今日のメッセージ 『あなたの歩みを見守っておられる神』 2026年3月29日

 牧師 高橋勝義

〔申命記2章1~23節

 イスラエルはカデシュ・バルネアから向きを変え荒野に戻りましたが、主に逆らった世代は、主が語られたとおり宿営のうちから絶えました。そして出エジプトから四十年後、約束の地に入る時がきました。神はセイル山の周りから北に向きを変えるように命じます。だだし、エサウの子孫であるモアブ、またロトの子孫であるアンモン人の地は避けるようにと命じたのです。それは神が、その地を彼らに所有地として与えておられたからです。

 そして、神はイスラエルの新しい世代に「事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。」ことを告げます。人々は、このことばにうなずいたことでしょう。神は、いつでも、どんなときにもあなたがたとともにおられることを心にとめて約束の地に入るようにと諭したのです。

 「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」のみことばが思い出されます。しかし、私たちは辛く苦しい時、「主よ、どうして私を助けて下さらなかったのですか」とつぶやいてしまうのも事実です。しかし神はあなたに「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ46:4)」と語っておられます。神はあなたの歩みを見守っておられるのです。

 「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。(詩篇119:18)

今日のメッセージ 『あなたの心を照らすまことの光』 2025年12月21日

 

牧師 高橋勝義

〔ヨハネの福音書1章9~13節〕

 暗闇の中に灯る“ひかり”は、私たちに希望と勇気を与えます。あそこにたどり着けば助かると思えば、疲れ果てたからだに新なエネルギーが注ぎ込まれ、折れる心が奮い立ち、重い足も前へ前へと進みます。私たちは今、目まぐるしく変化する社会情勢、さらに、あらゆる情報に振りまわされ、先が見通せない中で生きています。ですから、人生においても、自分を導いてくれるひかりを必要としているのではないでしょうか。

 聖書は、「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた」と語っています。事実、まことの光イエス・キリストは、あなたのところに来てくださいました。人間の願いや誰かの意志によるのではなく、「神によって生まれた」のです。実は、ここがとても重要なことなのです。それは、ここに私たちを思う神の愛が表されているからです。

 しかし、神の思いとは裏腹に、私たちは自分中心で、私たちを造られたまことの神ではなく、御利益を求めて偽りの神々のところに出向いています。このことを聖書は「この方(イエス・キリスト)はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった」と記しています。けれども、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった(ヨハネ1:12)」のです。

 この特権を与えるために、キリストは、私たちの罪を身代わりに負い十字架で死なれ、その名を信じた者にだれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなる(Ⅱコリント5:17)」との約束をお与えになったのです。

 クリスマスはまことの光キリストがこの地に来られた喜びの時なのです。

今日のメッセージ 『キリストはあなたを捜し救うために来た』 2025年12月7日

 牧師 高橋勝義

〔マタイ12章38~42節

 律法学者、パリサイ人たちからメシア(救い主)の「しるし」を求められたイエス様は、「しるしは与えられない、ただし預言者ヨナのしるしは別です」と答えました。これは、ご自身が十字架の上で死なれ、葬られ、三日目によみがえることを示されたのです。弟子たちにも、このことをはっきりと語っています(マタイ16:2)。彼らがイエス様にしるしを求めたのは、イエス様がメシヤであるならば、それが分かるような天からの神秘的な現象があるはずだ、と考えていたからです。しかし、イエス様は、多くの病人を癒し、悪霊を追い出していました。それゆえ、「たとえわたしが信じられなくても、わたしのわざを信じなさい(ヨハネ10:38)」と語られたのです。これらは人間にはできないことであるにもかかわらず、彼らは自分たちの立場を守るため、その事実を受け止めようとしなかったのです。

 これまで自分が築き上げた地位や名誉を守ろうとするのは、誰もが持っている思いであり、私たちの中にも同じ思いがあることは否定できません。

 イエス様は、ユダヤ人ならば誰もが知っている預言者ヨナの話しから、ご自身がこの世に来られた目的を解き明かされたのです。それゆえ、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように(ヘブル3:15)」と警告されています。聞いたみことばが益とならず、みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられずに終わってしまうことのないようにしましょう(ヘブル4:2)。

 「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。(ルカ19:9,10)

今日のメッセージ 『神の前に襟を正す』 2025年6月22日

 牧師 高橋勝義

〔民数記16章1~35節〕

 約束の地を目前にしながらもイスラエルは不信仰の結果、神の怒りを招きますが、モーセのとりなしで荒野で四十年を過ごすこととなりました。そのような中、レビ族のコラとルベン族のダタンとアビラムおよびオンは、族長や名のある者たち二百五十人と共謀し、モーセとアロンに、「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか」と言いがかりをつけたのです。これを聞いたモーセは、御前にひれ伏し、コラとそのすべての仲間に、「火皿を取り、明日、主の前でその中に火を入れ、その上に香を盛りなさい。主がお選びになるその人が、聖なる者である。レビの子たちよ、あなたがたが分を超えているのだ。」と告げました。そして神は、コラに属するすべての者の足もとの地面を割き、彼らは地中に、また、香を献げていた二百五十人も焼き尽くしました。彼らは指導権を握ろうとしたのですが、しかし、これは神の主権に立ち入るという大きな罪を犯したのです。

