牧師コラム 『芳ばしい香り』 2020年4月5日

牧師 高橋勝義

神がノアに語られた通り、大雨は四十日四十夜降り続き、水がしだいに地の上から引いていったのは、百五十日の終わり頃でした。ノアの生涯の六百年目の第一の月に雨が降り始め、六百一年目の第二の月に、地はすっかり乾きました(創世記8:14)。
そして、ノアの家族と生き物は、箱舟から外に出ます。そこでノアが最初に行ったことは、祭壇を築き、その上で全焼のささげ物を献げたことです(創世記8:20)。

つまり、ノアは天地万物の創造主なる神を礼拝したのです。

主はその芳ばしい香りをかがれ、人の心の思い図ることが、たとえ悪であっても、「再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない(創世記8:21)」と言われたのです。
ところで、ここに記された「芳ばしい香り」とは、何でしょうか?
ノアはすべてを守って下さった神に感謝し、これから先の歩みも神がともにおられることを信じ、神を礼拝しました。神は、このノアの心と信仰を喜ばれたのです。
ですから、神はそれを「芳ばしい香り」と表現されたのです。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる(詩篇34:18)」とあるように、神は自分の内に潜む“罪”を認め、悔い改め(キリストの十字架は我が罪のためであると信じる)、謙遜に神とともに生きることを求めておられるのです。

牧師コラム 『モーセ物語~その4』 2020年3月29日

牧師 栗原延元

前回(2019年12月29日)の礼拝では旧約聖書「民数記」を学びました。今回は民数記に続いて、モーセ五書の「申命記」を学びます。
「申」とは「もうす」の意味で、申命記とは、モーセが約束の地カナンに入る前に、イスラエルの民に再度命じた律法書です。

この書物は、キリスト教の人生篇です。それを端的に言い表しているフレーズが「人はパンだけで生きるのではない。人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8章3節)です。このことをわからせるために、出エジプトの民は、40年間、荒野を旅したのです。
荒野での40年間、主はイスラエルの民に食べ物として「マナ」を過不足なく与え続けました。肉が食べたいと叫ぶときには、とり肉(うずら)を与えました。飲み水が苦いという民には、苦みのない水を与えました。このように神はイスラエルの民を養い続けました。単に生活必需品をようやく満たしたというのではなく豊かに与え続けられたのです。このことが申命記8章4節にこう描かれています。〈この四十年間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。〉と。
この故事を受けて、主イエスは空の鳥を見よ!野のユリの花を見よと語っておられるのです。

牧師コラム 『箱舟は水面に漂った』 2020年3月22日

牧師 高橋勝義

旅先で思わぬ出来事が起こり、何日も足止めされたりしたら困ってしまいます。足止めが解除されるのを、じっと待つしかありません。

さて、ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、箱舟の中に入ります。
すると、【主】は彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
そして、大雨は四十日四十夜、地に降り続き、水かさが増して箱舟を押し上げたので、箱舟は地から浮き上がったのです。(創世記7:17)
箱舟が水面に浮きあがったということは、地のすべては水の中に沈んだことになります。そして水は、百五十日の終わりに減り始めたのです。
しかし、いつ頃地が乾き、外に出られるのか、見当もつきません。

この間、ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中でともに生活することになります。毎日、ノアの家族は生き物たちの世話でてんてこ舞いだったことでしょう。

心の中には不安もあったことでしょうが、すべて神が語られた通りであることを見てきたノアは、神である主に信頼し、大地が乾く日を期待して待ったのです。どんな状況に置かれても、神である主に信頼し、神を待ち望む信仰が大切なのです。

