牧師コラム 『わたしは全能の神』 2021年4月11日

牧師 高橋勝義

ヤコブは息子たちの起こした虐殺と略奪事件によって、窮地に立たされました。しかし神は、この根絶やしにされる危機のさなかに、「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記35:1)とヤコブに仰せられたのです。神はヤコブが曖昧にしてきた偶像礼拝と不品行の地から「立って」、ベテルに上るように命じられたのです。ヤコブは家族に異教の神々を取り除くように命じ、ベテルに上って行きます。神からの恐怖が周りの町々に下り、彼らの後を追う者は誰一人いませんでした。

「ベテル」は昔、ヤコブが兄から逃れ故郷を出たときに、神が現れてくださった場所です。

彼は家族とともにベテルで、再び祭壇を築いて神を礼拝したのです。また、ヤボクの渡しで神はヤコブに現れ、彼の名を「イスラエル」としましたが、神はその名を呼び、さらに「わたしは全能の神である。~あなたの後の子孫にも、その地を与えよう。」(創世記35:10~12)との約束を加え、ヤコブを祝福してくださったのです。

神はヤコブの不信仰からくる優柔不断を責めるどころか、むしろ、ご自身の約束が全く変らないことを彼にはっきりと示されたのです。このことによって、ヤコブは、全能の神があわれみ深く情け深く、怒るのに遅く恵み豊かなお方(詩篇103:8)であることを知ったのです。私たちの信じる神、そして私たちとともに歩んでくださる神は、まさにこのヤコブが見上げる神なのです。

「私は主に申し上げよう。『私の避け所私の砦私が信頼する私の神』と。」(詩篇91:2)

牧師コラム 『聖 さ』 2021年4月4日

牧師 高橋勝義

ヤコブは神様が戻りなさいと言った場所であるベテルではなく、その手前のシェケムにとどまり、その土地を買いました。そこからヤコブの家族とその地の人々との交流が深まり、娘ディナが、ハモルの子シェケムに辱められるという悲惨な出来事が起きてしまったのです。

ディナを慕い「どうか、あの人を私の妻に下さい」と懇願するシェケムに、激しく憤るヤコブの息子たちは、シェケムとその父をだまそうと考え、神の民のしるしである割礼を受けなければ、私たちの妹を嫁がせることはできないと告げます(創世記34:12,13)。ハモルと息子シェケムは、この提案に同意し、さらに町の人々を説得し、町の男たちはみな割礼を受けたのです。ところが、男たちの傷が痛む三日目、ディナの兄シメオンとレビは剣を取ってその町を襲い、すべての男たちを殺し、その町を略奪してしまいます(創世記34:25~29)。

 割礼がアブラハムと結んだ契約のしるし(創世記17:4~10)であり、イスラエル民族への神の民のしるしです。それをヤコブの息子たちは復讐の手段にしてしまったのです。

ヤコブは、ハモルの提案や息子たちが割礼を持ち出したことに対して、何も言っていません。恐らく、一族が根絶やしにされることを恐れたからでしょう。(創世記34:30)しかし、このあいまいな態度が、“神の聖さ”をないがしろにしてしまったのです。

聖書は「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである。(レビ記20:26)」と教えています。ですから「自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださる(Ⅰヨハネ1:9)」この約束を信じ、“神の聖さ”を汚す罪をそのままにせずに歩み続けましょう。

牧師コラム 『心のゆるみ』 2021年3月28日

牧師 高橋勝義

兄エサウと和解したヤコブは兄のいるセイルへは行かず、スコテへ移動し、自分のための家を建て、家畜小屋を作ります。さらに彼はそこからカナンの地にあるシェケムの町に無事たどり着き、その町の手前で宿営し、天幕を張った野の一画を、シェケムの父ハモルの息子たちの手から「百ケシタ」で買い取ったのです(創世記33:19)。

アブラハムは、「あなたの子孫にこの地を与える(創世記12:7)」との神の約束を堅く信じて、妻を埋葬するための墓以外、土地を買い求めてはいません。イサクも同じでした。