 聖書は「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。(ローマ13:1)」と語りますが、世の中は理不尽だらけで日々葛藤の連続です。しかし、「神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。(ヘブル4:13)」と語られているとおり、「神は、人の行いに応じて報いをし、それぞれをその道にしたがって取り扱われる(ヨブ34:11)」お方です。

 ですから、私たちも主の御前に自らの襟を正して、日々忠実に歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『正直な祈り』 2025年3月2日

 牧師 高橋勝義

〔民数記8章5~26節〕

 神は主の会見の天幕奉仕のためにレビ人をとりわけ、彼らをきよめるようにモーセに命じ、祭司アロンは彼らを奉献物として主の前に献げ、彼らのための宥めを行い、きよめました。こうして、レビ人は主の会見の天幕奉仕の任務に就き、民はレビ人の上に手を置き、彼らに神に仕える働きを託したのです。神はレビ人以外のイスラエルの子らは聖所に近づいてはならないと命じましたが、それは民にわざわいが及ぶことのないようにするためでした。

 聖書は、イエス様を罪からの救い主と信じる私たちは祭司としての務めを担う者として召されている(Ⅰペテロ2:9)と語ります。祭司の役目とは、人々の罪の贖いをすることですから、神は私たちにイエス・キリストによる罪の赦しを人々に伝えてほしいと願っておられるのです。また、神に仕える祭司がきよさを求められたように、祭司とされた私たちにもきよくあることを求めておられます。パウロは「あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(ローマ6:13)」と語ります。

 ですから、私たちは「だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか隠れた罪から私を解き放ってください。」(詩篇19:12)とあるように、日ごと神の前に出て正直に祈ることが大切なのです。そうすれば聖霊が罪を示し、悔い改めへと導き、私たちは主の十字架の血潮により、すべての罪からきよめられて(Ⅰヨハネ1:9)、祭司としての務めを果たせる者にさせていただけるのです。

 「神よ私にきよい心を造り揺るがない霊を私のうちに新しくしてください(詩篇51:10)」

今日のメッセージ 『闇の中に輝く光』 2025年2月23日

 牧師 高橋勝義

〔民数記8章1~4〕

 神は幕屋建設の中で、モーセに純金の燭台を作るように告げ(出エジプト25:31)、民に燭台のともしび皿に質の良い純粋なオリーブ油を持って来させるように命じ、祭司アロンとその子らは、会見の天幕の至聖所の外側で、夕方から朝まで主の前にそのともしびを整える。これがイスラエルの子らが代々守るべき永遠の掟である、とされたのです(出エジプト27:20,21)。

 祭司アロンが燭台にある七つのともしび皿に火をともすと、真っ暗な聖所の中は、それによって光り輝きました。その聖所の輝きは、「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた(ヨハネ1:9)」とあるように、神の時が満ちて、神のひとり子イエス・キリストが、この世に来てくださったことをさし示しています。イエス・キリストは、罪に支配され暗闇の中を歩んでいる私たちのすべての罪を身代わりに負ってくださり、十字架の上で死なれ、さらに三日後によみがえり、私たちを暗闇から光の歩みへと導いてくださるのです。

 この事実を受け取り、キリストを罪からの救い主と信じるとき、私たちは神の子ども(ヨハネ1:12)とされ、さらに、光の子どもとしての歩みへと導かれるのです。(エペソ5:8)イエス様が「あなたがたは世の光です(マタイ5:14)」と語られているとおりです。

 ですが、私たちはすぐ誘惑に負けてしまう者でもあります。どうすれば、光の子どもとしての歩みができるのでしょうか。私たちの弱さをすべてご存知の主が「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。(ヨハネ8:12)」と語っておられるように、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から、目を離さず(ヘブル12:2)、日々、神との交わりを続けることがその鍵なのです。

今日のメッセージ 『主はあなたを招いておられる』 2024年10月20日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記26章34~46節〕

 神は、主の掟とすべての命令を行わないなら、様々な疫病が起こり、種を蒔いても収穫できない、それでも尚、わたしのこの懲らしめを受け入れず、逆らって歩むなら、あなたがたの地は荒れ果て、町々は廃墟となると警告されたのです。神の懲らしめとは、国を失い、捕囚の身となる非常に厳しいものです。しかし、神は、強情で頑なな心、うなじの怖い民を、この懲らしめによって、罪を自覚させ、真の悔い改めへと導こうとされたのです。

 この時、神は「わたしはヤコブとのわたしの契約を思い起こす。またイサクとのわたしの契約を、さらにはアブラハムとのわたしの契約をも思い起こす。わたしはその地を思い起こす。」さらに「わたしは彼らを退けず、彼らを嫌って絶ち滅ぼさず、彼らとのわたしの契約を破ることはない。わたしが彼らの神、主だからである。」と語られたのです。