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(へブル10:36)」と語られている通りです。

牧師コラム 『神である主が戸を閉ざされた』 2020年3月15日

牧師 高橋勝義

近頃の住宅扉は鍵を使わず「カードキー」や「スマホ」で鍵を開閉し、雨の日や荷物のある時とても便利です。また病院や店舗では自動ドアが普通になっています。

さて、地に増え広がった人間が堕落した姿に心を痛めた神は、すべての生き物を滅ぼすことを決め、【主】の心にかなっていたノアに「ゴフェルの木で箱舟を造りなさい」(創世記6:13,14)と命じます。
そして、ノアはすべて神が命じられたとおりに行ったのです(創世記6:22)。
人々は、ノアから箱舟を造る理由を聞いていましたが、誰一人として信じませんでした。箱舟が完成すると、神はノアに「あなたの家族とすべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取り、箱舟に入るように (創世記7:1~3) 」と命じます。ノアはすべて命じられたとおりに行い、そして彼も箱舟に入りました。

すると【主】が、彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
神が閉ざされたならば、誰もその扉を開けることはできません。

今、キリストを罪からの救い主として信じ、神と共に歩むことができる「扉」は開かれています。しかしこの救いの扉も、思いがけない時、突然、閉じられます。
ノアの時代の人々のようにならないために、救いの扉の中に入ってみませんか?
「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2)。

牧師コラム 『箱舟を造りなさい』 2020年3月8日

牧師 高橋勝義

子どもの頃、「ポンポン船」を作って遊んだことがあります。とても簡単な仕組みですが、「ポンポンポン」と音を立て、勢いよく水の上を走ります。

さて、人々は神を忘れ、神に背を向け、堕落していきました。
そのような中で、たった一人、神に従って暮らすノアという人がいたのです。
神は、このノアの家族を救うことによって人類の再出発を計画されました。
そして神は、ノアに「見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。(創世記6:13,14)」と命じます。

箱舟の大きさは、長さ約132m・幅約22m・高さ約13.2メートルです。

ノアの時代には大型重機などなく、すべて手作業であり、働き手はノア夫婦、息子三人とその妻の合計8人です。「ポンポン船」を造るのとは、けたが違います。
ノアは、すべて神が命じられたとおりに行ったのですが(創世記6:22)、彼らの箱舟造りは、周囲の人々の目にはどのように映ったのでしょうか?
ノアは、信仰によって、まだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造ったのです(へブル11:7)。
神を信じて歩むことは、時として、この世の歩みからの決別でもあります。

「神のみこころを行う者は永遠に生き続けます(Ⅰヨハネ2:17)」

2020年2月20日 クラフト教室・支援報告 第196回

・日時:2020年2月20日
・参加者:12名
・奉仕者:仙台教会4名、石巻教会1名
・製作:「 撥水加工生地で作る着替えバッグ (1回目) 」

・チャペルタイム
「 逆境の時にも 」
賛美:「明日を守られるイエス様

聖書:「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。 (詩篇46:1)」

今月と来月は、日帰り温泉や小旅行に便利な撥水加工生地を使ったバッグの製作です。二ヶ月かけての製作ですから、ゆっくりと手を動かすことができました。
バッグの内側は取り外して、そのまま洗濯機に入れられるようになっていて「なるほど…」と感心しました。JR女川の駅舎には温泉「ゆっぽ」が併設されており、地元の方が年間チケットを購入されるほどの評判の温泉です。バッグを間違わないように目印をつけなくては…と、笑いが起こりました。あの日から9年の笑い声です。
この日のお話しは遠くアメリカの話、しかし、私たちの人生にも重なるものでした。
アメリカ・アラバマ州エンタープライズ市は綿花栽培で有名な街でした。ところが、二十世紀初頭、突然「ワタミハナゾウムシ」という害虫が大発生し、大打撃を受け、最も裕福な地域から最も貧しい地域になってしまいました。人々は涙して神に祈り、神に信頼して、大切な綿花畑を掘り起こし、そこにピ-ナッツやアーモンドを植えたのです。
そして、これらのもので収益を得るようになっていったのです。ちょうどその頃、世の中には安価な化学繊維が出回り、綿花の需要が減り、綿の栽培に頼っていた他の州は大きな打撃を被りましたが、アラバマ州はすでに繁栄を味わっていました。
神様は彼らの涙の祈りに答えて下さり、事態をひっくり返し、恩恵をもたらしてくださったのです。私たちの人生にも、「ワタミハナゾウムシ」に蝕まれるようなことがあるかも知れません。しかし、どんな時にも神は私たちを守り、救ってくださるお方です。神様は私たちが祈ることを待っておられます。

