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〔民数記7章1~89節〕
神がモーセに幕屋建設を命じたとき、その建設に必要なものを、民は喜んで献げました。こうして幕屋建設は無事終わり、幕屋が設営され、さらに幕屋に関するすべての器具、祭壇およびそのすべての用具に、モーセは油を注ぎ、聖別しました。こうして、神がおられる幕屋を中心にしたイスラエルの歩みが始まったのです。各十二部族の長たちは、一日ごとに、まったく同じものを自ら進んで主の前に、ささげ物として持って来ました。
使徒パウロは、エルサレム教会を助けようと、コリントの教会で献金を募ったとき「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(Ⅱコリント9:7)」と語りました。献金は、強制されるものではなく、主を愛する愛の現れからくるものだからです。
イエス様は、多くの金持ちが気前よく大金を投げ入れているところへ、貧しいやもめがやって来て、レプタ銅貨二枚をそっと投げ入れたのを見て、弟子たちを呼び「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」(マルコ12:41~44)と言われたのです。イエス様は、ささげた金額ではなく、神を愛する心を喜ばれたのです。
それゆえ、イエス様が「あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです(マタイ6:21)」と語られているように、自分の心の中を点検しなければならないのです。 「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい(エペソ5:10)」