 イエス様は、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。(ルカ5:31,32)」と語りました。それは、私たちの将来を案じてのことであり、『人間は一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27) 』ことを知っておられたからでした。

 罪とは、神の教え(律法)に聞き従わないことです。(Ⅰヨハネ3:4)イエス様は、私たちを救い出すために、私たちの罪のために十字架の上で死なれ、罪の贖いをされたのです。それは、私たちが罪を告白し、悔い改め、神に立ち返るためです。イエス様は、今日も「わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」(イザヤ44:2)とあなたを招いておられます。

今日のメッセージ 『希望~世に打ち勝ったイエス様~』 2024年10月13日

 牧師 高橋勝義

《教会開設10周年記念礼拝》

〔ヨハネ16章29~33節〕

 弟子ユダの裏切りにより捕らえられ、無実の罪で十字架にかけられると分かっていたにもかかわらず、イエス様は「世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)」と語られました。では、なぜ、死を目前に自覚しながら「わたしはすでに世に勝ちました」と語られたのでしょうか。

 それは、「彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。(ルカ18:33)」と語っておられた通り、十字架の上で死なれ、葬られ、しかし三日目によみがえられるからでした。イエス様のよみがえりは、主を信じるすべての人のよみがえりの先がけであり、その保証なのです(Ⅰコリント15:20)。

 しかし、弟子たちはイエス様にお会いしても、尚そのよみがえりを信じられずにいたため、イエス様は彼らの前で魚を食べ(ルカ24:43)、また、信じようとしないトマスには、手の釘の跡と脇腹の槍の跡を見せて、指を入れるようにと促されたのです。(ヨハネ20:27)。

 イエス様が「わたしはすでに世に勝ちました」と語られたのは、死を打ち破り、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを与えてくださるからです(Ⅰペテロ1:3)。つまり、イエス様の復活にこそ、永遠のいのちへの希望があるのです。この希望は、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる(ローマ10:9)」とあるように、イエス様を信じることから始まります。

 イエス・キリストがよみがえられたのは、私たちが主を罪からの救い主と信じることによって、すべての罪が赦され、神と和解し、私たちを天国に招き入れるためなのです。

今日のメッセージ 『神の豊かな恵みの中で』 2024年1月14日

 高橋勝義

〔レビ2章1~16節〕

 創造主なる神はこの世界を造られ、私たちは神が造られたすべてのものから豊かな恵みを頂いて日々の生活を送っています。イエス様が「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。(マタイ6:26)」と言われたとおり、これは神からの賜物(プレゼント)なのです。

 このレビ記2章に記されている穀物のささげ物は、神の恵みへの感謝の表われです。穀物のささげ物は、祭司アロンとその子らのもとに持って行き、祭壇で焼かれ、神にささげられました。それは、神への芳ばしい香りとなり、神はそれを喜んでくださいました。その残りは、アロンとその子らのものとなり、それは主への食物のささげ物のうちの、最も聖なるものとされました。穀物のささげものは腐敗を防ぐ塩で味をつけるように命じられましたが、これは神の契約が永遠に変わらず保たれることを現わしているのです。

 「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)」とあるように、神は公平なお方です。この恵みによって、「主が良いものを下さるので私たちの大地は産物を産み出すのです(詩篇85:12)」。神は「あなたは、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前で礼拝しなければならない」(申命記26:10)と命じておられますが、私たちはこのような恵みを与えてくださる神に心から感謝し、喜びをもってささげ物をささげ、神を礼拝しているでしょうか。

 聖書が「世界とそれに満ちるものはわたしのものだ(詩篇50:12)」と語っているように、私たちは神の豊かな恵みの中で生かされているのです。

今日のメッセージ 『真の礼拝者』 2023年1月7日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記1章1~17節〕

 エジプトからイスラエルの民を救い出した神は、シナイ山でさとしの板に神の民としての歩みを記し(十戒)、その麓でモーセを通して幕屋造りを命じました。さらに、神の幕屋を中心にして約束の地を目指すイスラエルの民に、具体的な神との交わりについて、また聖なる国民としての生き方についても教えられたのです。それらを記したものがレビ記です。

 ノアは洪水の水が引き、地に降り立った時、まず祭壇を築き、全焼のささげ物を献げました(創8:20)。またアブラハムも、自分に現れてくださった主のために、その場所に祭壇を築きました(創12:7)。ノアもアブラハムも、自ら進んで、まず神を礼拝したのです。

 全焼のささげ物は、聖なる神を礼拝するために必要不可欠です。神が私たちの罪を、この動物の血というささげ物、すなわちいのちをもって罪を贖うようにしてくださったからです。そして民は聖なる神を礼拝したのです。

 しかし今は、イエス様がご自身のいのちを私たちの罪のために献げられ、罪の贖いを成し遂げてくださったゆえに(ヘブル7:27)、旧約の時代のような動物のささげ物は必要とせず、イエス様の十字架によって、聖なる神を礼拝し、自由に神と交わることができるのです。

 何という恵みであり、感謝なことではないでしょうか。

 神は、あなたが真の礼拝者になることを待っておられます。

 「まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。(ヨハ4:23,24)」