今日のメッセージ 『神の武具を取れ』 2026年8月16日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章29節~13章18節〕

 神は、イスラエルがこれから所有しようとしている国々に入ったならば、まず高き所にある祭壇と神々の彫像をことごとく打ち壊すように、またその地の住民の神々に仕えてはならない、と命じられました。イスラエルの民が罠に陥らないようにするためです。

 また、預言者や夢見る者が現れて、何かのしるしや不思議を示し、それが実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言われても、その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない、と命じ、「ほかの神々に従い、これに仕えよう」と言ったその悪い者を、あなたがたの中から除き去るように命じたのです。

 悪魔(サタン)はイエス様に対して、「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう」と誘惑しますが、主は「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」と答えました(マタイ4:8~9)。また、「驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。(Ⅱコリント11:14)」と聖書は語り、悪魔には力があることを私たちに教えています。ですから、悪魔を侮ってはなりません。

 悪魔は、神の御座を奪おうとしたため、神が天から落としたのです(イザヤ14:12~15)。このことについて、イエス様は、「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました(ルカ10:18)」と証言しています。悪魔の目的は、私たちを生ける神から引き離し、自分のほうに引き込むことです。その私たちには、悪魔に立ち向かう力はありません。それゆえ、神は私たちに神の武具を用意してくださいました(エペソ6:10~18)、私たちは、神が用意された武具をしっかりと受け取って、悪魔との戦いに備えましょう。

今日のメッセージ 『生ける神を礼拝できる恵み』 2026年8月9日

 牧師 高橋勝義

〔申命記12章1~28節〕

 モーセは、約束の地に入ったならば、高い山などに建てられた祭壇、および、そこに祭られている神々の彫像をすべて打ち壊すようにイスラエルの民に命じました。そこは異邦の民の礼拝の場所であり、その彫像は彼らが信じる神々だったからです。

 神がエジプトを出て、すぐに幕屋建設をイスラエルに命じられたのは、生けるまことの神がおられるところで、ささげ物を献げ、主を礼拝するためでした。主は、自分勝手な場所で礼拝し、ささげ物を献げないように気をつけなさい、と命じられたのです。また、礼拝は主との交わりの時ですから、主が祝福してくださった、すべての手のわざに感謝し、家族共々に、主の前で食事をし、喜び楽しむようにとも命じられました。

 旧約の時代は、罪ある者が聖なる神を礼拝できるように、神は動物のいのちを罪の贖いとされました。しかし、今は、イエス様が十字架の上で流された血潮によって、すべての罪の贖いが成し遂げられたので、だれでも神を礼拝することができるのです。それには、イエス様が「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。(ヨハネ4:21)」と言われたように、イエス様を罪からの救い主と信じることが必要です。また、イエス様は「父なる神はご自身を礼拝する者を求めておられること(ヨハネ4:23)」、そして、「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません(ヨハネ4:24)」と私たちに教えています。

 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい(ローマ12:1)」と勧められているように、私たちも、生ける神を喜びをもって礼拝しましょう。

今日のメッセージ 『主の道を選び祝福を受けよ』 2026年8月2日

 牧師 高橋勝義

〔申命記11章1~32節

 これから約束の地に入ろうとしている民に、モーセは繰り返し繰り返し、主を愛し、主の掟と定めと命令を守るように命じました。そのうえで、新しい世代に「見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福とのろいを置く(申命記11:26)」と語り、彼らに決断を迫ったのです。

 「祝福」とは、あなたがたの神、主の命令に聞き従って歩むことであり、「のろい」とは、主の命令に聞き従わず、命じる道から外れて、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って歩むことです。なぜ、モーセは、彼らにこのような決断を迫ったのでしょうか。それは、約束の地を占領し、神が与えると言われた乳と蜜の流れる地で、彼らの日々が長く続くようにするためでした。これまでのイスラエルの歩みを知っているモーセだからこそ、心を定めて、主を愛し、主の掟と定めと命令をいつも守るようにと促したのです。

 聖書は「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある(箴言14:12)」と語ります。また「どのようにして若い人は自分の道を清く保つことができるでしょうか。あなたのみことばのとおりに道を守ることです。(詩篇119:9)」とも語っています。

 イスラエルに対するモーセの問いかけは、私たちにも問いかけられていることです。それは、私たちを造られた生けるまことの神を信じ、このお方に従って歩むのか、それとも、自分の力やこの世の力に頼って生きるのかと。つまり、永遠のいのちへの道か、それとも、滅びの道か、どちらを選ぶのか、と神は私たちに決断を迫っておられるのです。

 神は「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない─【神】である主のことば─。だから立ち返って、生きよ。(エゼキエル18:32)」と私たちに語っておられます。

