牧師コラム 『サライの申し出』 2020年6月28日

牧師 高橋勝義

神はアブラムに「あなたの子孫は、星のようになる」と約束されました。もちろん彼は妻サライにも、この神の約束を伝えていたことでしょう。しかし、それから約十年が過ぎ、未だにアブラムの子を産んでいないサライは深い苦悩を抱えていました。

そこで、サライは自分の女奴隷ハガルを夫アブラムに与え、それによって子を得て、母親になろうとしたのです。アブラムはサライの申し出を聞き入れました(創16:2)。サライの考えた通りハガルは身ごもりましたが、このことの故にハガルは、自分の女主人を軽く見るようになったのです(創16:4)。
サライは、ハガルの態度に屈辱を覚え、夫を一方的に責め、ハガルを苦しめました。夫アブラムが責任を丸投げしたからです。
ハガルはいたたまれず、サライの所から逃げますが、神はハガルを見捨てることなく、み使いを送り「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。(創16:9)」と諭すのです。
さらに、男の子を産むことやその子の行く末までも明かされたのです。
ハガルは自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ」すなわち「私を顧みてくださる神」と告白し、サライの所に帰っていきました。

事の発端は、アブラムとサライが神の約束に固く立てなかったことであり、サライの申し出にも二人で神の前に出て、正直に祈るべきだったのです。

神はこう言われます。『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』(エレミヤ33:3)

牧師コラム 『さあ、天を見上げなさい』 2020年6月14日

牧師 高橋勝義

アブラムは、神に祝福された日々を過ごしてしましたが、大きな不安を抱えていました。それは、まだ跡継ぎの子どもが与えられていないことです。
その彼に神が再び「あなたへの報いは非常に大きい」(創15:1)と語られたのです。すかさず、アブラムは「主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。」(創15:2)と自分の心の内を神に正直に訴えました。

自分の心配、落胆、不安を正直に言える、というのは彼が毎日神と向き合い、祈る者だったからです。正直に心の内を告げたアブラムを神は外に連れ出し、夜空に輝く星のしたで「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに「あなたの子孫は、このようになる」(創15:5)と約束されたのです。

「アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」(創15:6)

“義”とは、神が正しいと認めることです。それはアブラムの良い行いによるのではなく、神を信じる信仰によってであり、ここに信仰の原点があるのです。

アブラムは【主】を信じましたが、何の根拠もなく信じたのではありません。
今まで自分を導いてきてくださった神の愛と真実、そしてあわれみのゆえに信じることができたのです。また、不可能を可能にされる「まことの神」を信じたのです。

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない」(イザヤ55:11)

牧師コラム 『さあ、見上げなさい』 2020年5月31日

牧師 高橋勝義

エジプトで手痛い失敗をしたアブラムでしたが、神はアブラムの家族も甥のロトの家族も祝福してくださり、多くの財産を所有するようになりました。しかし、それぞれの家畜が多くなり、牧者たちの間で水や牧草をめぐって争いがおこったのです。
そこでアブハムは、「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。(創13:9)」と平和的解決策をロトに提案し、ロトにその優先権を与えたのです。

ロトの目には、目前に広がるヨルダンの低地全体が、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っているように見え、彼はこの低地を選び住むことにしました。しかし、そこには道徳的に腐敗したソドムとゴモラの町があったのです。
一方、カナンの地に残ったアブラムに神は「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。(創13:14,15)」と、再び祝福の約束を語られました。そして、彼は祭壇を築き、神に感謝の祈りをささげたのです。

アブラムが甥のロトに選択権を譲ることができたのは、神を信頼していたからです。

聖書は、人の見る目ではなく、神を信じ、信頼する者に対して「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。(箴言3:5,6)」と約束しています。

牧師コラム 『アブラムの策』 2020年5月24日

牧師 高橋勝義

神の約束の地カナンに着いたアブラムたちですが、飢餓が激しくなり、食料を求めて隣国エジプトへ行くことにしました。
ただ、彼はこのことを神に祈らず、自分の考えで行動してしまったのです。
さらに、アブラムは妻サライに「私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっているので、『私の妹』だと言ってくれれば、私たちは生き生き延びられるだろう(創世記12:11~13)」と頼むのです。
神の導きを求めなかった彼の心には恐れと不安が広がっていたからでした。予想どおりファラオ(エジプト王)は美しいサライを宮廷に召し入れ、それによって、彼には多くのものが与えられました。