長年の寄留生活と心の重荷(兄との和解)からの解放がヤコブの心のゆるみとなり、「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい(創世記31:3)」と言われた神の命令に従わず、この世の安定を求める思いから土地を買い求めることとなったのです。

この地に定住したヤコブの家族や子どもたちは、当然シェケムの町の人々と行き来することとなり、このことが、後に大事件を引き起こすことになりました。ある日、若く無防備な娘のディナは、その土地の娘たちを訪ねようと出かけて行き、その土地の族長であるヒビ人ハモルの子シェケムに捕らえられ、辱められたのです(創世記34:2)。ディナを慕うシェケムは、「どんなに高い花嫁料や贈り物であっても、おっしゃる通りにしますから、どうか、あの人を私の妻に下さい」と懇願するのです(創世記34:12)。

私たちも日々イエス様に照準を合わせていないと、信仰の歩みから外れてしまいます。「愛する者たち、私は勧めます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」(Ⅰペテロ2:11)

牧師コラム 『地にひれ伏すヤコブ』 2021年3月21日

牧師 高橋勝義

兄に対する恐れから神の前に一人出て夜明けまで祈りの格闘をしたヤコブでしたが、執拗に神に祝福を願って食い下がります。ついに神は、彼の強い自我を打つためにももの関節を打ちます。そしてヤコブ(押しのける)に「イスラエル」の名を与えます。

祈り終えたヤコブは、足を引きずっていましたが、神は最善を成してくださると信じ、このお方にすべてをゆだねる信仰へと導かれていました。

当初、ヤコブは陣営を二つに分け「自分の先に行く贈り物で兄をなだめ、その後で兄と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない」と考え、自分は最後尾にいる計画を立てていました。しかし、神に自我を砕かれ、自分の力で生きる者から神に信頼して歩む者、へりくだった者に変えられ、自ら家族の先頭に立ち、何と、兄エサウに近づくまで七回も地にひれ伏しながら歩んだのです(創世記33:3)。

エサウは走って来て、弟を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣きました。20年という歳月によるエサウの心の変化もさることながら、足を引きずりながら敬意と真心をもって何度も地にひれ伏すヤコブの姿に、兄は迎えに走ったのでしょう。すべては神のあわれみです。そして兄へのなだめの贈り物は、兄の好意に感謝する贈り物となりました。こうしてヤコブは、神に信頼し従う歩みの幸いと神の恵みの深さを知ったのです。

エサウは、その日、セイルに帰りました。そしてヤコブは、ここから新たな一歩を踏み出したのです。

「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(Ⅰペテロ5:6)

牧師コラム 『人生の分岐点』 2021年3月14日

牧師 高橋勝義

兄との再会に向けて、ヤコブは贈り物など周到な準備をしますが、不安と恐れは全く解消されず、『わたしはあなたを幸せにする』と言われた神の約束にすがって必死に祈りました。

兄エサウに会う時が近づき、ヤコブは贈り物と一緒に家族を先に行かせます。それは神ご自身からの確かな保証を得るために、の前にひとり出て祈るためでした。ヤコブは神に祈りますが、この祈りの格闘は夜明けまで続きました(創世記32:24)。名が「押しのける」の意味の通り、ヤコブは自我が非常に強く、我を張り続けるために神は彼のももの関節を打ちますが、それでも彼はしぶとく祝福を求め続けました。

ヤコブと戦ったお方は「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエル(神は争われる)だ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」(創世記32:28)」と言われました。

『人と戦って、勝ったからだ』とは、ヤコブの戦いの真の相手は自分自身、すなわち彼は自我と戦い、その自我が打ち砕かれたのです。「どうか、あなたの名を教えてください」と願うヤコブに、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言い、その場で彼を祝福したのです。(創世記32:29)ももの関節を打たれた彼はこの時から、足を引きずるようになり、杖にすがる人生、神に頼る人生に変えられました。すなわち自分の弱さをありのまま受け入れ、自分の力で歩む人生から心から神に聞き従う信仰者の歩みをする者に造り変えられたのです。
それゆえ、ここが彼の人生の分岐点となったのです。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)」

