牧師コラム 『乳飲み子のように』 2020年11月29日

牧師 栗原延元

 

 

 

 

今年の石巻教会の暗唱聖句のテーマは、「みことばに生きる」です。このみことばとは、どなたのことばであるかと言いますと、天地を造られた神のことばです。それは、神の御子イエス・キリストのことばです。

このイエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と明言し、どんなに衣食が充たされていたとしても、人は幸せにはならないと宣言します。そして、人の心に本当の幸せをもたらすものが神のことばであると語るのです。

今日の聖書の個所は、イエスの12弟子のひとりペテロが実感をこめて書いている句です。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(Ⅰペテロ2章2節)
この箇所を、じっくりと学びたいと思っています。

牧師コラム 『私はいつまでも主の家に住まいます』 2020年11月22日

牧師 高橋勝義

私たちはこの半年、信仰の父アブラハムの歩みを通して、まことの主なる神様について学んできました。聖書は、アブラハムの175年の生涯を「アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた。」(創世記25:8)と記しています。
しかし聖書の語る「幸せな人生」とは、決して「問題のない平穏無事な日々を過ごす」という意味ではありません。

事実、アブラハムの人生も戦い、失敗、試練、葛藤、の連続でした。
神はご自分の召しに立ち上がり信仰のうぶ声をあげたアブラハムを、赤ん坊を育てるようにいつくしみ、愛し、育てられました。信仰の道をよちよちと歩き始めた彼の失敗を叱るどころか、かえって祝福を豊かに注がれたのです。それは「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。(創世記12:2)」と神ご自身が約束された契約のゆえでもありました。子どもがなかなか与えられない葛藤の日々にあっても「あなたから生まれ出て来る者があなたの後を継ぐ」との約束をくださり、励まし続けてくださいました。

こうして育まれたアブラハムの神への信仰は、待望の子イサクを全焼のいけにえとしてささげるように命じられた最大の試練の時に、疑うことなく、神を信頼し、神に期待し従うという姿で表されたのです。

私たちもまた、キリストによる罪の贖いを信じることにより、神の民、アブラハムの子孫とされました。
「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6)

牧師コラム 『主を信じる者への祝福』 2020年11月15日

牧師 高橋勝義

イサクの時代にも父アブラハムの時代と同様にカナンの地に飢饉が起こりました。

イサクが食物を求めてゲラルまで行くと、主は彼に現れ「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい~ わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。~ あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす。」(創世記26:2,3)と語ってくださいました。こうしてイサクは、神の命令に従いゲラルに住みます。
ところがその土地の人々に妻のことを尋ねられると、「あれは私の妹です」と答えてしまいました。人々が美しいリベカのことで自分を殺すのではないかと恐れたためです。しかし神様はリベカがイサクの妻であることを、ペリシテ人の王アビメレクに見せたので、王はイサクに問いただし、ただちにすべての民に「この人と、この人の妻に触れる者は、必ず殺される」(創世記26:11)と命じました。

父アブラハムと同じ過ちを犯したにもかかわらず、難を逃れその地に住んだイサクは、その年に百倍の収穫を見たのです。それは主がアブラハムに誓った誓いは決して変わることがないからでした。しかし、ますます栄え、豊かになっていくイサクをペリシテ人はねたみ、父アブラハムの時代に掘られた井戸はすべてふさがれてしまいました。さらに、ゲラルの王は自分たちよりも強くなっていく彼を追い出してしまいます。

イサクに現わされる主なる神の祝福に圧倒され、彼を恐れたのです。

イサクを祝福された神は、イエス・キリストを信じたあなたを祝福してくださいます。「信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受ける(ガラテヤ3:9)」と聖書は約束しているからです。

2020年10月15日 クラフト教室・支援報告 第202回

・日時:2020年10月15日(木)
・参加者:13名
・奉仕者:仙台教会5名、石巻教会1名

・製作:「 パッチワークキルトの手提げバッグの仕上げ (5回目) 」

・チャペルタイム

「 神が私をあきらめないでいてくださるから-横田早紀江— 」

賛美:「 明日を守られるイエス様 」

聖書:「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。見よ、わたしは手のひらに」あなたを刻んだ。」
( ヨハネの手紙第Ⅰ4:9 )

