2017年12月7日 バイパス東仮設支援 第173回

日時:2017年12月7日(木)
場所:バイパス東仮設
参加者:10名
奉仕者:仙台教会:8名、 石巻教会:1名 宣教師:1名

 12月に入り、寒さも厳しくなって来ました。今日はバイパス東クラフト教室のクリスマス会です。クリスマスリースの材料をワゴン車に積み込んで、石巻へ向かいました。今回は、いつもの井内の仮設から車で10分ほどの石巻福音自由教会に場所を移して、クリスマスリース作りとクリスマス会です。
 まずは、リース作りに取りかかりました。いろいろな自然の素材をグルーガンで、リースの土台に次々と付けて行きます。グリーンは、オレゴンもみの木、ヒムロスギ、ゴールドクレスト、ヒイラギ、木の実はシダローズ、マルシャリンバイ、アメリカフラの実、ヤシャブシの実、赤い実はサンキライ、千日紅、アンモビューム、雪のようにまっ白なコットン、姫リンゴ。ほとんどの材料は、奉仕者が時間をかけて集めた自然のものです。一時間もすると、緑と赤のコントラストが美しいオリジナルのリースが出来上がりました。できたてのリースを手にして、ひとりずつ、ツリーの前で記念撮影をしました。

 チャペル・タイムでは、クリスマスのワーッシップを賛美してから、「クリスマスの本当の意味」についてお話ししました。罪の中で苦しんでいる私たちのために、神様はひとり子のイエス様をこの世に送ってくださったこと、私たちの罪のために十字架で死んでくださったこと、そして死からよみがえってくださったこと、イエス様は、私たちを愛してやまない神様からのプレゼントであること。皆さん、うなずきながら熱心に耳を傾けてくださいました。

 その後、ハヤシライスとケーキのランチ・タイムです。食後のコーヒーを飲みながら、おしゃべりに花が咲きました。また、最初にこのクラフト教室を始めてくださった米国福音自由教会リーチ・グローバルの宣教師ローナ・ギルバート師が参加してくださり、最後のお祈りを捧げてくださいました。 おみやげには、名古屋福音自由教会から送って頂いた、美しい手作りの石けんのデコパージュを差し上げることができました。心のこもったクリスマスプレゼントを皆さんとても喜んでくださり、笑顔で帰って行かれました。

 「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。」  
                               ヨハネ3:16

 今回も、全国の教会の篤いお祈りとご支援を頂いて、クリスマスの恵みをお伝えできたことを心から感謝致します。
                                吉田真知子

                

牧師コラム 『インマヌエル』 2017年12月10日

牧師 高橋勝義     

 今から約2700年前、預言者イザヤは、「主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ7:13)」とまことの神から託された言葉を語りました。
 『インマヌエル』とは、「神は私たちとともにおられる」という意味です。
 天地万物を創造され、人間をも造られたお方は私たちを愛し、私たちと関わりを持ち、共に歩んでいきたいと思っておられるまことの神です。ところが当の私たちは、この神に近づくすべを知らず、それどころか神から離れ、自分勝手な歩みをしています。
 しかし、そんな私たちも、圧倒的な大自然の美しさを見る時、また緻密で想像をはるかに超えた人体の仕組みを知る時、これらを設計されたお方がいるのではと感じます。
 こんなちぐはぐな私たちを神はあわれみ、神と人との隔ての罪を取り除くために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされました。これがクリスマスです。
 神と人とを隔てる罪を、神はイエスに負わせ、十字架で処罰しました。
 神は、このイエスを信じ、罪ゆるされた者とともに歩んでくださるのです。
 十字架は、まことの神の愛のしるし『インマヌエル』なのです。
 イエスの弟子ヨハネは、「これらのことが(聖書に)書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。(ヨハネ20:31)」と語っています。
 友が遠くから訪ねて来てくれることは、とても嬉しいことで、積もる話が尽きず、一晩中、語り合うことでしょう。ならば、天からあなたのもとに来られたイエス・キリストと語り合ってみませんか。
 イエス・キリストは、あなたを待っておられます。

