牧師コラム 『神が下さる平安』 2018年1月14日

 牧師 高橋勝義     

 主イエス・キリストは、『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ1:15)』と人々に福音(良きおとずれ・Good News)を語りました。
 この福音を伝えるために、十二弟子たちをつかわす時、主は彼らにあらゆる悪霊を追い出し、病気を直す力と権威をお授けになりました。
 そして、旅のためには何も持って行かないこと、また人々が福音を受け入れない場合、その町を出て行く時には足のちりを払い落とすこと、更に町や村に入り、誰かの家に入る時には「平安を祈るあいさつ」をするようにと弟子たちに命じられました。
 すべての必要はまことの神が備えて下さる、人々の反応に一喜一憂しないことを弟子たちに前もって教えられたのです。
 人は、様々な人生の重荷を負って歩み、大なり小なり不安と恐れを常に抱いているものです。更に人間関係の葛藤も重なり、平安な日々を送りたいと願い求めているのに、苦しみもがいています。

 ですから、イエス・キリストは、行く先々で「平安を祈るあいさつ」をするように弟子たちに命じたのです。イエス・キリストの平安とは、天地万物を造られたまことの神が与えるもので、それはすべての必要を知っておられる愛の神が、私たちの人生を導き、常に私たちのかたわらに寄り添い、歩んで下さるという平安です。
 この平安は、福音を受け入れた者に与えられるのです。
 本当の平安を持つ秘訣は、あなたを愛してやまない神を信じ、神に頼る生き方をすることです。
 あなたもこの神を信じる一歩を踏み出してみませんか?

牧師コラム 『初めに神が天と地を創造した』 2018年1月7日

牧師 栗原延元     

 聖書は〈初めに、神が天と地を創造した〉と書き始めます。まさに神は森羅万象の創造主です。この聖書の宣言は幕末の一人の青年武士の人生を一変します。彼は日本国の存在と己の人生の目的を、この聖書を学ぶことに賭けるのです。
 その青年とは、同志社大学の創立者、新島襄です。彼がここから学んだ真理の第一は、人間が造ったものは神ではないという事です。神棚も仏壇も神ではない。自然そのものも神ではない。人間も神ではない。私どもの目に見えるものは神ではなく、神によって造られた、被造物である。それが聖書が冒頭から語っていることです。まさに詩人が〈天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる〉(詩篇191)と賛歌しているとおりです。
 次に被造物には創造者の意志とそれらを造った目的があるという真理です。人はいろいろなものを作ります。ボールペン、鉛筆などの書きもの、衣類などの着るもの、時計などそれぞれの機能を持ったものを作りますが、その目的は人間の役に立つためです。人間が神に造られたのは、人の生きる目的が「神の栄光」のためなのです。

牧師コラム 『友なるイエス』 2018年1月1日

牧師 高橋勝義     

 聖書(箴言2717)には、『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。』と語られています。友を選ぶことは、人生の要なのかもしれません。
 中国のことわざに「朱に交われば赤くなる」とあるのもうなずけます。
 イエス・キリストは『わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら、父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。』(ヨハネ15:15)と語っています。あなたは、イエス・キリストの友なのです。
 イエス・キリストは、友であるあなたに天の父の思いを知らせるのです。
 天の父の思いとは、何でしょうか。
 それは、失われたあなたを捜して救うこと、そのために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたということです。
 創造の初めでは、まことの神と人とは親しい間柄でした。
 ところが、人は、まことの神から離れ、背を向けて歩むようになったのです。
 ですから、神の側からすれば、私たちは神のところから飛び出して行き、失われた人になったのですが、私たちにはその自覚がありません。
 そこで、神と人とを隔てる壁()を打ち壊し、再びもとの親しい間柄になるために、イエス・キリストは、神に対するそむきの罪を身代わりに負って、十字架で死なれたのです。
 この十字架こそが、私たちを罪から救うための神の愛の証しであるのです。
 あなたが友だから、イエス・キリストは、あなたに天の父の思いを知らせ、あなたの今の姿を自覚させ、新しい歩みへと導こうとしているのです。

