牧師コラム 『わたしが示す地に行きなさい』 2020年5月17日

牧師 高橋勝義

アブラムの父テラは息子アブラムとカナンの地を目指して故郷を旅立ちましたが、途中のカランに住み着きました。父テラはこの地で二百五年の生涯を終えます。

このハランで、主はアブラムに現れ「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい(創世記12:1)」と告げたのです。
アブラムは、甥のロトを伴い、【主】が告げられたとおりに父の家を出て行きました。この時、彼は七十五歳です。
聖書は、彼のこの行動を「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました(ヘブル11:8)」と証言しています。その時、神は「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し~(創世記12:2)」との約束も彼にお与えになりました。

このアブラムの旅は神を信じる人の人生そのものです。

まだ見ぬ将来や不安な中にあっても、「あなたを祝福しよう」と語られる神の約束を信じて生きる人生です。アブラムは、自分に現れてくださった主のために、祭壇を築き、神を礼拝し、自分が生きている間には、実現しないことを承知の上で「あなたの子孫にこの地を与える」との約束を信仰をもって受け取ったのです。
私たちも、目には見えなくても確かにおられる神を信じ、励ましと希望をいただきながら人生を歩むのです。

「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」

牧師コラム 『アブラハムの父テラ、故郷を出る』 2020年5月10日

牧師 高橋勝義

ノアの息子セムの歴史は、メシア(イエス・キリスト)につながる一族の歴史です。

セムから数えて8代目となるテラは、『信仰の父』とも言われるアブラム(アブラハム)の父親です。聖書に『あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた』(ヨシュア記24:2)と記されているように、彼らの居住地ウルは、異教の神々への信仰が盛んな地であり、彼もその影響を強く受けていました。
このような状況の中で、神である主はテラにふれられ、彼は息子アブラムとその妻サライ、孫のロトを伴い、カナンの地をめざし、生まれ故郷ウルを出たのです。
しかし旅の途中のハランで、彼は二百五年の生涯を終えます(創世記11:32)。

目的地カナンにはたどり着くことが出来なかったテラですが、異教の神々に長く仕えてきた高齢の彼がすべてを捨てて故郷ウルを出た背景には、「セムの神、主」(創世記9:26)とノアが語ったことを神が覚えておられたからです。
これは、神の一方的なあわれみと恵みによるものです。同様に、神に背を向けて歩んでいる私たちが、神の赦しと愛の中に生きる者とされるのは、キリストが私たちのすべての罪を代りに負って十字架の上で死んでくだったからです。

「あなたがたが救われたのは恵みによるのです」(エペソ2:5)

牧師コラム 『名をあげよう』 2020年5月3日

牧師 高橋勝義

「故郷に錦を飾る」という思いが様々な困難に立ち向かう力になった、と聞くことがあります。何事にも目標を持つことは大切ですが、その動機はさらに重要です。

さて大洪水の後、ノアの子ども達セム・ハム・ヤフェテから全世界の民が分かれ、世界がまだ共通のことばを使っていた時のことです。
人々は「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう(創世記11:4)」と、壮大な目標に向かって動き始めたのです。しかしそれは「われわれが地の全面に散らされるといけないから」という思いからでした。
そこには、神が人を地の全面に住むようにされたみこころへの反抗心、また「名をあげよう」という願いの根底にあるものは、「神がいなくても、自分たちの力をもってすれば何でもできる」と考える高慢心など、罪の本質が見えます。

神である主は、この出来事をご覧になり、互いの話しが通じないように、ことばを混乱させ、天に届く塔の建設ができなくなるようにされました。そして、この町の名はバベルと呼ばれ、これ以後、人々は全世界に散って行ったのです。
キリストの救いが示された今、神は民族や言葉の壁を超えて、再び人々を神の国に集めようとしておられます。それは、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じるすべての人は、神の子とされ、神の民となるからです。

牧師コラム 『新たなる人類の歩み』 2020年4月26日

牧師 高橋勝義

大洪水の後、ノアの三人の息子セム・ハム・ヤフェテから、新たなる人類の歩みが始まりました。そして、セム・ハム・ヤフェテの子孫が歴史に刻まれていきます。

ヤフェテの子孫は、黒海とカスピ海の周辺、ヨーロッパとアジア方面へ。
ハムの子孫は、南と中央アラビヤ、エジプト、地中海東岸とアフリカの東岸へ。この子孫からニムロデが現れ、メソポタミア地方に強大な王国を築きます。
そして、セムの子孫は中東地域へ。この子孫から、アブラハムが出てきます。

