牧師コラム 『はじめから満ち溢れている神の愛』 2020年1月5日

牧師 高橋勝義

私たちを取りまく宇宙は神秘に満ちています。この宇宙の成り立ちについては、多くの学者が今日も研究を日夜重ねています。

ところが、聖書は、「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)と断言しています。また続けて「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」(創世記1:27)と、語ります。
生ける神がどのようにして天と地、すべての生き物、そして人を造られたのか、その順序を詳しく調べてみると、そこに“神の愛”が現わされていることに気づきます。

神は創造の最後に人を造られていますが、それは人が生きていくために必要な物をすべて備えておく必要があったからです。つまり、神は人を愛する大切な存在として創造されたのです。さらに、神はご自分が造られた天と地を人に任せられました。それは人が自分の好きなようにして良いということではなく、神の御心に従って管理する、という意味です。管理を委ねるからには、その能力が必要になってきますが、そこで必要なことは、生ける神とのコミュニケーションです。つまり、神は人を自分と意志の疎通ができる存在として造られたのです。
しかし、それは意のままに動くロボットにするのではなく、意志・理性・感情を持つ、かけがえのない存在としたのです。
そして、「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。」(創世記1:31)と語られました。神の創造には何の問題もなかったのです。

はじめから満ち溢れる神の愛によって、すべてのものは造られており、今も神の愛の中で私たち人間は生かされているのです。

牧師コラム 『みことばに生きる』 2020年1月1日

牧師 高橋勝義

明けましておめでとうございます。

今年も主の祝福と守りが皆様の上に豊かにありますようにお祈り申し上げます。
今年もよろしくお願い致します。

 

 

ミルクは、生まれたばかりの赤ちゃんにとって命をつなぐ必要不可欠なものです。
同じように、キリストをからの救い主として信じたすべてのクリスチャンに向かって、聖書は「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。(Ⅰペテロ2:2)」と語ります。

神のみことばは赤ちゃんのミルクと同じで、信仰の成長には必要不可欠なものなのです。なぜなら、みことば(聖書)は生ける神の『ことば』であり、それによって、私たちは、過ちを示されたり、慰められたり、励まされたりして、進む道を正しく導かれていくのです。聖書は単に知識を得るための書物ではないのです。

昔、エジプトで奴隷であったイスラエル人は、神の力強い御業によって救い出されました。しかし約束の地を目前にしながら、神の約束を信じないで、自分たちの判断を優先し、ついには荒野で40年間放浪生活することになってしまったのです。
その理由について聖書は「彼ら(イスラエル人)には、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。(ヘブル4:2)」と語ります。つまり『みことばを信じて生きる』ことをしなかったのです。学んだことも単に知っている、というだけではその力は発揮できません。それを日常生活の中に取り込み、生かしてこそ力を発揮するのです。

2020年、新しい年が始まりました。
この年、あなたは何を頼りにして歩むのでしょうか。私たちを愛しておられる生ける神のみことばを土台にする新しい歩みを始めましょう。

牧師コラム 『モーセ物語~その3』 2019年12月29日

牧師 栗原延元

前回(9/29)は、モーセに引き連れられて、エジプトを脱出した故事について学びました。その故事が「過越の祭り」です。その祭りが、「聖餐式」として現代のキリスト教会に引き継がれています。

イスラエルの民は、エジプトを出てから、約束の地に入るまで四十年間、シナイの荒野を旅します。その間の出来事をまとめたものが旧約聖書「民数記」です。
今日は民数記21章4~9節を学びます。それは主イエス様が〈モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません〉(ヨハネ伝3:14)と民数記のこの箇所をとりあげているからです。
人の子が上げられる、とは十字架に磔(はりつけ)られる事です。これを聞いた、ニコデモ(ユダヤ人の指導者)、ペテロやヨハネの弟子たちは、驚いたようです。なぜ、そのようなことが是とされるのか…。そのような弟子たちのひとり、ヨハネの心に染み入るように〈それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。〉と主イエスは語られたのでしょう。
ペテロは、このときの主イエスを思い出しながら、〈そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義のために生きるためです〉(Ⅰペテロ2:24)と証しするのです。

牧師コラム 『まことの光』 2019年12月22日

牧師 高橋勝義

人生100年時代と言われるようになり、テレビでは健康長寿番組が増えました。
ところで長生きするには、からだの健康はもちろんのこと、心の健康も重要です。
心の健康に必要なのは、ストレスのない日々を過ごすことのようですが、どんなにからだや心の健康に気を付けたとしても「」が解決されるわけではありません。

聖書は、「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった(ヨハネ1:12)」と語ります。

私たちが神の子どもになると、私たちに何が起こるのでしょうか?

