今日のメッセージ 『主の御口から出るすべてのことばで生きる』 2026年7月5日

 牧師 高橋勝義

〔申命記8章1~20節〕

 モーセは、約束の地に入ろうとしているイスラエルの民に「あなたの神がこの四十の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、主があなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」と語りました。それは、「人はパンだけで生きるのではなく、主の御口から出るすべてのことばで生きる」ということを、イスラエルが知るためであり、神の御訓練だったのです。しかし、彼らは、困難に会うとすぐ不平不満を口にして神を信じませんでした。それでも、この四十年の間、彼らの衣服はすり切れず、その足は腫れなかったのです。ですから、あなたの神、主を忘れることがないように、また、主に従わなければあなたがたも滅びると警告したのです。

 では、「主の御口から出るすべてのことばで生きる」とはどういうことなのでしょうか。

 神は、人のからだを地のチリで造られ、そこに神のいのちの息(霊)を吹き込まれ、生きるものとされました。ところが、神の命令に従わなかったゆえに、その肉体とたましいに“死”を招いたのです。イエス様は、「わたしがいのちのパンです(ヨハネ6:35)」、また「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます(ヨハネ4:14)」と語られました。つまり、イエス様を罪からの救い主と信じる者は、神との仕切りとなっている罪が取り除かれ、永遠のいのちが与えられるのです。
ここから、神との関係が回復し、創造の初めの時のように神と交わりができるようになったのです。
神のみことばは私たちを生かし(詩篇119:50)、たましいを救うのです(ヤコブ1:21)。

今日のメッセージ 『すべて神の愛と恵み』 2026年6月28日

 牧師 高橋勝義

〔申命記7章1~26節〕

 神はこれから入って行く約束の地に住む七つの異邦の民対して、必ず聖絶すること、どんな契約も結ばないこと、さらに彼らにあわれみを示してはならないことを命じました。というのは、彼らはあなたの息子たちを神から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、主の怒りを招いて、その結果、あなたは根絶やしにされるからです。また、彼らの神々の彫像を火で焼かなければならないとも命じました。それにかぶせた銀や金があなたがたを罠に陥らせ、あなたの神、主はそれを忌み嫌われるからです。あなたは、あなたの神、主の聖なる民であり、あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされたのです。

 ここで重要なことは、イスラエルが神の宝の民とされたのは神が彼らを愛されたからであり、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたからです。

 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます(Ⅰテモテ2:4)」。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としてのイエス・キリストを遣わされたのです(Ⅰヨハネ4:10)。このお方、すなわち、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって、私たちは罪から救い出され、神の子どもとされる恵みにあずかることができたのです(ヨハネ1:12)。これはすべて神の恵みによるのです。いつも、この恵みに立ち続けることがとても重要です。「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:9)」と語られているとおりです。

 「だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい(ヘブル12:15)

今日のメッセージ 『あなたはみことばに生きていますか』 2026年6月21日

 牧師 高橋勝義

〔申命記6章10~25節〕

 約束の地を前にして、イスラエルの民へのモーセの訓戒はさらに続きます。「これから入って行く地、即ち、イスラエルの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに神が誓われた地は、大きくてすばらしい町々だ。しかし、あなたがたが建てたのではない。~これらはあなたがたに与えられ、食べて満ち足りる。」。しかし、あなたがたは神の恵みを忘れてはならない。

 主は「ねたむ神」。あなたがたが苦しいエジプトでの奴隷生活から救い出してくださったこの神から離れ、その地の神々になびくことを悲しまれる。だから、「主が命じられた教えとさとしを忠実に守りなさい」と諭したのです。これを今の私たちに当てはめるならば、ひとり子イエス・キリストのいのちと引き換えに永遠の滅びから救い出してくださった神から私たちが離れていることを神は本当に悲しんでおられるのです。

 後になって、あなたの息子が「私たちの神である主が命じられた、このさとしと掟と定めはどういうことですか」あなたに尋ねたら、エジプトの地で大いなる不思議な御業をもって救い出してくださった神から与えられたのだ、と言いなさい。また、あなたがたの父祖たちが、マサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならないとも警告したのです。それゆえ、「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。(ヤコブ1:22)」と語られているのです。

 みことばに生きるあなたの日々の信仰の歩みは、周りの人々に興味を抱かせます。なぜなら、「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。(エペソ5:8)」とあるように、変えられたあなたの姿(Ⅱコリント5:17)を人々は見ているからです。

今日のメッセージ 『キリストの愛は常に真実です』 2026年6月14日

 牧師 高橋勝義

〔申命記6章1~9節〕

 モーセは、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章4,5節)」とイスラエルの民に命じました。それは、「そうすれば、あなたは幸せになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる地で大いに増えるであろう(申命記6章3節)」と神が約束しているからです。

