牧師コラム 『主の名を呼ぶ』 2020年2月16日

牧師 高橋勝義

人は自分の力ではどうにもならないことに遭遇すると、あらゆる神々や仏、更には亡くなった人にまで助けを祈り求めますが、動物が祈っている姿は見たことがありません。

神を探し求め、祈るのは、私たちが神の似姿に造られた特別な存在だからなのです。聖書には人が神に祈り始めた時のことが、「そのころ、人々は【】の名を呼ぶことを始めた。(創世記4:26)」と記されています。

では、人々がその名を呼んだお方、【】とは、どのようなお方なのでしょうか。

モーセが神に「イスラエルの民に神の名を聞かれたら何と答えればよいのか」と、尋ねたとき、神は「『わたしはある』という者である(出エジプト3:14)」と答えられました。それは『はじめから永遠に至るまで存在する生ける神である』という意味です。【】の御名を呼ぶということは、【】がどのようなお方なのか、分かっていて祈るわけですから、決して「イワシの頭も信心から」とは異なります。

ですから【】の御名を呼ぶのは、『自分の弱さをすべて知っておられる神に信頼し、あなたに従って歩みます。そして、すべてを神に感謝します。』という信仰告白の祈りなのです。
神である主は、私たちを愛し、私たちとともに歩まれるお方なのです。
そのお方が『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。(エレミヤ33:3)』と語っておられます。