聖書は「神話」とされていたところもありましたが、近年、考古学の進歩により、その記述は神話ではなく、歴史の中に刻まれた事実であることが分かって来ました。
そのすべてが解明されたわけではありませんが、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります(へブル11:3)」と聖書は語っています。

信仰とは、「鰯の頭も信心から」ではありません。宇宙や人間のからだを詳しく調べれば調べるほど、緻密に組み立てられていることが分かり、これらを創造したお方がいなければ説明不可能です。それゆえ、創造主なる神を信じるのです。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」と愛の神は約束し、あなたとともに歩んでくださるお方なのです。

牧師コラム 『契約のしるし“虹”』 2020年4月12日

牧師 高橋勝義

 雨上がりの空にかかる虹はとても綺麗で、心が躍ります。この虹には神の愛のメッセージが込められていると知るなら、誰もが虹を喜ぶことに納得するでしょう。

 ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中で1年と10日という長い時間を過ごしました。そして地はすっかり乾き、神の促しに従ってノアの家族と生き物たちは箱舟から出て新たな歩みを始めます。まず神を礼拝したノアとその息子たちを神は祝福して、彼らに「生めよ。増えよ。地に満ちよ。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。」と仰せられました。
 さらに神は、もう洪水で地上を滅ぼすことはしないと約束され、空にかかる虹がその永遠の契約のしるしであると言われたのです。
人の罪がなくならないことをご存知の神が、二度と洪水で滅ぼさないと約束されたのは、救い主イエス・キリストによって人を罪から救うご計画があったからです。

 終わりの時には、今ある天と地は火で焼かれ、さばきと滅びの時がくると聖書は語ります(Ⅱペテロ3:7)。 私たちを愛しておられる神は、このさばきと滅びから救うために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。
 「それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3:16)」

牧師コラム 『箱舟は水面に漂った』 2020年3月22日

牧師 高橋勝義

旅先で思わぬ出来事が起こり、何日も足止めされたりしたら困ってしまいます。足止めが解除されるのを、じっと待つしかありません。

さて、ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、箱舟の中に入ります。
すると、【主】は彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
そして、大雨は四十日四十夜、地に降り続き、水かさが増して箱舟を押し上げたので、箱舟は地から浮き上がったのです。(創世記7:17)
箱舟が水面に浮きあがったということは、地のすべては水の中に沈んだことになります。そして水は、百五十日の終わりに減り始めたのです。
しかし、いつ頃地が乾き、外に出られるのか、見当もつきません。

この間、ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中でともに生活することになります。毎日、ノアの家族は生き物たちの世話でてんてこ舞いだったことでしょう。

心の中には不安もあったことでしょうが、すべて神が語られた通りであることを見てきたノアは、神である主に信頼し、大地が乾く日を期待して待ったのです。どんな状況に置かれても、神である主に信頼し、神を待ち望む信仰が大切なのです。

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(へブル10:36)」と語られている通りです。

牧師コラム 『神である主が戸を閉ざされた』 2020年3月15日

牧師 高橋勝義

近頃の住宅扉は鍵を使わず「カードキー」や「スマホ」で鍵を開閉し、雨の日や荷物のある時とても便利です。また病院や店舗では自動ドアが普通になっています。

さて、地に増え広がった人間が堕落した姿に心を痛めた神は、すべての生き物を滅ぼすことを決め、【主】の心にかなっていたノアに「ゴフェルの木で箱舟を造りなさい」(創世記6:13,14)と命じます。
そして、ノアはすべて神が命じられたとおりに行ったのです(創世記6:22)。
人々は、ノアから箱舟を造る理由を聞いていましたが、誰一人として信じませんでした。箱舟が完成すると、神はノアに「あなたの家族とすべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取り、箱舟に入るように (創世記7:1~3) 」と命じます。ノアはすべて命じられたとおりに行い、そして彼も箱舟に入りました。

すると【主】が、彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
神が閉ざされたならば、誰もその扉を開けることはできません。

今、キリストを罪からの救い主として信じ、神と共に歩むことができる「扉」は開かれています。しかしこの救いの扉も、思いがけない時、突然、閉じられます。
ノアの時代の人々のようにならないために、救いの扉の中に入ってみませんか?
「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2)。