牧師コラム 『あなたの宝はどこに』 2020年11月18日

牧師 高橋勝義

アブラハムの息子イサクは神の導きによってリベカと結婚しますが彼女も母サラと同様不妊の女でした。イサクは自分の妻のために忍耐強く主に祈り、その祈りは聞かれ、リベカは身ごもったのです。
ところが、彼女の腹の中では子どもたちがぶつかり合うようになり、不安を覚えたリベカは主のみこころを求めました。すると主は「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は、もう一つの国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25:23)と答えられたのです。月日が満ち、最初に出て来た子は、 赤くて、全身毛衣のようでした。彼らはその子をエサウと名づけます。その後で弟が出て来ましたが、その手はエサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名づけられました。

エサウは巧みな狩人で野の人、ヤコブは穏やかな人で天幕に住む人となりました。しかし猟の獲物を好む父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛している、という家族の歪みも起きてきました。

ある日ヤコブが煮物を煮ていると、野から疲れきって帰宅したエサウがその煮物を求めてきました。すかさずヤコブは、「今すぐ私に、あなたの長子の権利を売ってください」と言ったのです。空腹のエサウはヤコブの申し出を受け入れ、煮物と引き換えに自分の長子の権利をヤコブに売りました。
聖書は、「こうしてエサウは長子の権利を侮った(創世記25:34)」と記しています。長子は家の財産をすべて相続すると同時に、神がアブラハムに与えた約束と祝福を受け継ぐことをも意味します。
目の前のことにしか関心がなかったエサウは、神が与えようとしている霊的祝福を失うことになってしまいました。

「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです」(マタ6:21)

牧師コラム 『へりくだる者とともに住む神』 2020年11月1日

牧師 高橋勝義

アブラハムは、自分の全財産をイサクに与えました。そして側女たちの子には贈り物を与え、自分が生きている間に、彼らを東の方、東方の国に行かせて、自分の子イサクから遠ざけたのです。アブラハムは、幸せな晩年を過ごし、満ち足りた百七十五年の生涯を閉じ、自分の民に加えられました。その息子イサクとイシュマエルは、父アブラハムをイサクの母サラが葬られているマムレに面するマクペラの洞穴に葬りました。(創世記25:5~10)

イシュマエルはサラの女奴隷、エジプト人ハガルがアブラハムに産んだ子でしたが、神は「わたしはあの子を大いなる国民とする(創世記21:18)」と約束された通り、彼にも12人のこどもを与え、やがてそれぞれが氏族の族長となっていきます。
そのイシュマエルも百三十七年でその生涯を終え、自分の民に加えられました。

アブラハムの死後、神はその子イサクを祝福され、イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みます(創世記25:11)。
イサクにとって、父アブラハムと過ごした75年の中でも特に、モリヤの山での出来事は、決して忘れることのできない経験だったことでしょう。父アブラハムの神を畏れ、神に聞き従う純粋な信仰と、その父に対する神の真実、愛と恵みが、心に深く刻まれたからです。イサクにとって、神を畏れ、どんな時にもまず礼拝する父の姿は、これから自分が一族の長として歩む大切な指針であると再認識させられたのです。

「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」(イザヤ57:15)

牧師コラム 『イサク、リベカを迎える』 2020年10月25日

牧師 高橋勝義

しもべは、イサクの待つネゲブの地にリベカを連れ帰る旅を続けました。

一方イサクは、その日の夕暮れ近く、野に散歩に出かけていました。たぶん、一日千秋の思いで、しもべたちが帰って来る方向をじっと見ていたのでしょう。彼が目を上げて見ると、ちょうど、らくだが近づいて来たのです。
リベカにも彼の姿が見えました。リベカはらくだから降り、しもべに「野を歩いて私たちを迎えに来る、あの方はどなたですか」と尋ねます。しもべは、「あの方が私の主人です」と答えました。そこで、リベカはベールを手に取って、身をおおったのです。(創世記24:62~65)