 それゆえ、申命記6章4,5節は、イスラエルにとってとても重要なみことばです。しかし、いつのまにか、神の教えに先祖たちの教え(解釈)が加わり、神の教えよりも、先祖の教えが優先されるようになっていたのです。この現実に、イエス様は「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本触れようとはしない。(ルカ11:46)」と憂いています。人々は、主を愛するゆえに、神の教えを守るのではなく、周りから非難されないために、先祖の教えを守っていたのです。

 では、私たちはどうでしょうか。自分の都合ばかりを神に願う祈りをしていないでしょうか。最初は不純な動機であっても、あわれみ深い神は、それらを用いて私たちにご自身の愛を私たちに現わしてくださっているのです。さまざまな出来事を通して、私たちは、神の愛を知らされ、自分が何をしているのか、自分の信仰の姿勢を吟味するようになるのです。

 「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」と約束されているように、たとえ、私たちが真実でなくても、神の変わらない真実な愛の中に生かされているのですから、みことばにしっかりと立って歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『あなたは主の教えを喜びとしていますか』 2026年6月7日

 牧師 高橋勝義

〔申命記5章22~33節〕

 かつて神は、火の中からイスラエルの民に語りかけられました。民は、この神の御声を聞き、自分たちは死んでしまうと思い、モーセに「あなたが近づいて行き、私たちの神、主が言われることをすべて聞き、私たちの神、主があなたにお告げになることをすべて私たちに告げてください。私たちは聞いて行います。」とお願いしたのです。神はこれを聞き、民に自分たちの天幕に帰るように言い、そして、「あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。あなたがたの神、主が命じられた道をあくまで歩み続けなければならない。」とモーセを通して命じられたのです。それは、イスラエルの民が幸せになり、所有地で長く生活するためです。

 ところでイエス様は、このようなたとえを話されました(マルコ4:1~20)。ある人はみことばを聞いても心を閉ざしていて、すぐにサタンがみことばを忘れさせてしまう。また別の人は、みことばを聞いてすぐに喜んで受け入れるが、困難や迫害が起こると、すぐにぐらついて離れてしまう。さらに別の人は神のすばらしい知らせを聞き信じるが、この世の思い煩いや、富、そのほかいろいろな欲望にみことばがふさがれ、実を結ぶことができない。これらは、私たちの姿を見事に言い表しています。しかし、みことばを聞いて受け入れ、成長する人は、三十倍、六十倍、百倍の実を結びます。ですから、私たちは自分の心の中の関心事は何か、吟味する必要があるのです。

 右にも左にもそれない歩みとは、「主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ(詩篇1:2)」歩みであり、その人は「時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える(詩篇1:3)」と約束されています。

今日のメッセージ 『神の教えは私たちをキリストに導く』 2026年5月31日

 牧師 高橋勝義

〔申命記5章1~21節〕

 すでにモーセは、シナイ山の麓で神の掟と定め(十戒)を語っていますが(出エジプト20)、ここで繰り返すのは、聞かせる対象者が違うからです。エジプトから救い出された民は、不信仰により荒野ですべて亡くなっていました。「主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである」と言っているように、モーセは新しい世代に神の掟と定めを語って聞かせたのです。たとえ、契約を結ぶ相手が違っていても、神の掟と定めは変わらず、また、民が破ったとしても、神は決して破ることはないのです。ですから、モーセはこの掟と定めを学び、守り行うように命じたのです。

 では、この神の掟と定めは、今の私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか。

 パウロは、「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。(ガラテヤ3:24)」と語っています。神の掟と定めを破るとき、私たちの中には罪の自覚が生じ、同時にその罪の解決は、自分の力ではできないことを知ります。そして、この私の罪ために、キリストが身代わりとなって、十字架で死なれたことが指し示されるのです。まさに、律法は私たちをキリストに導く養育係なのです。

 「私たちが信仰によって義と認められるためである」とあるように、神は、私たちの行いによるのではなく、キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって、私たちを救いへと導いてくださるのです。 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物(プレゼント)です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8,9)」とあるとおりです。

今日のメッセージ 『訓練は神の愛の証し』 2026年5月24日

 牧師 高橋勝義

〔申命記4章32~49節〕

 モーセは、イスラエルの民に問いかけます。神が地上に人間をお造りになって以来、火の中から語られる神の声を聞き、なお生き長らえている民がいただろうか、また奴隷となっていたエジプトから救い出し、ご自分のものにされた神がかつてあっただろうか。それは、すべて、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたがたが知るためである。このことを心にとどめ、主の掟と命令を守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、あなたの神、主が永久に与えようとしておられるその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためです。このあとモーセは、ヨルダン川の東にある三つの町を選んでおくように命じました。それは、あやまって隣人を殺してしまった者が、そこに逃れ生き延びる町です。