牧師コラム 『箱舟を造りなさい』 2020年3月8日

牧師 高橋勝義

子どもの頃、「ポンポン船」を作って遊んだことがあります。とても簡単な仕組みですが、「ポンポンポン」と音を立て、勢いよく水の上を走ります。

さて、人々は神を忘れ、神に背を向け、堕落していきました。
そのような中で、たった一人、神に従って暮らすノアという人がいたのです。
神は、このノアの家族を救うことによって人類の再出発を計画されました。
そして神は、ノアに「見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。(創世記6:13,14)」と命じます。

箱舟の大きさは、長さ約132m・幅約22m・高さ約13.2メートルです。

ノアの時代には大型重機などなく、すべて手作業であり、働き手はノア夫婦、息子三人とその妻の合計8人です。「ポンポン船」を造るのとは、けたが違います。
ノアは、すべて神が命じられたとおりに行ったのですが(創世記6:22)、彼らの箱舟造りは、周囲の人々の目にはどのように映ったのでしょうか?
ノアは、信仰によって、まだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造ったのです(へブル11:7)。
神を信じて歩むことは、時として、この世の歩みからの決別でもあります。

「神のみこころを行う者は永遠に生き続けます(Ⅰヨハネ2:17)」

牧師コラム 『主の名を呼ぶ』 2020年2月16日

牧師 高橋勝義

人は自分の力ではどうにもならないことに遭遇すると、あらゆる神々や仏、更には亡くなった人にまで助けを祈り求めますが、動物が祈っている姿は見たことがありません。

神を探し求め、祈るのは、私たちが神の似姿に造られた特別な存在だからなのです。聖書には人が神に祈り始めた時のことが、「そのころ、人々は【】の名を呼ぶことを始めた。(創世記4:26)」と記されています。

では、人々がその名を呼んだお方、【】とは、どのようなお方なのでしょうか。

モーセが神に「イスラエルの民に神の名を聞かれたら何と答えればよいのか」と、尋ねたとき、神は「『わたしはある』という者である(出エジプト3:14)」と答えられました。それは『はじめから永遠に至るまで存在する生ける神である』という意味です。【】の御名を呼ぶということは、【】がどのようなお方なのか、分かっていて祈るわけですから、決して「イワシの頭も信心から」とは異なります。

ですから【】の御名を呼ぶのは、『自分の弱さをすべて知っておられる神に信頼し、あなたに従って歩みます。そして、すべてを神に感謝します。』という信仰告白の祈りなのです。
神である主は、私たちを愛し、私たちとともに歩まれるお方なのです。
そのお方が『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)』と語っておられます。

牧師コラム 『罪はあなたを恋い慕う』 2020年2月9日

牧師 高橋勝義

聖書が最初の殺人を詳しく記すのは、そこに神から私たちへの愛の警告があるからです。

エバは、カインとアベルを生みます。兄カインは大地を耕す者、弟アベルは羊を飼う者になります。そして二人は神である主にささげ物をするのですが、カインは大地の実りを、アベルは自分の羊の初子の中から肥えたものを神の前に持って行きました。神は弟アベルのささげ物に目を留められましたが、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。兄カインは激しく怒り、顔を伏せます(創世記4:5)。

彼の心の中は、怒り、嫉妬、恨み、憎しみに支配され、自分の感情をコントロールできない状態になっていたのです。そのカインに主は、「罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない(創世記4:7)」と警告します。
この時カインは、正直に自分の感情を神にぶつければよかったのです。しかし怒りの矛先を弟アベル向け、あろうことかアベルを野に誘い出し、殺してしまったのです。この悲劇は、人が神である主に聞き従う歩みを捨て、自分の考えで生きることを選択した故に、人の心の中に罪が入り込み、起きたものです。

実は、これと同じことを私たちも日常的にやっています。カインのように実力行使はしなくても、心の中で否定(殺人)しているからです。人は、怒り、嫉妬、恨み、憎しみにとらわれ、思いもよらぬ行動を起こしてしまいます。

神はその原因が“罪”にあることを示し、そこからの唯一の脱出方法を示してくださいました。罪に打ち勝つその方法とは、キリストの十字架です。
キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んでくださったので、神との和解が成立し、神とともに生きる新しいのちをいただくことが可能になったのです。神は今日も「救い主イエスを信じよ」と語っておられます。