牧師コラム 『絶望から希望へ』 2017年12月31日

牧師 高橋勝義     

 十二年の間長血をわずらっていた女は、医者の所に行き、あらゆる方法を試みましたが、病は直るどころか、悪くなってしまいました。それだけではありません。信頼していた医者からひどい目に遭い、財産をすっかり使い果たしてしまったのです。
 しかし、絶望のどん底にいた時、かすかな希望の光があることを知ったのです。その光とは、イエス・キリストです。
 女は、「イエス様の着物に触ることでもできれば、きっと直る(マタイ9:21)」と信じ、人ごみの中に分け入って、こっそりと、イエスの着物のふさに触ったのです。すると、あんなに苦しんでいた出血が、たちどころに止まったのです。
 ところが、イエスは、ご自身から力が出ていくのを感じ、あたりを見渡して「わたしに触ったのは、誰ですか」と言われました。ペテロは、「先生。この大勢の人が、ひしめき合って押しているので分かりません。」と答えました。
 隠しきれないと分かった、女は、震えながら進み出て、御前にひれ伏し、すべての民の前で、イエスに触ったわけと、たちどころにいやされた次第とを話したのです。
 話しを聞いたイエスは、女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。(ルカ8:48)」と言われたのです。
 光りであるイエス・キリストのところに一歩踏み出す勇気(信仰)が、絶望の中から希望を見出し、女はからだと心の癒しを同時に得ることが出来たのです。
 『期待が長びくと心は病む。望みがかなうことは、いのちの木である。』箴言13:12
 あなたもこの女性のようにイエス・キリストのふところに飛び込んでみませんか。

牧師コラム 『救い主の誕生』 2017年12月24日

 牧師 高橋勝義     

 あなたは、家族の誕生日を覚えていますか。
 11月になると、街では、クリスマスソングが、あちこちから聞こえてきます。
 子どもの頃の私にとって、クリスマスは、ケーキが食べられる日でした。
 クリスマスとは今から約2000年前の夜、イエス・キリストが誕生した日なのです。
 その夜、野宿で夜番をしている羊飼いたちの前に御使いが現れ「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。(ルカ2:11,12)」と告げました。
 そこで、羊飼いたちは、ベツレヘムの町に出かけ、御使いが告げた通り飼い葉おけに寝ているみどりごを見つけたのです。
 それから、30年後、バプテスマのヨハネという人は、イエス・キリストを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ1:29)」と語りました。
 私たちは、まことの神を知らず、神に背を向けて歩んでいるので、憎しみや怒り、妬みや恨みに心が支配され、様々な争い事を引き起こしてしまうのです。
 この心の根本にあるのが罪なのです。この罪を取り除くために、イエス・キリストは、人となってこの世(あなたのところ)に来られ、十字架で死んで下さいました。
 そのイエス・キリストは、『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです(ルカ5:32)』とあなたに語っています。
 クリスマスは、神の子イエス・キリストが私たちの所に来て下さった喜びの時、だから世界中でお祝いするのです。

