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〔民数記22章36~23章12節〕
モアブの王バラクは、イスラエルを呪ってもらおうと、イスラエルの民の一部が見える場所に連れ出します。バラムはバラク王に七つの祭壇と七頭の雄牛と七匹の雄羊を用意するように願いました。神にお会いした後、戻ってきたバラムは王に「神が呪いをかけない者を私がどうして呪うことができるだろうか。」と告げます。王は、イスラエルを呪わず祝福したことに激怒しますが、バラムは王に「主が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか」と答えます。バラムはバラク王のもとに来る途中、ろばが道でうずくまってしまったことで九死に一生を得ました。つまり、神によって自らの罪に気づくことが出来たのです。そして、バラムは、神が「あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え」と言われたことに忠実に従ったのです。
聖書に「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです(ヤコブ1:14)」とあるように、神のお取り扱いによって、バラムは自分の罪に気づき、神は全知全能なるお方であることを知ったのです。このことは、私たちにも重なります。イエス様は「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです(マタイ6:21)」と語られましたが、私たちは日々この世の誘惑の中で生きています。しかし、神がバラムを取り扱われたように、神は私たちを子として扱い(へブル12:5~7)、私たちの内にある不純物(罪)を取り除くために訓練されるのです。
訓練は喜ばしいものではなく、かえって苦しいものですが、今あなたが受けている訓練は、神がバラムを神の民イスラエルの祝福に用いたように、神の良い働きのためにあなたを用いようと整えておられるからなのです(Ⅱテモテ2:21)。