牧師コラム 『人間と家畜を惜しむ天の神、主』 2017年12月3日

 牧師 栗原延元

 ヨナ書の最後は、イスラエルの敵国の首都ニネベの町を滅ぼさなかった主に対して抗議する預言者ヨナをなだめ、さとす主の仰せで終わっています。
 少し長めの引用ですがお読みください。〈主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」〉(ヨナ4:10,11)
 ヨナはイスラエルの愛国預言者でした。それゆえに、北方の大国の首都ニネベの町の繁栄を快く思えなかったのです。その町が罪を悔い改めるより、罪のゆえに弱体化してゆくことが母国、イスラエルにとって益となると考えていたようです。
 ですから、ヨナの説教を聞いて、ニネベの町の人々が悪の道から立ち返るために努力しているのを神がご覧になり、この町に下すと言っておられたわざわいを思い直して、そうされなかったことに抗議するのです。神はこのヨナの不機嫌を直すために一本のとうごまを備えるのです。
 神とヨナのこのやりとりは礼拝の中で学びます。

2017年11月16日 パイパス東仮設支援 第172回

 日時:2017年11月16日(木)
 場所:バイパス東仮設
 参加者:12名
 奉仕者:仙台教会:7名、 石巻教会:1名

 前日の天気予報は、雪でしたが、石巻に近づく頃は、雲の間から時折太陽がのぞいていました。穏やかな秋の一日です。
 
 今回は「ポシェット」の第2回目。肩ひもを通すDカン、口のファスナーを縫い付け、内袋を本体に縫い付けて、出来上がりです。ちょっとしたお出かけの時に使いたい、とてもおしゃれで素敵なポシェットです。仕上がった方から順に、記念撮影となりました。がんばった皆さんの笑顔が輝いていました。

 コーヒータイムの後のチャペルタイムでは、クリスチャン作家「三浦綾子」についてお話ししました。綾子さんは、ご自分でこう書かれています。
「私は時折、もし私が聖書を知らなかったとしたら、今頃どんな生活をしているだろうかと思う。戦争中に小学校の教師であった私は、敗戦を迎えて、ひどく虚無的な、懐疑的な人間になった。その私を敗戦後7年目にして変えたのは聖書であった。『あなたひとりのためにでも、キリストはあなたの罪を背負って、十字架にかかって下さったでしょう。』とある伝道師が言ったとき、私は戦慄にも似た激しい感動を受けた。この自分のために死んでくれた人がいた、というそのことが肌身にしみてわかったのである。」すべての罪を赦してくださる十字架の愛を知った綾子さんは、変えられ、ひとりでも多くに人に聖書の言葉を伝えるために、小説を書き始めました。たくさんの作品を執筆されましたが、読者の中から、信仰を得る方が多く起こされています。このように人生を大きく変えることができる神の御言葉、神の愛にぜひ触れていただきたいと祈りつつ語らせていただきました。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」   ヨハネ3:16
                         
 今日も皆様のお祈りとご支援に支えられて、神様の御言葉をお伝えできたことを心から感謝いたします。               
                                 
                               吉田真知子

       

牧師コラム 『とこしえの神の愛』 2017年11月26日

 牧師 高橋勝義   

 聖書の冒頭には「初めに、神が天と地を創造した(創世記1:1)」と記されています。
 神が造られた世界を見たダビデは、「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。(詩篇8:35)」と驚きの声とともに創造主なる神をほめたたえています。
 人は、誰でも自分の存在を認めて欲しいと切に願っています。
 しかし、私たちは自分を正しく評価してくれない社会や人に対して、失望し、怒りや恨み、そして、憎しみと妬みを持ちます。これが、心を閉ざしたり、あるいは攻撃的な行動になったりします。
 これらは、どちらも、健全ではありません。
 ところが、創造主の神は、いつもあなたを顧みて下さる(注目して下さる)お方です。
 この神の愛に触れたダビデは、驚き、感激し、自分という存在をこの神の愛によって受け入れることが出来たのです。
 ですから、「栄光と誉れの冠」を与えて下さっていると表現したのです。
 ダビデが感じた神の愛は、創造の初めから、今に至るまで、これから先も全く変わることなく、国境を越え、人種を越え、分け隔てなく私たちに注がれています。
 では、私たちは、この神の愛をどのようにして知ることが出来るのでしょうか?
 聖書は、『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)』と語っています。
 神の愛のしるし、これが、イエス・キリストであり十字架なのです。

