牧師 高橋勝義 |
子どもの頃に遊んだ「かくれんぼ」。鬼に見つからないように身を隠し、息を殺しじっと我慢…見つかると悔しさと同時にほっとする気持ちが入り混じったものです。
さて、神に造られたアダムとエバは、神である主が園を歩き回られる音を聞き、神の御顔を避けて、園の木の間に身を隠してしまいました。(創世記3:8)
それは神が命じた「食べてはならない。必ず死ぬ」を破り、その結果、裸を恥じて隠そうとする恐れが芽生えたからでした。彼らの心に罪が入り込んだ故です。
神は「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」と尋ねました。
すべてをご存知の神が、その時ふたりに求めたのは、自分の罪を正直に認め、悔い改めることだったのですが、ふたりの心は神の御顔を避け、身を隠そうとする闇に支配されて、アダムはエバに責任転嫁をし、エバもまた自分を惑わした蛇に責任転嫁したのです。その結果、女は苦しんで子を産み、男は一生苦しんで食を得なければならなくなり、さらに、神はふたりをエデンの園から追放したのです。(創世記3:11~23)
こうして私たち人間は神中心から自己中心の歩みをする者になりました。
しかし、私たちを愛する神は、神のひとり子イエス・キリストに私たちの罪を負わせ十字架の死によって、罪を贖って(あがなって)くださいました。
ですから、神は自分の罪を正直に認めるならば「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださる(Ⅰヨハネ1:9)」と約束しておられます。