今日のメッセージ 『アブラハムの信仰に続こう』 2026年7月26日

 牧師 高橋勝義

〔申命記10章12~22節

 神は、アブラハムとアブラハムの子孫(イスラエル)に契約のしるしとして、生まれて八日目の男子にはみな「割礼」を施すようにと命じました(創世記17:10,12)。これは、神への従順(創世17:1)と神の選びの恵みをあかしするものです。しかし、イスラエルの荒野での歩みは、神への不従順の連続でした。それゆえ、モーセは民に、「あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。」と語ったのです。それは、神があなたがたに求めておられることは、主を愛し、主に仕え、主の命令と掟を守ることである。だから、それをしっかりと心に刻み、父祖たちの信仰に倣って歩むように、と促したのです。これこそが「心の包皮に割礼を施す」という意味なのです。

 パウロが「(アブラハム)は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためである(ローマ4:11)」と語っているように、私たちもキリストを罪からの救い主と信じる信仰によって義とされるのです。

 ここで重要なことは、自分は罪ある者と認めて、口で言い表し、悔い改めることです。つまり、神に従って生きる歩みへと舵を切る決断です。しかし、私たちの中には罪の性質が残っているため、すぐにうなじを固くする者(神に不従順な者)になってしまうのです。

 それゆえ、日々、罪の悔い改めが重要になってくるのです。なぜなら、神は「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます(Ⅰヨハネ1:9)」と約束してくださっているからです。

今日のメッセージ 『とりなしの祈り』 2026年7月12日

 牧師 高橋勝義

〔申命記9章1~29節〕

 モーセは、これから渡っていくヨルダン川の向こうの国々は強い国々であると語り、続けて「あなたの神、主ご自身が、焼き尽くす火としてあなたの前を進み、彼らを根絶やしにされる。主があなたの前で彼らを征服される。」とイスラエルを励ましました。それは、主が父祖アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためでした。

 しかし、その彼らは主の命令に逆らい、主を信頼せず、その御声に聞き従わない“うなじを固くする民”でした。それでも主は彼らを助け続けたのです。ですから、「私が正しいから、主が私をこの地に導き入れ、所有させてくださったのだ」と傲慢にならないようにと警告し、自分たちは、神の力強い、偉大な御手によってエジプトから導き出された民であることを自覚して歩むようにと促したのです。モーセの荒野での40年は、彼らの不信仰を自分のいのちをかけて、主にとりなす歩み、祈りの歩みでした。

 信仰の歩みは山あり谷あり、様々な出来事に遭遇します。イエス様も最後の晩餐で、「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:31)」と語られたように、私たちも苦しみから立ち上がることができたならば、他の人のためにとりなし祈ることを、主は願っておられるのです。

 「よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです(ローマ8:34)」

今日のメッセージ 『主の御口から出るすべてのことばで生きる』 2026年7月5日

 牧師 高橋勝義

〔申命記8章1~20節〕

 モーセは、約束の地に入ろうとしているイスラエルの民に「あなたの神がこの四十の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、主があなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」と語りました。それは、「人はパンだけで生きるのではなく、主の御口から出るすべてのことばで生きる」ということを、イスラエルが知るためであり、神の御訓練だったのです。しかし、彼らは、困難に会うとすぐ不平不満を口にして神を信じませんでした。それでも、この四十年の間、彼らの衣服はすり切れず、その足は腫れなかったのです。ですから、あなたの神、主を忘れることがないように、また、主に従わなければあなたがたも滅びると警告したのです。

 では、「主の御口から出るすべてのことばで生きる」とはどういうことなのでしょうか。

 神は、人のからだを地のチリで造られ、そこに神のいのちの息(霊)を吹き込まれ、生きるものとされました。ところが、神の命令に従わなかったゆえに、その肉体とたましいに“死”を招いたのです。イエス様は、「わたしがいのちのパンです(ヨハネ6:35)」、また「わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます(ヨハネ4:14)」と語られました。つまり、イエス様を罪からの救い主と信じる者は、神との仕切りとなっている罪が取り除かれ、永遠のいのちが与えられるのです。
ここから、神との関係が回復し、創造の初めの時のように神と交わりができるようになったのです。
神のみことばは私たちを生かし(詩篇119:50)、たましいを救うのです(ヤコブ1:21)。

今日のメッセージ 『すべて神の愛と恵み』 2026年6月28日

 牧師 高橋勝義

〔申命記7章1~26節〕

 神はこれから入って行く約束の地に住む七つの異邦の民対して、必ず聖絶すること、どんな契約も結ばないこと、さらに彼らにあわれみを示してはならないことを命じました。というのは、彼らはあなたの息子たちを神から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、主の怒りを招いて、その結果、あなたは根絶やしにされるからです。また、彼らの神々の彫像を火で焼かなければならないとも命じました。それにかぶせた銀や金があなたがたを罠に陥らせ、あなたの神、主はそれを忌み嫌われるからです。あなたは、あなたの神、主の聖なる民であり、あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされたのです。

 ここで重要なことは、イスラエルが神の宝の民とされたのは神が彼らを愛されたからであり、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたからです。

 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます(Ⅰテモテ2:4)」。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としてのイエス・キリストを遣わされたのです(Ⅰヨハネ4:10)。このお方、すなわち、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって、私たちは罪から救い出され、神の子どもとされる恵みにあずかることができたのです(ヨハネ1:12)。これはすべて神の恵みによるのです。いつも、この恵みに立ち続けることがとても重要です。「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:9)」と語られているとおりです。