牧師コラム 『恐れるな、信じなさい』 2017年11月19日

 牧師 高橋勝義

 自分の力ではどうすることもできないことが起った時、将来に希望が持てない時、私たちは、恐れと不安に襲われます。ひとり娘が死にかけていた会堂管理者のヤイロは、イエス・キリストにすべてを託し、家まで来て下さるようにお願いしました。
 しかし、イエスが彼の家に向かおうとすると、群集が押し寄せ、そのどさくさにまぎれ、十二年の間長血をわずらっていた女が「(イエスの)着物に触ることでもできれば、きっと直る(マタイ9:21)」と信じてイエスの着物に触ったのです。
 すると、その女の病は直りました。その時、「あなたのお嬢さんはなくなりました。もう、先生を煩わすことはありません。(ルカ8:49)」との悲しい知らせが届きました。
 イエス・キリストは、これを聞いてヤイロに「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。(ルカ8:50)」と語り、彼に信仰に立つように促したのです。
 死んだ娘が生き返る…どう考えてもあり得ない事です。
 ヤイロはイエスのことばを信じ、家にお連れしました。
 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいましたが、イエスは「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」と言われたのです。
 しかし、人々は、イエスをあざ笑いました。
 そして、イエスが「子どもよ。起きなさい。(ルカ8:54)」と命じると娘は生き返ったのです。ペテロが『あなたがたの信仰と希望は神にかかっている(Ⅰペテロ1:21)』と語っている通りです。まさに、彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない(ローマ9:33)』のです。
 これは、信仰による約束です。

牧師コラム 『いと高き神の子』 2017年11月12日

 牧師 高橋勝義   

 悪霊に憑かれている男は、イエス・キリストに出会うと「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。(ルカ8:28)」とひれ伏し、大声で叫びました。
 この男を支配している悪霊は、イエスが、どんなお方なのかを知っており、イエスを非常に恐れていることが分かります。そうでなければ、「お願いです。どうか私を苦しめないでください。」などと言ったりはしません。また、悪霊は、イエス・キリストがこの世に来られた目的をも知っていました。
 聖書は、私たちの姿について「罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊(悪霊)に従って、歩んでいる(エペソ2:2)」と記し、その結果「罪から来る報酬は死です(ローマ6:23)」と語っています。
 しかし、これだけでは終わりません。この次に続く御言葉が、とても重要になってきます。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ6:23)」。
 イエス・キリストは、私たちを罪の支配(悪霊の支配)から解放するために、十字架で身代わりとなって死に、三日目によみがえり、人間にとって最大の恐怖である【死】を打ち破られたのです。
 それ故、イエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちを頂き、滅びから救われ、新しいいのちに生きる者へと変えられるのです。
 これらすべては、私たちへの神からの賜物(プレゼント)なのです。
 十字架は、罪の支配(悪霊の支配)から私たちを解放する力です。
 この目的のために、『いと高き神の子』であるイエス・キリストは、この世に来られたのです。

牧師コラム 『預言者ヨナの説教』 2017年11月5日

 牧師 栗原延元

 前回(101)はヨナが魚の腹の中から、彼の神、主に祈った祈りのことばを学びました。今回は、魚の腹の中から陸地に吐き出されたヨナがニネベの町に行って、主のことばを伝えたヨナの説教の働きとその結果について学びます。
 当時のニネベは、行き巡るのに三日もかかるほどの非常に大きな町でした。12万人以上の人間と数多くの家畜とがいました。その町の人々にヨナは歩き回りながら「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と叫んだのです。悪と暴虐が町中にはびこっていたニネベの町でしたが、ヨナの宣教のことばによってニネベの町の人々は、こぞって神を信じ、悪の道から立ち返り、暴虐な行いを悔い改めました。
 主なる神はニネベの町の人々が悪の道から立ち返るために努力しているのをご覧になって、彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直して、そうされなかったのです。
 ヨナの説教で悔い改めたニネベの人々をイエスは称賛しました。 (マタイ1241) そして、〈ここにヨナよりもまさった者がいる〉と、ご自身が誰であるかを明らかにするのです。まさにイエスこそ、神が世を救うために、天から遣わされたお方なのです。