牧師コラム 『ヤコブの策と祈り』 2021年3月7日

牧師 高橋勝義

二十年の時が過ぎたとはいえ、ヤコブには兄エサウの怒る姿が昨日のことのように思い出され、故郷が近づくにつれ恐れは膨らんでいきました。そして彼は兄エサウの怒りをなんとか鎮めるために必死に知恵を絞り、前もって兄に使いを送ることにしたのです。

しかし、その使者の報告は「あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」(創世記32:6)というものでした。

この報告を聞き、さらに恐れが増し不安に襲われたヤコブは宿営を二つに分け、「たとえエサウが一つの宿営にやって来て、それを打っても、もう一つの宿営は逃れられるだろう(創世記32:8)」、「自分の先に行く贈り物で彼をなだめ、その後で彼と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない」と新たな策を練りました。しかしどんな策も不安と恐れを解消することはできず、ついに彼は切なる祈りへと導かれたのです。自分は神の恵みとまことを受けるに値しない者であることを素直に認め告白し、しかし「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた【主】よ。」(創世記32:9)と神の約束にすがったのです。

私たちは計画を立てるとき、様々な場面を想定し、考慮しながら計画を進めます。それは不測の事態に対処するためであり、計画を成功させるためです。しかし、どんなに練られた計画であっても想定外という不安や恐れを消すことはできません。
ヤコブも同様でした。それ故、彼はここまで自分を導いてくださった神の約束にすがり必死に祈ったのです。

「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」(箴言16:3)

牧師コラム 『神を恐れよ』 2021年2月28日

牧師 高橋勝義

伯父ラバンに仕えたヤコブの20年間は、言葉たくみにだまされ続けた日々でしたが、神がともにおられたので、彼は多くの財産を得ることができました。そして神の促しの中で、生まれ故郷に向かって逃げるように出発したのです。しかしラバンにしてみれば、これは許しがたい行為で、怒り心頭でした。ところが、神はラバンに「あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい」(創世記31:24)と夢で忠告されたのです。一発触発の危機はこうして避けられ、ラバンはヤコブと契約を結ぶことを提案します。ヤコブの信じている神によって自分の財産が増えたことを知っている彼は、この神を敵に回すのは賢明ではないと判断したからです。

お互いに石の柱を立て、この石塚を超えない約束を、ラバンは彼らの父祖の神に、ヤコブは父イサクの恐れる方にかけて誓いました。この後、ヤコブは神に感謝の礼拝をささげます。ラバンは孫と娘たちに口づけし、彼らを祝福してから、自分の家へ帰ったのです。

ヤコブはこれらの出来事から「決してあなたを捨てない(創世記28:15)」と語られた神の約束の真実、さらに神の愛と恵みに守られていることをより深く知ることとなったのです。アブラハムが神の約束を堅く信じ、神を恐れて歩む姿は、イサクに、そして、ヤコブへと確実に引き継がれていったのです。その証拠に、ラバンとの契約を結ぶ時、ヤコブは父イサクの恐れる方にかけて誓っています。

聖書は「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。(伝道者の書12章13,14節)」と語っています。

牧師コラム 『すべてを知っておられる神』 2021年2月21日

牧師 高橋勝義

ヤコブは二人の妻や子ども達、そして全財産を持って生まれ故郷へ出発します。しかしそれは義父ラバンには内緒の行動でした。三日目にヤコブが逃げたと知らされたラバンは、身内の者たちを率いて七日の道のりを追い、ギルアデの山地でヤコブに追いきます。

その夜、神は夢でアラム人ラバンに現れ「あなたは気をつけて、ヤコブと事の善悪を論じないようにしなさい (創世記31:24) 」と忠告したのです。翌日、ヤコブを前にしたラバンは、なぜ自分を欺いて逃げたのかと、ヤコブを責めますが、彼に危害を加えることはしませんでした。それは前夜、ヤコブの神が自分に現れ、警告されたからです。