「 神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。(聖書)」

牧師コラム 『人の齢は百二十年』 2020年3月1日

牧師 高橋勝義

あなたはご自分の人生を、何年ぐらいあればいいなと思っておられるでしょうか。

神は「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。(創世記6:3)」と言われました。
あなたにとって齢百二十年は、長いでしょうか、それとも、短いでしょうか…。
神は人の齢を百二十年と定めましたが、実はここに愛が詰まっているのです。
それは定められた百二十年の先には必ず“”があり、誰もがそれを意識し自らの人生を考えるようになるからです。なぜ、死があるのか。また死後どうなるのか。

聖書は、「罪の報酬は死です。しかし神の賜物(プレゼント)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)」、また「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9:27)」と語ります。
この罪とは、私たちを造られた創造主なる神に背を向け、自分勝手な歩みをすることです。その結果、争いが絶えない世界になりました。

しかし、私たちを愛してやまない神は、キリストによる希望と救いの道を開いてくださいました。キリストの十字架の赦しを受け取り、罪を悔い改める期間(チャンス)を設けてくださったのです。それが、人の齢を百二十年にした理由です。

「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」

牧師コラム 『慰め、そして希望』 2020年2月23日

牧師 高橋勝義

 初めの人アダムの子孫レメクは、自分に生まれてきた男の子を“ノア”と名づけ、「この子は、【主】がのろわれたこの地での、私たちの働きと手の労苦から、私たちを慰めてくれるだろう。(創世記5:29)」と語りました。

 なぜ、大地はのろわれたのか。それは、アダムの長男カインが、弟アベルを野に連れて行き、殺してしまったからです。しかし、それはアダムとエバが、食べてはならないと命じられていた神の命令を破り、罪が人間の中に入ってきたからです。この時、神はアダムに「顔に汗を流して糧を得ることになる(創世記3:19)」と言われました。

 人々は、神に従わない“罪”がもたらす苦しみとその重さを知り、うめき苦しんでいたのです。レメクは、息子ノアにこの地に慰めを与える人になって欲しい、と期待したのでしょう。事実、地は暴虐で満ちていたにもかかわらず、ノアは「正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であり、神とともに歩んだ(創世記6:9)」のです。
 ですから、神はこれからなさろうとしている計画をノアに打ち明け、神のご計画のために彼を用いたのです。そして、彼はのちの人々の慰めとなり、希望となったのです。

 「あなたが、あなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたについて行く(申命記28:2)」と約束されている通りです。
 あなたも周りの状況に影響されず、神とともに歩むならば、ノアのように神はあなたを用いて、人々に慰めと希望を与えるのです。

牧師コラム 『主の名を呼ぶ』 2020年2月16日

牧師 高橋勝義

人は自分の力ではどうにもならないことに遭遇すると、あらゆる神々や仏、更には亡くなった人にまで助けを祈り求めますが、動物が祈っている姿は見たことがありません。

神を探し求め、祈るのは、私たちが神の似姿に造られた特別な存在だからなのです。聖書には人が神に祈り始めた時のことが、「そのころ、人々は【】の名を呼ぶことを始めた。(創世記4:26)」と記されています。

では、人々がその名を呼んだお方、【】とは、どのようなお方なのでしょうか。

モーセが神に「イスラエルの民に神の名を聞かれたら何と答えればよいのか」と、尋ねたとき、神は「『わたしはある』という者である(出エジプト3:14)」と答えられました。それは『はじめから永遠に至るまで存在する生ける神である』という意味です。【】の御名を呼ぶということは、【】がどのようなお方なのか、分かっていて祈るわけですから、決して「イワシの頭も信心から」とは異なります。

ですから【】の御名を呼ぶのは、『自分の弱さをすべて知っておられる神に信頼し、あなたに従って歩みます。そして、すべてを神に感謝します。』という信仰告白の祈りなのです。
神である主は、私たちを愛し、私たちとともに歩まれるお方なのです。
そのお方が『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)』と語っておられます。