牧師 高橋勝義 |
聖書が最初の殺人を詳しく記すのは、そこに神から私たちへの愛の警告があるからです。
エバは、カインとアベルを生みます。兄カインは大地を耕す者、弟アベルは羊を飼う者になります。そして二人は神である主にささげ物をするのですが、カインは大地の実りを、アベルは自分の羊の初子の中から肥えたものを神の前に持って行きました。神は弟アベルのささげ物に目を留められましたが、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。兄カインは激しく怒り、顔を伏せます(創世記4:5)。
彼の心の中は、怒り、嫉妬、恨み、憎しみに支配され、自分の感情をコントロールできない状態になっていたのです。そのカインに主は、「罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない(創世記4:7)」と警告します。
この時カインは、正直に自分の感情を神にぶつければよかったのです。しかし怒りの矛先を弟アベル向け、あろうことかアベルを野に誘い出し、殺してしまったのです。この悲劇は、人が神である主に聞き従う歩みを捨て、自分の考えで生きることを選択した故に、人の心の中に罪が入り込み、起きたものです。
実は、これと同じことを私たちも日常的にやっています。カインのように実力行使はしなくても、心の中で否定(殺人)しているからです。人は、怒り、嫉妬、恨み、憎しみにとらわれ、思いもよらぬ行動を起こしてしまいます。
神はその原因が“罪”にあることを示し、そこからの唯一の脱出方法を示してくださいました。罪に打ち勝つその方法とは、キリストの十字架です。
キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んでくださったので、神との和解が成立し、神とともに生きる新しいのちをいただくことが可能になったのです。神は今日も「救い主イエスを信じよ」と語っておられます。