しもべは、自分がしてきたことを残らずイサクに話しました。それは、主人アブラハムの神、主がどのようにして旅を成功させてくださったのか、また、リベカが「はい、行きます」と堅く信仰に立ってイサクのもとに来る決断をしたことなどです。

イサクは、父アブラハムが、しもべを送り出す時、恐れと不安を抱いている彼に「あなたの前に御使いを遣わされる(創世記24:7)」と力強く語ったことを知っていました。イサクは父アブラハムの信仰に答えてくださった神の真実、そしてリベカの信仰を聞き、神がこの結婚に、深い愛と恵みを注いでくださっていることを実感したのです。
イサクは、母サラの天幕にリベカを連れて行き、リベカを迎えて妻とし、彼女を愛し、母の亡き後、慰めを得たのです。(創世記24:67)

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」

牧師コラム 『はい、行きます』 2020年10月18日

牧師 高橋勝義

井戸のそばでアブラハムの老僕に会ったリベカは急いで家に帰り、自分の身に起こったことを母に知らせます。兄ラバンも妹リベカが身に着けている高価な飾り輪と腕輪を見て驚き、その理由を聞くとすぐに井戸へ走り、しもべを家に迎え入れます。

食事が用意される中、しもべは「私の用件を話すまでは、いただきません」と言い、促される中で、主人アブラハムから息子に親族の娘を妻に迎えるようにと命じられてここに来たこと、そして井戸のそばに着いた時、主人アブラハムの神に祈った祈りが聞かれ、リベカに出会い、主が旅を成功させて下ったと確信したことを話したのです。
兄ラバンと父ベトエルは、「主からこのことが出たのですから、私たちはあなたに良し悪しを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前におります。どうぞお連れください。主が言われたとおりに、あなたのご主人の息子さんの妻となりますように。」と答えます(創世記24:50,51)。

しもべは、彼らのことばを聞くやいなや、地にひれ伏して主を礼拝しました。

彼女の兄と母は、「娘をしばらく、十日間ほど私たちのもとにとどまらせて、その後で行かせるようにしたいのですが」としもべに願いますが、一刻も早く主人アブラハムのもとへ戻りたいしもべを前に、彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねます。
しもべの話にじっと耳を傾けていたリベカは、自分の身に起こったことが神から出たことであると悟り、堅く信仰に立ち「はい、行きます」と答えました。(創世記24:58)

「あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く。(申命記28:2)」

牧師コラム 『私の主人アブラハムの神よ』 2020年10月11日

牧師 高橋勝義

アブラハムの老僕は、その指示に従いイサクの妻を迎えるべく、主人のあらゆる良い品々とラクダ十頭を連れて、親族の住むナホルの町へと出発します。アブラハムは「天の神、主、はあなたの前に御使いを遣される」と力強く、彼を励まし、送り出しました。

目的地に到着したしもべは、夕暮れ時、町の外の井戸にらくだを伏させ、「私の主人アブラハムの神、主よ。~ この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。私が娘に、『どうか、あなたの水がめを傾けて、私に飲ませてください』と言い、その娘が、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたが、あなたのしもべイサクのために定めておられた人です。このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」と祈りました。すると、しもべがまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来たのです。

このリベカはアブラハムの兄弟ナホルの孫でしたが、彼女はしもべの祈り求めた通り、しもべにも、らくだにも水を飲ませ、立ち働きました。この姿から神が祈りに答えてくださり、旅を成功させてくださったと、分ったのです。(創世記24:10~27)

私たちの信じている天の父は、私たちが求める前から、私たちに必要なものをすでに知っておられるお方です(マタイ6:8)。「へたな鉄砲も数撃てば当たる」とばかり、願いを連発するのではなく、このしもべのように神に向かって、信仰に固く立ち、具体的に祈り求めることを神は待っておられます。

「ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。(ヤコブ1:6)」