牧師コラム 『偶像から自分を守りなさい』 2019年12月8日

牧師 高橋勝義

日本はすべてのものに神が宿ると考える多神教の国ですから、その信仰の対象は自然界から人間まで無限です。そして、その神々を「やおよろずの神」と表現し、「八百万の神」と書きます。これは数えきれないくらいの神々がいるという意味です。

聖書は、これら偶像について「見ることも聞くこともできず、食べることも嗅ぐこともできない、人の手のわざである木や石の神々[偶像] (申命記4:28)」である、そして人はこれらの偶像に仕え支配されている、と語ります。
ですから、ヨハネは「子どもたち、偶像から自分を守りなさい(Ⅰヨハネ5:21)」と命じます。なぜなら、偶像は、天と地と海、そして人間を造られた生けるまことの神から私たちを引き離し、さらには祟りなど恐怖心を植えつけて、私たちの心を縛るからです。しかし、それは人の手で作られた偶像にそのような力があるわけではなく、そこにサタンの力が働いているからなのです。

生ける神は、私たちを縛るサタンの支配から私たちを解放するために、御子イエス・キリストをこの世に送られました。キリストは、滅びに向かう私たちのすべてのと呪いの縄目を十字架で流された血潮によって断ち切ったのです。さらに十字架で死なれた後、墓に葬られましたが、三日目によみがえり、死に勝利されたのです。
このお方、イエス・キリストをからの救い主として信じる者は神の子とされ、サタンの支配から解放され、呪いや祟りから完全に自由にされた者となるのです。
偶像から離れ、イエス・キリストを信じることは、サタンに打ち勝つ秘訣なのです。

サタンに打ち勝つ力を与えるイエス・キリストの誕生を喜びお祝いしましょう。

牧師コラム 『死に至る罪』 2019年12月1日

牧師 高橋勝義

結核が「死の病」として恐れられていた時代が過去にはありましたが、今では薬で完治する病となりました。一方で人は、必ず死を迎えるのも事実です。
では体の機能がすべて停止した時、すなわち死を迎えた時に私たちの霊(魂)はどうなるのでしょうか。多くの人は、体は朽ちても霊(魂)は永遠に存在すると思っています。ですから死んだ後、霊(魂)はどこに行くのだろうかと不安を抱くのです。

神によって造られた初めの人には、まだ「」は存在しませんでした。

しかし、神の命令を破るを犯したために、肉体のと神との交わりが断たれる「霊的な死」の二つが入り込んできたのです。この二つの死を解決するために、神はイエス・キリストをこの世に遣わされ、私たちが犯したすべての罪をイエス・キリストに負わせ、十字架の上での処罰をされたのです。そして、この事実を受け取り、を認め、イエス・キリストを救い主として信じるすべての者に、「永遠のいのち」を与えると神は約束されたのです。

さてヨハネは「霊(魂)を死に至らせるについては、願うようにとは言わない(Ⅰヨハネ5:16)」と警告しています。これは、どういう意味なのでしょうか。

死に至るとは、「聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠のに定められます(マルコ3:29)」とあるように聖霊を否定するです。なぜなら、私たちを救いに導くのは、聖霊の働きによるもので、決して行いによるのではないからです。
すべて神の恵みです。今この時にも聖霊はイエス・キリストが救い主であることをあなたに語りかけています。この聖霊の声に耳を傾けてみませんか?

2019年11月7日 クラフト教室・支援報告 第193回

・日時:2019年11月7日
・参加者:7名
・奉仕者:仙台教会4名、石巻教会1名

製作:「エコテッシュケース」

チャペルタイム
「日本のマザ-・テレサ 井深八重」
賛美:「アメイジンググレイス」

今月の製作は「エコテッシュケース」。箱なしのテッシュがお洒落に治まる、壁掛けも可能な便利なケースです。製作ポイントの説明を聞いてから、それぞれスタート。楽しくおしゃべりに花を咲かせながらチクチク手を動かしましたが、ほとんどの方が時間内に完成し笑顔で記念写真に納まりました。