そこでヤコブは、これまでの自分に対するラバンの理不尽な行為を非難しますが、「もし、私の父祖の神、アブラハムの神、イサクの恐れる方が私についておられなかったなら、あなたはきっと何も持たせずに私を去らせたことでしょう。神は私の苦しみとこの手の労苦を顧みられ、昨夜さばきをなさったのです。(創世記31:42)」と語ったのです。神は「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(創世記28:15)」とヤコブに約束された通り、ヤコブを神が守られたのです。

これは同時に、本当に人をさばくことができるお方は、聖書が語る“神”以外にはおられないことを示しています。それは「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。(ヘブル4:13)」とあるからです。
人の目を気にし、人を恐れるのではなく、すべてを知っておられる神を畏れ、どんな時も自分は神の前に立っているのだと意識して歩むことが大切なのです。

牧師コラム 『あなたの父たちの国に帰りなさい』 2021年2月14日

牧師 高橋勝義

無一文で叔父ラバンの所に来たヤコブでしたが、今や神の恵みと守りにより、多くの財産と男女の奴隷を持つようになりました(創世記30:43)。しかし、ラバンとラバンの子どもたちは、ヤコブが自分たちのものを取って富を得たと思っていました。

かつて「あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る(創世記28:15)」と、ヤコブに約束された神は、「あなたが生まれた、あなたの父たちの国に帰りなさい。わたしは、あなたとともにいる。(創世記31:3)」とその時が来たことを彼に告げました。

ヤコブは、すぐラケルとレアを呼び寄せ、義父ラバンの態度が以前のようではなく、自分を欺き、報酬を何度も変えたが、神は自分に害を加えることを許さず(創世記31:7)、「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た(創世記31:12)」と言ってくださり、さらに、神の使いが「さあ立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい(創世記31:13)」と語られたことを話しました。ラケルとレアも「さあ、神があなたにお告げになったことを、すべてなさってください(創世記31:16)」と答えます。

キリストを罪からの救い主と信じるすべての人は、神の民、アブラハムの子孫とされ、ヤコブへの約束はキリストを信じるすべての人に及ぶ約束です(ガラテヤ3:26~29)。さらにその歩みを神がすべて見ておられるというのですから、何も恐れることはないのです。

それゆえ、私たちは、この神に心からの感謝と喜びをもって従うことができます。   「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています(ローマ8:28)」

牧師コラム 『ヤコブの計画』 2021年2月7日

牧師 高橋勝義

ヤコブは14年間伯父ラバンに仕え、この間に男子11人と女子1人が与えられました。そして「私を去らせて、故郷の地へ帰らせてください(創世記30:25)」と、ラバンに訴えます。神がヤコブを祝福し、それゆえ自分の財産が増えていることを知っているラバンはヤコブを引き留めるために報酬を尋ねます。そこでヤコブは、「ぶち毛と斑毛の羊とやぎをすべて、子羊の中では黒毛のものをすべて、それらを私の報酬にしてください(創世記30:32)」と願います。本来やぎは濃い茶色か黒、羊は白が一般的ですから、ヤコブの要求は少数です。

要求に合意はしたものの疑い深いラバンは、ヤコブに与える斑毛の羊とやぎ、黒毛の子羊のすべてを自分で取り分け、自分の息子たちに手渡し、自分の群れとヤコブの群れとの間に三日分の距離をおいたのです。ヤコブはラバンの残りの群れを飼いましたが、彼は弱い羊とやぎはラバンのものに、強いものは自分のものになるように工夫し、その結果「このようにして、この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、それにらくだとろばを持つようになった(創世記30:43)」のです。しかし、無一文で転がり込んできたヤコブが多くの財産を持つようになり、ラバンやその息子たちは、ヤコブに不信感を抱くようになったのです。

私たちの立てる計画には、必ず様々な思惑が入っています。しかし、その思惑が外れ、事が思わぬ方向に進み、窮地を招くと、私たちは狼狽してしまいます。

神は、このような窮地の時こそ「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る(イザヤ30:15)」と私たちに語っておられます。真の助けは、まことの神から必ずくるからです。