2017年9月28日 万石浦仮設支援 第171回

日時:2017年9月28日(木)
場所:渡波万石浦仮設集会所
参加者:20名
奉仕者:10名(仙台教会8名、石巻教会2名)

 この日は、石巻支援には珍しく雨模様の天気となりました。
 仙台を出発した私たちの車は、ETC泉インターが閉鎖されていた為遠回りをさせられ、石巻到着が、30分程遅れてしまいました。その間、仮設の集会所では、石巻在住の高橋先生御夫妻がテーブルセッティングを済ませ、来会予定者の送迎をして下さっていました。
 仙台からの奉仕者が到着した時には、8名ほどの方がすでに談笑されていました。
 (私は、家庭の事情で、このところ支援活動に思うように参加できずにいますが、万石浦仮設へは震災後、数多く通わせて頂きましたので、思い入れの残る場所です。見慣れたお顔があるとほっとします。)
 復興住宅やご自宅、仮設等から20名の方が集って下さいました。
 真知子先生の明るい笑顔での挨拶に始まり、明美先生指導で季節のお魚名を入れた歌を歌いながらの体操に続いて、「幸せなら手をたたこう・四季の歌・青い山脈」と馴染み深い曲を歌いながら、頭と身体を動かします。特に青い山脈は、皆さん青春時代に戻って、はつらつとした笑顔で、精一杯歌っておられました。メッセンジャー栗原先生も「古い上着をさようなら…」がとてもお気に召したようでした。
 この日のお話は、石巻蛇田出身の人権弁護士布施辰治氏についてでした。
 キリスト教精神に基づいて、明治から昭和にかけて、不当な搾取と虐待、差別問題に苦しむ人々の為に働いた方だそうです。特に、当時、朝鮮人と言われた人々の為に働き、韓国から建国勲章を受けたそうです。
 石巻が、こういう人を生み出した事をあまりご存じなかった様子だった皆様は、故郷をさらに誇れる気持ちになれたのではないでしょうか。
 嬉しいお話しの後は、お食事をしながらのお交わりです。
 仮設支援が始まった頃、私たちに採れたてのワカメを分けて下さったり、手作りのブローチを下さったりした方と、お話しすることが出来ました。
 松島の方で暮らしておられる息子さんに呼ばれ、地元を離れる決心をされたこの方は、仮設を出る時、住んでいた部屋の前に桜の苗木を植えて行かれたよそうです。
 石巻に来る時は、子どもが小さい時から家族ぐるみでお付き合いをしていた方が送迎をして下さるそうで、週に何回か万石浦仮設の集会所を訪ねては、仲間と話す時を大切にしておられます。新しい土地で友人を作るのは、難しいそうです。
 万石浦仮設に入っておられる方は、もう少なくなっています。
 けれど集会所は、いつでも使えて、気がねなく行ける場所として、散り散りになった方々の大切な場所になっている様です。
 いつか、この場所が名無くなってしまったら、どんなに寂しいでしょう。
 イベントがあると沢山の方々が集まって下さる石巻教会です。
 これからは、毎週の礼拝やお茶っこ会等を利用して、親交を繁く場として下さってもいいと思います。
 礼拝は、少し慣れないかとも思いますが、高橋先生が普段と違う背広に着替え、やさしく話す様子や心を込めて奏楽されている明美先生の様子は、とても暖かく礼拝堂の中にいるだけでほっとできるのではないかと思います。
 震災という苦しみを共に過ごして来た友人との絆を、これらも石巻教会を中心に繁いで頂ければと願います。また、これから都会に出て行くかもしれない若い方々に、本当のキリスト教をお伝えする必要も感じています。
 キリストさんと呼び、キリスト教を良きものと思って下さっているだろう石巻のこども達が、おかしなカルト集団の巧な誘いに捕まることのない様に、若い方々にお伝えしていく術はないものでしょうか。お祈り下さい。
                               牛久洋子