この日のチャペルタイムは日本のマザ-・テレサ井深八重のお話しでした。

明治30年(1897年)会津藩家老を勤めた井深家に生まれ、深窓のお嬢様として育った八重は同志社女学校を卒業し、英語教師として赴任した矢先にハンセン病と診断されます。3年後にこの診断はまったくの誤診だったことが判明するのですが、八重は静岡のカトリック教会が運営する神山復生病院に収容されます。そして絶望のどん底にいるはずの患者たちの穏やかな姿を通して、決して奪われることのない確かなものがあることを知り、院長のレゼ-神父に導かれイエス・キリストの救いの恵みに預かったのです。さらに、誤診が分かり帰宅が許された後も、レゼ-神父の患者たちに仕える姿から、ここで生きるのが自分の役割であると決心します。そして看護学校で学び、日本で最初のハンセン病患者を看護する看護婦となりました。看護の日々には逃げ出したくなるような戦いも一度や二度ではなかったそうですが、やがて「救ライ事業」に生涯を捧げた八重の苦労は世に認められ、ロ-マ教皇ヨハネ23世からの表彰、天皇から黄綬褒章を、さらに国際赤十字から看護婦の最高名誉ナイチンゲ-ル記章を受賞し、米国タイム誌に「マザ-・テレサに続く日本の天使」と紹介されました。後日、ハンセン病との誤診を受けたことについて彼女は「自分がここにいることは恵みです。神様からこの場を与えられたことを感謝しています。」と語っています。

クラフト教室の皆さんの心に神様が触れ続けてくださり、八重さんのように「決して奪われることのない確かなもの」を握られますように…。

『それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 (ロ-マ5:3~5) 』

 

 

 

 

 

牧師コラム 『キリストについての神の証し』 2019年11月24日

牧師 高橋勝義

裁判では証拠の有無が重要です。それが真偽を判断する根拠になるからです。そして、その証拠には物的証拠と証言による人的証拠とがあります。

ところで、聖書は「私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しはそれにまさるものです(Ⅰヨハネ5:9)」と語っていますが、神は一体何について証ししているのでしょうか…。それは、愛する一人子イエス・キリストをこの世に遣わされたこと、つまり神の私たち人間への愛です。
このお方は約2000年前、ユダヤのベツレヘムで生まれました。
そして、ご自分がこの世に来た目的について「人の子(イエス・キリスト)は、失われた者を捜して救うために来た(ルカ19:10)」と語っています。

本来、まことの神によって造られた人は、神とともに歩むはずでした。

ところが、神の命令を破り、神から離れ、背を向け、自分中心に生きるようになったのです。この歩みがであり、それゆえ人は「失われた者」になったのです。失われた私たちを再び神とともに歩む者にするために、キリストは十字架上で、私たちの身代わりとなっての刑罰を受けられたのです。
これこそ、私たちへの神の愛の証しです。また、キリストをからの救い主として信じる時、神との関係が修復され、神とともに歩むことが可能になるのです。
聖書では証人について、公平を期するために二人以上の証人による証言が求められています。ですから、神は物的証拠としてのイエス・キリストの誕生と十字架の贖い、さらに歴史上の証人という確かな証拠を私たちに示されたのです。

あなたも神のこの証しを受け入れてみては如何でしょうか?

牧師コラム 『信仰による勝利』 2019年11月17日

牧師 高橋勝義

ヨハネは、「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です(Ⅰヨハネ5:4)」と語りました。では「世に打ち勝つ信仰」とは、何でしょうか?
サタンの力の支配下にあるこの世には、罪と悪の楽しみが満ちています。
陰口や悪口、弱い者いじめ、ポルノ…良くないと分かっていてもコントロールができないのです。それは、まことの神から離れたすべての人間の姿、罪人の姿です。更に、さけては通れないも待ち受けています。