 主はイスラエルを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では大いなるご自分の火を見せ、その火の中から、御声を聞かせました。これは、神を畏れ、神に従うための訓練だったのです。私たちは訓練と聞くと、つい身構えてしまいます。それは決して喜ばしいことではなく苦しいものだからです。時には痛みを伴いますが、この訓練によって、私たちの中にある不純物(不信仰の根)が、あらわにされ、練りきよめられていくのです(へブル12:11)。この訓練を逃げ回っていては、父なる神の愛を拒むことになるだけでなく(へブル12:7)、神への信仰がぼやけたままになってしまいます。訓練は、あなたを苦しめるためのものではなく、あなたを愛している神の愛の証しなのです。

 「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします(Ⅰペテロ1:7)」

今日のメッセージ 『あなたが最も大切なものは何か』 2026年5月17日

 牧師 高橋勝義

〔申命記4章15~31節〕

 かつてイスラエルはホレブ山で、火の中から主が自分たちに語りかける声を聞きましたが、御姿を見ることはできませんでした。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(出エジプト33:20)」と神が語っておらるからです。人は神の御姿を見るならそこから偶像を作ってしまうゆえに、「あなたは自分のために偶像を造ってはならない(出エジプト20:4)」との律法に繋がります。

 それゆえ、モーセは約束の地に入った民が、その地の住民の影響を受けることを案じ「あなたの神、主の命令に背いて、いかなる形の彫像も造ることがないようにしなさい」と命じたのです。偶像礼拝は主の御怒りを引き起こし、根絶やしにされてしまうというのです。しかしそこから主を探し求めるならば、イスラエルは主にお会いする、と希望のメッセージも語りました。

 イエス様は、「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです(マタイ6:21)」と語られました。あなたの関心事は、お金ですか、この世の誉ですか、知識ですか。それが大切な宝となり、これらを手に入れようと人は貪欲になっていくのです。そしてこれこそが〈偶像〉なのです。私たちは、気づかないうちに、たくさんの偶像を心の中に持ち、それに支配されているのです。貪欲は偶像礼拝につながり(コロサイ3:5)、生けるまことの神から私たちを引き離し、私たちを死となる道に引き引きずり込むのです(箴言14:12)。それゆえに神は、自分の関心事(宝)に十分に気をつけなさいと警告するのです。

 「どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように(ローマ15:13)」

コラム 『神は私の創造主』 2026年5月10日

 高橋勝義

「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」(へブル4:7)

 頑なな人は、「自分の意見を押し通し、自の非を認めない」、そして「自分が間違うはずない」明らかなミスをしていてもなかなか謝ることができない傾向を持っています。何かにつけて負けず嫌いであり、ばかにされるのを嫌うからです。つまり、自分のプライドのために、人は心を頑なにさせるのでしょうか。さらに、年齢を重ねると「考えを曲げることは、自らの経験を否定することだ」と考えてしまい、頑固で、融通のきかない面も現れてきます。これは、他人の事ではありません。私の中に、この「頑なな心」があるのです。

 冒頭のみことばの注目すべき点は、「もし御声を聞くなら」にあり、これは神のみことばに対する態度が記されているのです。アダムは、神から食べてはならないと命じられていた木の実を食べてしまいました。アダムが制約されることに反抗して神の命令を破ったように、私の中にも反抗心があり、この反抗する心こそがイエス様を十字架につけた罪なのだ、と知ったときに、私はパウロの語る「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。(ガラテヤ3:24)」に頷いたのです。

 それでは心を頑なにしない方法はあるのでしょうか。イザヤが、神を陶器師に、私たちを粘土になぞらえ「ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。造られた者がそれを造った者に『彼は私を造らなかった』と言い、陶器が陶器師に『彼にはわきまえがない』と言えるだろうか。(イザヤ29:16)」と語っているように、創造主と自分との関係をしっかり自覚して歩むことにその鍵があると教えられます。

今日のメッセージ 『愛の帯を締めよ』 2026年5月3日

 牧師 高橋勝義

〔申命記4章1~14節〕

 神がホレブ(シナイ山)でイスラエルに二枚の石の板に書き記した十のことば、律法(掟と定め)を与えられたのは、約束の地で彼らが神の民として生きるためであり、それによって諸国の民にあなたがたの知恵と悟りを示し、まことの神がおられることを証しするためです。そして、神のことばに「つけ加えてはならない。また減らしてはならない。」と命じ、さらに、「私たちの神、主は私たちが呼び求めるとき、いつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか。」「あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにし、それらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。」と信仰の継承を命じたのです。

 イエス様もあらゆる国の人々を弟子とし、イエス様が命じられたすべてのことを守るように教えなさいと命じられました(マタイ28:19,20)。信仰の継承には、主の弟子となることが鍵だからです。では、イエス様の弟子であるとはどのような姿なのでしょうか。

 それは、「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります(ヨハネ13:35)」とイエス様が語られたようにがあるかどうかです。しかし、本物の愛を知らない私たちには、愛のある歩みはできません。それゆえ、まず「私には愛がありません」と正直に認め、イエス様の十字架の愛をしっかりと受け取ることが大切なのです(Ⅰヨハネ4:10)。

 「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。(コロサイ3:13,14)