聖書は「の報酬はです。しかし神の賜物(プレゼント)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)」と語っています。
人間は、生けるまことの神によって造られたにもかかわらず、この方から離れ、自由奔放に生きる道を選びました。
これが、「」であり、はこののゆえに入り込んできたのです。
神の愛はこのを解決するために、イエス・キリストをこの世に遣わし、人間が受けるべきの刑罰をキリストに負わせ、十字架の上で処罰されたのです。

イエス・キリストを信じるとは、キリストの十字架は自分ののためであると認め告白することです。その時、神の子どもとなる特権が与えられ、さらに“永遠のいのち”が与えられて、「」から解放されるのです。

まことの光としてこの世に来られたイエス・キリストの誕生を心から祝うのがクリスマスです。今、イエス・キリストはあなたの心を照らしています。
このお方を心にお迎えし、神の子どもとなる新しい歩みを始めましょう。

牧師コラム 『インマヌエル』 2019年12月15日

牧師 高橋勝義

心に悩みを抱え苦しむ時、ありのままを受け入れ、寄り添ってくれる人がいたならば、どんなに慰められ、励まされることでしょう。ましてや、それが神様であるならば、どんなに勇気づけられることでしょうか。

さて、今から約2700年以上も昔、ユダの王アハズは、同胞のイスラエルとシリアから攻撃を受けていました。その時、神の預言者イザヤはアハズ王に、昔エジプトの奴隷であった自分たちを救い出された「生ける神」に信頼するように促しました。さらに「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7:14)」と、やがて救い主がこの世に来られることを預言したのです。

「インマヌエル」とは、「神は私たちとともにおられる」という意味です。

イザヤの預言通り、今から約2000年前に神であるお方、即ちイエス・キリストは人となってこの世にお生まれになられたのです。聖書は、このキリストの歩みについて「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(ヘブル2:18)」と記しています。
私たちと同じ人間となってこの世に生まれたキリストは、私たちの悩みや苦しみをすべて御存知の神の御子です。決して、遠くから傍観しておられる神ではなく、私たちと積極的に関りを持たれる神であり、あなたの傍らに寄り添われる神なのです。

クリスマスは、神が私たちとともにいてくださることを御子イエス・キリストの誕生を通して、あなたに明らかにされた喜びの時なのです。

牧師コラム 『偶像から自分を守りなさい』 2019年12月8日

牧師 高橋勝義

日本はすべてのものに神が宿ると考える多神教の国ですから、その信仰の対象は自然界から人間まで無限です。そして、その神々を「やおよろずの神」と表現し、「八百万の神」と書きます。これは数えきれないくらいの神々がいるという意味です。

聖書は、これら偶像について「見ることも聞くこともできず、食べることも嗅ぐこともできない、人の手のわざである木や石の神々[偶像] (申命記4:28)」である、そして人はこれらの偶像に仕え支配されている、と語ります。
ですから、ヨハネは「子どもたち、偶像から自分を守りなさい(Ⅰヨハネ5:21)」と命じます。なぜなら、偶像は、天と地と海、そして人間を造られた生けるまことの神から私たちを引き離し、さらには祟りなど恐怖心を植えつけて、私たちの心を縛るからです。しかし、それは人の手で作られた偶像にそのような力があるわけではなく、そこにサタンの力が働いているからなのです。

生ける神は、私たちを縛るサタンの支配から私たちを解放するために、御子イエス・キリストをこの世に送られました。キリストは、滅びに向かう私たちのすべてのと呪いの縄目を十字架で流された血潮によって断ち切ったのです。さらに十字架で死なれた後、墓に葬られましたが、三日目によみがえり、死に勝利されたのです。
このお方、イエス・キリストをからの救い主として信じる者は神の子とされ、サタンの支配から解放され、呪いや祟りから完全に自由にされた者となるのです。
偶像から離れ、イエス・キリストを信じることは、サタンに打ち勝つ秘訣なのです。

サタンに打ち勝つ力を与えるイエス・キリストの誕生を喜びお祝いしましょう。

牧師コラム 『死に至る罪』 2019年12月1日

牧師 高橋勝義

結核が「死の病」として恐れられていた時代が過去にはありましたが、今では薬で完治する病となりました。一方で人は、必ず死を迎えるのも事実です。
では体の機能がすべて停止した時、すなわち死を迎えた時に私たちの霊(魂)はどうなるのでしょうか。多くの人は、体は朽ちても霊(魂)は永遠に存在すると思っています。ですから死んだ後、霊(魂)はどこに行くのだろうかと不安を抱くのです。