しかし、神は私たちのすべてのを愛するひとり子イエス・キリストに身代わりとして負わせ、十字架上で処罰されました。
信仰とは、この事実を自分のことと受け取り、を認め、告白し、キリストをからの救い主として信じること。更にキリストは、死んで墓に葬られ三日目によみがえられた、この事実を信じることです。
この信仰こそが、世に打ち勝つ勝利をもたらすのです。
心の中にある「憎しみ・恨み・嫉妬・妬み」などが、私たちの人生を狂わすのですが、これらを自分の力ではどうすることも出来ないのが私たち人間です。
ところが、キリストを信じる者の内には、聖霊がおられるので、聖霊の助けと励ましによって、に打ち勝つ力が与えられるのです。更にキリストを信じる者には、「永遠のいのち」が与えられるので、「」に対しても勝利できるのです。

人は、誰でも必ずを迎えます。このは、まことの神に背を向けたの結果ですが、十字架上でこのの刑罰を受けてくださったキリストを信じる者は、キリストが再びこの地上に来られる時、キリストを信じるすべての者とともによみがえるのです。
ですから、聖書は「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。(Ⅰヨハネ5:5)」と語るのです。

牧師コラム 『神が私たちを愛された』 2019年11月10日

牧師 高橋勝義

愛には、色々な種類の愛があります。恋愛の愛、それは相手に求める愛です。さらに家族や親友への愛、そこにはいとおしむ心が溢れ、犠牲をもいとわない…。
しかし、一方的で押し付けの愛になってしまうこともあります。恋愛も、親子の愛も、友情も、私たち人間の愛には限界があり、見返りを求めてしまう愛なのです。

けれども、ここにもう一つの愛があります。
それは愛するに値しない者をも愛し、ひたすら相手の利益のために一方的に与え尽くして下さる“神の愛”です。
聖書は、あなたに「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちののために、宥めのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)」と語っています。
「宥め(なだめ)のささげ物」とはを犯した者が、ささげ物によってゆるしを請うものです。神に造られ愛されていながら、その命令を破り、神から離れ、に支配されている私たちを、神は見捨てず、愛してやまないお方です。

しかし、神はきよく正しいお方でもありますから、私たちのは罰します。

それ故、神ご自身が、愛する一人子であるイエス・キリストを私たちののための「宥めのささげ物」として、十字架の上で処罰されたのです。これが、神の愛です。
神の愛は、罪人である私たちに対して、神が、自己を犠牲にして注ぐ「無償の愛・見返りを求めない愛」なのです。
「私は神を無視して生きてきた」と思うなら「神様、私を赦してください」と心の中で祈りましょう。そして、あなたのために惜しみなく愛を注がれる神と共に人生を歩んでみませんか。

牧師コラム 『真理の霊と偽りの霊』 2019年11月3日

牧師 高橋勝義

人間は、からだ(肉体)と霊(たましい)とを持つ存在です。
ではなぜ、人は霊(たましい)を持っているのでしょうか?
それは、神が《いのちの息》を人の鼻に吹き込まれたからです。
ご自身が“霊”なるお方である神は、ご自分と親しく交わることができるように、私たち人間に“霊”を与えてくださったのです。

ところで、ヨハネはこの世には「真理の霊と偽りの霊」があると語っています。

真理の霊は、イエス・キリストをからの救い主であることを明らかにし、キリストを信じる信仰へと導きます。「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません(Ⅰコリント12:3)」。
ですから、イエス・キリストを告白する霊がまことの神からのものである、と見分けられるのです(Ⅰヨハネ4:2)。これに反し、キリストを否定する霊は、反キリストの霊であり、偽りの霊です(Ⅰヨハネ4:3)。
この世には様々な霊があるので、その霊がまことの神からのものかどうか、吟味し、真理の霊なのか、それとも偽りの霊なのかを、よく見分けるように、とヨハネは促すのです。それは、まことの神との親しい交わりが失われないようにするためです。さらに、この世にあまた溢れる偽りの霊はキリストの十字架によって、すでに打ち破られているので、何も恐れる必要はありません。

私たちを愛し、大切なご自分のひとり子イエス・キリストのいのちをプレゼントして下さった、まことの神に心からの感謝を捧げ、賛美し、礼拝しましょう。