牧師コラム 『新たなる旅たち』 2017年12月17日

 牧師 高橋勝義

 マリヤは、聖霊によって男の子を宿します。しかし、人々はそれを受け入れることが出来ませんでした。婚約者のヨセフも同様に、悩み苦しんでいました。
 ヨセフは、主の使いが夢に現れて「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(マタイ1:20,21)」と語られたので、マリヤを受け入れます。
 そこに、ローマ帝国の皇帝アウグストから世界中に住民登録をせよという勅令が出ます。住民登録をする場所は、今住んでいるところではなく、出身地で行います。
 ヨセフの出身地は、ベツレヘムなので、ナザレから直線距離で110㎞の旅となります。普通の旅でも、多くの困難が待ち受けているところに、身重のマリヤを連れての旅ですから、二人にとって、とても厳しい旅です。
 一見するよ、無慈悲な神のように感じてしまいます。
 ところが、この旅は、夫婦としての絆を深めるのにとても重要であり、彼らを守る旅でもあったのです。なぜなら、ナザレでイエス・キリストが生まれていたならば、人々から厳しい目で見られることとなり、二人には、居場所がなかったからです。
 この旅は、まことの神の御配慮に満ちた愛なのです。
 この愛に守られ、二人は、新たなる旅立ちをすることが出来たのです。
 『神を愛する人々、即ち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。       (ローマ8:28)

2017年12月7日 バイパス東仮設支援 第173回

日時:2017年12月7日(木)
場所:バイパス東仮設
参加者:10名
奉仕者:仙台教会:8名、 石巻教会:1名 宣教師:1名

 12月に入り、寒さも厳しくなって来ました。今日はバイパス東クラフト教室のクリスマス会です。クリスマスリースの材料をワゴン車に積み込んで、石巻へ向かいました。今回は、いつもの井内の仮設から車で10分ほどの石巻福音自由教会に場所を移して、クリスマスリース作りとクリスマス会です。
 まずは、リース作りに取りかかりました。いろいろな自然の素材をグルーガンで、リースの土台に次々と付けて行きます。グリーンは、オレゴンもみの木、ヒムロスギ、ゴールドクレスト、ヒイラギ、木の実はシダローズ、マルシャリンバイ、アメリカフラの実、ヤシャブシの実、赤い実はサンキライ、千日紅、アンモビューム、雪のようにまっ白なコットン、姫リンゴ。ほとんどの材料は、奉仕者が時間をかけて集めた自然のものです。一時間もすると、緑と赤のコントラストが美しいオリジナルのリースが出来上がりました。できたてのリースを手にして、ひとりずつ、ツリーの前で記念撮影をしました。

 チャペル・タイムでは、クリスマスのワーッシップを賛美してから、「クリスマスの本当の意味」についてお話ししました。罪の中で苦しんでいる私たちのために、神様はひとり子のイエス様をこの世に送ってくださったこと、私たちの罪のために十字架で死んでくださったこと、そして死からよみがえってくださったこと、イエス様は、私たちを愛してやまない神様からのプレゼントであること。皆さん、うなずきながら熱心に耳を傾けてくださいました。

 その後、ハヤシライスとケーキのランチ・タイムです。食後のコーヒーを飲みながら、おしゃべりに花が咲きました。また、最初にこのクラフト教室を始めてくださった米国福音自由教会リーチ・グローバルの宣教師ローナ・ギルバート師が参加してくださり、最後のお祈りを捧げてくださいました。 おみやげには、名古屋福音自由教会から送って頂いた、美しい手作りの石けんのデコパージュを差し上げることができました。心のこもったクリスマスプレゼントを皆さんとても喜んでくださり、笑顔で帰って行かれました。

 「神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。」  
                               ヨハネ3:16

 今回も、全国の教会の篤いお祈りとご支援を頂いて、クリスマスの恵みをお伝えできたことを心から感謝致します。
                                吉田真知子

                

