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〔民数記8章5~26節〕
神は主の会見の天幕奉仕のためにレビ人をとりわけ、彼らをきよめるようにモーセに命じ、祭司アロンは彼らを奉献物として主の前に献げ、彼らのための宥めを行い、きよめました。こうして、レビ人は主の会見の天幕奉仕の任務に就き、民はレビ人の上に手を置き、彼らに神に仕える働きを託したのです。神はレビ人以外のイスラエルの子らは聖所に近づいてはならないと命じましたが、それは民にわざわいが及ぶことのないようにするためでした。
聖書は、イエス様を罪からの救い主と信じる私たちは祭司としての務めを担う者として召されている(Ⅰペテロ2:9)と語ります。祭司の役目とは、人々の罪の贖いをすることですから、神は私たちにイエス・キリストによる罪の赦しを人々に伝えてほしいと願っておられるのです。また、神に仕える祭司がきよさを求められたように、祭司とされた私たちにもきよくあることを求めておられます。パウロは「あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(ローマ6:13)」と語ります。
ですから、私たちは「だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか隠れた罪から私を解き放ってください。」(詩篇19:12)とあるように、日ごと神の前に出て正直に祈ることが大切なのです。そうすれば聖霊が罪を示し、悔い改めへと導き、私たちは主の十字架の血潮により、すべての罪からきよめられて(Ⅰヨハネ1:9)、祭司としての務めを果たせる者にさせていただけるのです。
「神よ私にきよい心を造り揺るがない霊を私のうちに新しくしてください(詩篇51:10)」