 「だれも神の恵みから落ちないように、また、苦い根が生え出て悩ませたり、これによって多くの人が汚されたりしないように、気をつけなさい(ヘブル12:15)

今日のメッセージ 『あなたはみことばに生きていますか』 2026年6月21日

 牧師 高橋勝義

〔申命記6章10~25節〕

 約束の地を前にして、イスラエルの民へのモーセの訓戒はさらに続きます。「これから入って行く地、即ち、イスラエルの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに神が誓われた地は、大きくてすばらしい町々だ。しかし、あなたがたが建てたのではない。~これらはあなたがたに与えられ、食べて満ち足りる。」。しかし、あなたがたは神の恵みを忘れてはならない。

 主は「ねたむ神」。あなたがたが苦しいエジプトでの奴隷生活から救い出してくださったこの神から離れ、その地の神々になびくことを悲しまれる。だから、「主が命じられた教えとさとしを忠実に守りなさい」と諭したのです。これを今の私たちに当てはめるならば、ひとり子イエス・キリストのいのちと引き換えに永遠の滅びから救い出してくださった神から私たちが離れていることを神は本当に悲しんでおられるのです。

 後になって、あなたの息子が「私たちの神である主が命じられた、このさとしと掟と定めはどういうことですか」あなたに尋ねたら、エジプトの地で大いなる不思議な御業をもって救い出してくださった神から与えられたのだ、と言いなさい。また、あなたがたの父祖たちが、マサで行ったように、あなたがたの神である主を試みてはならないとも警告したのです。それゆえ、「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。(ヤコブ1:22)」と語られているのです。

 みことばに生きるあなたの日々の信仰の歩みは、周りの人々に興味を抱かせます。なぜなら、「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。(エペソ5:8)」とあるように、変えられたあなたの姿(Ⅱコリント5:17)を人々は見ているからです。

今日のメッセージ 『キリストの愛は常に真実です』 2026年6月14日

 牧師 高橋勝義

〔申命記6章1~9節〕

 モーセは、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章4,5節)」とイスラエルの民に命じました。それは、「そうすれば、あなたは幸せになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる地で大いに増えるであろう(申命記6章3節)」と神が約束しているからです。

 それゆえ、申命記6章4,5節は、イスラエルにとってとても重要なみことばです。しかし、いつのまにか、神の教えに先祖たちの教え(解釈)が加わり、神の教えよりも、先祖の教えが優先されるようになっていたのです。この現実に、イエス様は「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本触れようとはしない。(ルカ11:46)」と憂いています。人々は、主を愛するゆえに、神の教えを守るのではなく、周りから非難されないために、先祖の教えを守っていたのです。

 では、私たちはどうでしょうか。自分の都合ばかりを神に願う祈りをしていないでしょうか。最初は不純な動機であっても、あわれみ深い神は、それらを用いて私たちにご自身の愛を私たちに現わしてくださっているのです。さまざまな出来事を通して、私たちは、神の愛を知らされ、自分が何をしているのか、自分の信仰の姿勢を吟味するようになるのです。

 「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」と約束されているように、たとえ、私たちが真実でなくても、神の変わらない真実な愛の中に生かされているのですから、みことばにしっかりと立って歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『あなたは主の教えを喜びとしていますか』 2026年6月7日

 牧師 高橋勝義

〔申命記5章22~33節〕

 かつて神は、火の中からイスラエルの民に語りかけられました。民は、この神の御声を聞き、自分たちは死んでしまうと思い、モーセに「あなたが近づいて行き、私たちの神、主が言われることをすべて聞き、私たちの神、主があなたにお告げになることをすべて私たちに告げてください。私たちは聞いて行います。」とお願いしたのです。神はこれを聞き、民に自分たちの天幕に帰るように言い、そして、「あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。右にも左にもそれてはならない。あなたがたの神、主が命じられた道をあくまで歩み続けなければならない。」とモーセを通して命じられたのです。それは、イスラエルの民が幸せになり、所有地で長く生活するためです。

 ところでイエス様は、このようなたとえを話されました(マルコ4:1~20)。ある人はみことばを聞いても心を閉ざしていて、すぐにサタンがみことばを忘れさせてしまう。また別の人は、みことばを聞いてすぐに喜んで受け入れるが、困難や迫害が起こると、すぐにぐらついて離れてしまう。さらに別の人は神のすばらしい知らせを聞き信じるが、この世の思い煩いや、富、そのほかいろいろな欲望にみことばがふさがれ、実を結ぶことができない。これらは、私たちの姿を見事に言い表しています。しかし、みことばを聞いて受け入れ、成長する人は、三十倍、六十倍、百倍の実を結びます。ですから、私たちは自分の心の中の関心事は何か、吟味する必要があるのです。

 右にも左にもそれない歩みとは、「主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ(詩篇1:2)」歩みであり、その人は「時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える(詩篇1:3)」と約束されています。