牧師コラム 『インマヌエル』 2017年12月10日

牧師 高橋勝義     

 今から約2700年前、預言者イザヤは、「主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ7:13)」とまことの神から託された言葉を語りました。
 『インマヌエル』とは、「神は私たちとともにおられる」という意味です。
 天地万物を創造され、人間をも造られたお方は私たちを愛し、私たちと関わりを持ち、共に歩んでいきたいと思っておられるまことの神です。ところが当の私たちは、この神に近づくすべを知らず、それどころか神から離れ、自分勝手な歩みをしています。
 しかし、そんな私たちも、圧倒的な大自然の美しさを見る時、また緻密で想像をはるかに超えた人体の仕組みを知る時、これらを設計されたお方がいるのではと感じます。
 こんなちぐはぐな私たちを神はあわれみ、神と人との隔ての罪を取り除くために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされました。これがクリスマスです。
 神と人とを隔てる罪を、神はイエスに負わせ、十字架で処罰しました。
 神は、このイエスを信じ、罪ゆるされた者とともに歩んでくださるのです。
 十字架は、まことの神の愛のしるし『インマヌエル』なのです。
 イエスの弟子ヨハネは、「これらのことが(聖書に)書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。(ヨハネ20:31)」と語っています。
 友が遠くから訪ねて来てくれることは、とても嬉しいことで、積もる話が尽きず、一晩中、語り合うことでしょう。ならば、天からあなたのもとに来られたイエス・キリストと語り合ってみませんか。
 イエス・キリストは、あなたを待っておられます。

牧師コラム 『人間と家畜を惜しむ天の神、主』 2017年12月3日

 牧師 栗原延元

 ヨナ書の最後は、イスラエルの敵国の首都ニネベの町を滅ぼさなかった主に対して抗議する預言者ヨナをなだめ、さとす主の仰せで終わっています。
 少し長めの引用ですがお読みください。〈主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」〉(ヨナ4:10,11)
 ヨナはイスラエルの愛国預言者でした。それゆえに、北方の大国の首都ニネベの町の繁栄を快く思えなかったのです。その町が罪を悔い改めるより、罪のゆえに弱体化してゆくことが母国、イスラエルにとって益となると考えていたようです。
 ですから、ヨナの説教を聞いて、ニネベの町の人々が悪の道から立ち返るために努力しているのを神がご覧になり、この町に下すと言っておられたわざわいを思い直して、そうされなかったことに抗議するのです。神はこのヨナの不機嫌を直すために一本のとうごまを備えるのです。
 神とヨナのこのやりとりは礼拝の中で学びます。

2017年11月16日 パイパス東仮設支援 第172回

 日時:2017年11月16日(木)
 場所:バイパス東仮設
 参加者:12名
 奉仕者:仙台教会:7名、 石巻教会:1名

 前日の天気予報は、雪でしたが、石巻に近づく頃は、雲の間から時折太陽がのぞいていました。穏やかな秋の一日です。
 
 今回は「ポシェット」の第2回目。肩ひもを通すDカン、口のファスナーを縫い付け、内袋を本体に縫い付けて、出来上がりです。ちょっとしたお出かけの時に使いたい、とてもおしゃれで素敵なポシェットです。仕上がった方から順に、記念撮影となりました。がんばった皆さんの笑顔が輝いていました。

 コーヒータイムの後のチャペルタイムでは、クリスチャン作家「三浦綾子」についてお話ししました。綾子さんは、ご自分でこう書かれています。
「私は時折、もし私が聖書を知らなかったとしたら、今頃どんな生活をしているだろうかと思う。戦争中に小学校の教師であった私は、敗戦を迎えて、ひどく虚無的な、懐疑的な人間になった。その私を敗戦後7年目にして変えたのは聖書であった。『あなたひとりのためにでも、キリストはあなたの罪を背負って、十字架にかかって下さったでしょう。』とある伝道師が言ったとき、私は戦慄にも似た激しい感動を受けた。この自分のために死んでくれた人がいた、というそのことが肌身にしみてわかったのである。」すべての罪を赦してくださる十字架の愛を知った綾子さんは、変えられ、ひとりでも多くに人に聖書の言葉を伝えるために、小説を書き始めました。たくさんの作品を執筆されましたが、読者の中から、信仰を得る方が多く起こされています。このように人生を大きく変えることができる神の御言葉、神の愛にぜひ触れていただきたいと祈りつつ語らせていただきました。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」   ヨハネ3:16
                         
 今日も皆様のお祈りとご支援に支えられて、神様の御言葉をお伝えできたことを心から感謝いたします。               
                                 
                               吉田真知子