神によって造られた初めの人には、まだ「」は存在しませんでした。

しかし、神の命令を破るを犯したために、肉体のと神との交わりが断たれる「霊的な死」の二つが入り込んできたのです。この二つの死を解決するために、神はイエス・キリストをこの世に遣わされ、私たちが犯したすべての罪をイエス・キリストに負わせ、十字架の上での処罰をされたのです。そして、この事実を受け取り、を認め、イエス・キリストを救い主として信じるすべての者に、「永遠のいのち」を与えると神は約束されたのです。

さてヨハネは「霊(魂)を死に至らせるについては、願うようにとは言わない(Ⅰヨハネ5:16)」と警告しています。これは、どういう意味なのでしょうか。

死に至るとは、「聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠のに定められます(マルコ3:29)」とあるように聖霊を否定するです。なぜなら、私たちを救いに導くのは、聖霊の働きによるもので、決して行いによるのではないからです。
すべて神の恵みです。今この時にも聖霊はイエス・キリストが救い主であることをあなたに語りかけています。この聖霊の声に耳を傾けてみませんか?

2019年11月7日 クラフト教室・支援報告 第193回

・日時:2019年11月7日
・参加者:7名
・奉仕者:仙台教会4名、石巻教会1名

製作:「エコテッシュケース」

チャペルタイム
「日本のマザ-・テレサ 井深八重」
賛美:「アメイジンググレイス」

今月の製作は「エコテッシュケース」。箱なしのテッシュがお洒落に治まる、壁掛けも可能な便利なケースです。製作ポイントの説明を聞いてから、それぞれスタート。楽しくおしゃべりに花を咲かせながらチクチク手を動かしましたが、ほとんどの方が時間内に完成し笑顔で記念写真に納まりました。

この日のチャペルタイムは日本のマザ-・テレサ井深八重のお話しでした。

明治30年(1897年)会津藩家老を勤めた井深家に生まれ、深窓のお嬢様として育った八重は同志社女学校を卒業し、英語教師として赴任した矢先にハンセン病と診断されます。3年後にこの診断はまったくの誤診だったことが判明するのですが、八重は静岡のカトリック教会が運営する神山復生病院に収容されます。そして絶望のどん底にいるはずの患者たちの穏やかな姿を通して、決して奪われることのない確かなものがあることを知り、院長のレゼ-神父に導かれイエス・キリストの救いの恵みに預かったのです。さらに、誤診が分かり帰宅が許された後も、レゼ-神父の患者たちに仕える姿から、ここで生きるのが自分の役割であると決心します。そして看護学校で学び、日本で最初のハンセン病患者を看護する看護婦となりました。看護の日々には逃げ出したくなるような戦いも一度や二度ではなかったそうですが、やがて「救ライ事業」に生涯を捧げた八重の苦労は世に認められ、ロ-マ教皇ヨハネ23世からの表彰、天皇から黄綬褒章を、さらに国際赤十字から看護婦の最高名誉ナイチンゲ-ル記章を受賞し、米国タイム誌に「マザ-・テレサに続く日本の天使」と紹介されました。後日、ハンセン病との誤診を受けたことについて彼女は「自分がここにいることは恵みです。神様からこの場を与えられたことを感謝しています。」と語っています。

クラフト教室の皆さんの心に神様が触れ続けてくださり、八重さんのように「決して奪われることのない確かなもの」を握られますように…。

『それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 (ロ-マ5:3~5) 』

 

 

 

 

 

牧師コラム 『キリストについての神の証し』 2019年11月24日

牧師 高橋勝義

裁判では証拠の有無が重要です。それが真偽を判断する根拠になるからです。そして、その証拠には物的証拠と証言による人的証拠とがあります。

ところで、聖書は「私たちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しはそれにまさるものです(Ⅰヨハネ5:9)」と語っていますが、神は一体何について証ししているのでしょうか…。それは、愛する一人子イエス・キリストをこの世に遣わされたこと、つまり神の私たち人間への愛です。
このお方は約2000年前、ユダヤのベツレヘムで生まれました。
そして、ご自分がこの世に来た目的について「人の子(イエス・キリスト)は、失われた者を捜して救うために来た(ルカ19:10)」と語っています。

本来、まことの神によって造られた人は、神とともに歩むはずでした。

ところが、神の命令を破り、神から離れ、背を向け、自分中心に生きるようになったのです。この歩みがであり、それゆえ人は「失われた者」になったのです。失われた私たちを再び神とともに歩む者にするために、キリストは十字架上で、私たちの身代わりとなっての刑罰を受けられたのです。
これこそ、私たちへの神の愛の証しです。また、キリストをからの救い主として信じる時、神との関係が修復され、神とともに歩むことが可能になるのです。
聖書では証人について、公平を期するために二人以上の証人による証言が求められています。ですから、神は物的証拠としてのイエス・キリストの誕生と十字架の贖い、さらに歴史上の証人という確かな証拠を私たちに示されたのです。

あなたも神のこの証しを受け入れてみては如何でしょうか?