

  「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。(Ⅰペテロ3:15)」とあるように、自分のうちにある“希望”が何であるかをしっかりと説明できる用意をしておられるでしょうか。

今日のメッセージ 『あらゆる恵みに満ちた神』 2026年8月30日

 牧師 高橋勝義

〔申命記15章1~23節〕

 「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい(レビ19:18)」と命じられた神は、「あなたは七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない」と定められました。異国人からは取り立ててもよいが、あなたの同胞があなたに借りているものは免除しなければないとされたのです。この命令を守るには、主が御声に聞き従うあなたを、必ず祝福される、という神の約束を信じる信仰が求められるのです。しかし、人の心には、よこしまな考えや物惜しみする思いが湧くのをご存じの神は、十分に気をつけなさいと警告されました。

 ところで、私たちは、あれが足りない、これが足りないと神に不平不満を言ってはいないでしょうか。また、困難や苦難に会うと、神は私を助けてくれなかった、とつぶやいてはいないでしょうか。しかし、聖書は「神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。(Ⅱコリント9:8)」と語っています。

 この神の恵みが分からないのは、私たちの自己中心が原因です。自己中心が信仰の目を曇らせ、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えようとされている神の愛を見えなくしているのです。それゆえ、神は「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。(へブル13:5)」と神の約束に目を向けるように促しています。

 「聖書はこう言っています。『この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』(ローマ10:11)」とあるように、私たちの罪のためにご自身のいのちを献げてくださったイエス様に信頼して歩みましょう。

今日のメッセージ 『何をするにも神の栄光のために』 2026年8月23日

 牧師 高橋勝義

〔申命記14:1~29〕

 イスラエルは主の聖なる民であり、主はあらゆる民の中から彼らを選び、ご自分の宝の民とされました。それゆえ、モーセは、神の民としてのふるまいについて教えたのです。

 まず、食べてよい物、食べてはならない物について詳しく指示します。次に、毎年、すべての収穫の十分の一を必ず献げること、レビ人には相続地が与えられていないので、レビ人をないがしろにしないこと、さらに、寄留者や、孤児や、やもめが来て食べ、満ち足りるために、三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を残すようにと命じたのです。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるからです。

 神は、ペテロに夢の中で「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」と語りましたが、ペテロは「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と答えます。しかし、神は「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」とペテロを諭します(使徒10:9~16)。

 私たち異邦人への伝道は、ここから始まり、また、何でも食べることができるようになりました。私たちは、今、この恵みの中にいます。聖書は「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(Ⅰコリント6:19,20)」と命じています。

 では神の栄光を現すには、どのような歩みをすればよいのでしょうか。

 聖書は「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8)」と勧めています。

今日のメッセージ 『神の武具を取れ』 2026年8月16日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章29節~13章18節〕

 神は、イスラエルがこれから所有しようとしている国々に入ったならば、まず高き所にある祭壇と神々の彫像をことごとく打ち壊すように、またその地の住民の神々に仕えてはならない、と命じられました。イスラエルの民が罠に陥らないようにするためです。

 また、預言者や夢見る者が現れて、何かのしるしや不思議を示し、それが実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言われても、その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない、と命じ、「ほかの神々に従い、これに仕えよう」と言ったその悪い者を、あなたがたの中から除き去るように命じたのです。

 悪魔(サタン)はイエス様に対して、「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」と誘惑しますが、主は「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」と答えました(マタイ4:8~9)。また、「驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。(Ⅱコリント11:14)」と聖書は語り、悪魔には力があることを私たちに教えています。ですから、悪魔を侮ってはなりません。

 悪魔は、神の御座を奪おうとしたため、神が天から落としたのです(イザヤ14:12~15)。このことについて、イエス様は、「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました(ルカ10:18)」と証言しています。悪魔の目的は、私たちを生ける神から引き離し、自分のほうに引き込むことです。その私たちには、悪魔に立ち向かう力はありません。それゆえ、神は私たちに神の武具を用意してくださいました(エペソ6:10~18)、私たちは、神が用意された武具をしっかりと受け取って、悪魔との戦いに備えましょう。

今日のメッセージ 『生ける神を礼拝できる恵み』 2026年8月9日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章1~28節〕

 モーセは、約束の地に入ったならば、高い山などに建てられた祭壇、および、そこに祭られている神々の彫像をすべて打ち壊すようにイスラエルの民に命じました。そこは異邦の民の礼拝の場所であり、その彫像は彼らが信じる神々だったからです。

 神がエジプトを出て、すぐに幕屋建設をイスラエルに命じられたのは、生けるまことの神がおられるところで、ささげ物を献げ、主を礼拝するためでした。主は、自分勝手な場所で礼拝し、ささげ物を献げないように気をつけなさい、と命じられたのです。また、礼拝は主との交わりの時ですから、主が祝福してくださった、すべての手のわざに感謝し、家族共々に、主の前で食事をし、喜び楽しむようにとも命じられました。

 旧約の時代は、罪ある者が聖なる神を礼拝できるように、神は動物のいのちを罪の贖いとされました。しかし、今は、イエス様が十字架の上で流された血潮によって、すべての罪の贖いが成し遂げられたので、だれでも神を礼拝することができるのです。それには、イエス様が「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。(ヨハネ4:21)」と言われたように、イエス様を罪からの救い主と信じることが必要です。また、イエス様は「父なる神はご自身を礼拝する者を求めておられること(ヨハネ4:23)」、そして、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません(ヨハネ4:24)」と私たちに教えています。

 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい(ローマ12:1)」と勧められているように、私たちも、生ける神を喜びをもって礼拝しましょう。