牧師コラム 『いのちの息』 2020年1月12日

牧師 高橋勝義

天地創造のわざを完成した第七日、神はこの日を祝福し聖なるものとされました。さらに続いて、聖書は私たち人間の創造を詳しく語ります。『神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。(創世記2:7)』

ここで語られている「いのちの息」とは、二つのいのちのことです。

一つは、肉体のいのちです。もう一つは、霊のいのちです。神は霊なるお方ですから、人間も霊を持つものでなければ、神と親しい交わりができないからです。

さて、神である【】は、人間に「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2:16,17)」と一つの命令を与えます。
「必ず死ぬ」と語られたこのは、二つのを示しています。一つは、肉体の。そして、もう一つは霊的なです。この霊的なは、神との親しい交わりが絶たれることを意味しています。なぜ、神はこのような命令を与えたのか…。
それは人間をロボットのようにではなく、人格を持つ尊い存在、その決断を尊重する存在として造られたからです。

心と心が通う交わりと信頼関係の中で、自らの意志でご自身に従うことを願われたのです。同時に、人間の自由意志を尊重する神は、責任を持ってその歩みを導こうとされた、すなわち人間は神の愛の中に見守られているのです。

神の「いのちの息」が吹き込まれたあなたは、尊い存在とされ、神の愛に絶えず見守られ、育まれているのです。