アブラムの策は、見事に成功したかに見えましたが、神はそれを良しとなさいませんでした。神はサライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわいで打ち、すべてがバレてしまったのです。
神はアブラムが大きな罪を犯す寸前で止められ、さらにはファラオの心を寛大にして、一歩間違えれば殺されてもしかたのないアブラムを救ってくださったのです。
神は彼の行動を叱責するのではなく、助けてくださいました。
それは、アブラムが神の語りかけに応答し、カランの地を出て、信仰の歩みを始めた故でした。神は彼にご自身の深い愛を示されたのです。
この経験から、アブラムは、神である主を知ることが出来たのです。

「あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)」

牧師コラム 『わたしが示す地に行きなさい』 2020年5月17日

牧師 高橋勝義

アブラムの父テラは息子アブラムとカナンの地を目指して故郷を旅立ちましたが、途中のカランに住み着きました。父テラはこの地で二百五年の生涯を終えます。

このハランで、主はアブラムに現れ「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい(創世記12:1)」と告げたのです。
アブラムは、甥のロトを伴い、【主】が告げられたとおりに父の家を出て行きました。この時、彼は七十五歳です。
聖書は、彼のこの行動を「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました(ヘブル11:8)」と証言しています。その時、神は「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し~(創世記12:2)」との約束も彼にお与えになりました。

このアブラムの旅は神を信じる人の人生そのものです。

まだ見ぬ将来や不安な中にあっても、「あなたを祝福しよう」と語られる神の約束を信じて生きる人生です。アブラムは、自分に現れてくださった主のために、祭壇を築き、神を礼拝し、自分が生きている間には、実現しないことを承知の上で「あなたの子孫にこの地を与える」との約束を信仰をもって受け取ったのです。
私たちも、目には見えなくても確かにおられる神を信じ、励ましと希望をいただきながら人生を歩むのです。

「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」

牧師コラム 『アブラハムの父テラ、故郷を出る』 2020年5月10日

牧師 高橋勝義

ノアの息子セムの歴史は、メシア(イエス・キリスト)につながる一族の歴史です。

セムから数えて8代目となるテラは、『信仰の父』とも言われるアブラム(アブラハム)の父親です。聖書に『あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた』(ヨシュア記24:2)と記されているように、彼らの居住地ウルは、異教の神々への信仰が盛んな地であり、彼もその影響を強く受けていました。
このような状況の中で、神である主はテラにふれられ、彼は息子アブラムとその妻サライ、孫のロトを伴い、カナンの地をめざし、生まれ故郷ウルを出たのです。
しかし旅の途中のハランで、彼は二百五年の生涯を終えます(創世記11:32)。

目的地カナンにはたどり着くことが出来なかったテラですが、異教の神々に長く仕えてきた高齢の彼がすべてを捨てて故郷ウルを出た背景には、「セムの神、主」(創世記9:26)とノアが語ったことを神が覚えておられたからです。
これは、神の一方的なあわれみと恵みによるものです。同様に、神に背を向けて歩んでいる私たちが、神の赦しと愛の中に生きる者とされるのは、キリストが私たちのすべての罪を代りに負って十字架の上で死んでくだったからです。

「あなたがたが救われたのは恵みによるのです」(エペソ2:5)

牧師コラム 『名をあげよう』 2020年5月3日

牧師 高橋勝義

「故郷に錦を飾る」という思いが様々な困難に立ち向かう力になった、と聞くことがあります。何事にも目標を持つことは大切ですが、その動機はさらに重要です。

さて大洪水の後、ノアの子ども達セム・ハム・ヤフェテから全世界の民が分かれ、世界がまだ共通のことばを使っていた時のことです。
人々は「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう(創世記11:4)」と、壮大な目標に向かって動き始めたのです。しかしそれは「われわれが地の全面に散らされるといけないから」という思いからでした。
そこには、神が人を地の全面に住むようにされたみこころへの反抗心、また「名をあげよう」という願いの根底にあるものは、「神がいなくても、自分たちの力をもってすれば何でもできる」と考える高慢心など、罪の本質が見えます。

神である主は、この出来事をご覧になり、互いの話しが通じないように、ことばを混乱させ、天に届く塔の建設ができなくなるようにされました。そして、この町の名はバベルと呼ばれ、これ以後、人々は全世界に散って行ったのです。
キリストの救いが示された今、神は民族や言葉の壁を超えて、再び人々を神の国に集めようとしておられます。それは、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じるすべての人は、神の子とされ、神の民となるからです。

牧師コラム 『新たなる人類の歩み』 2020年4月26日

牧師 高橋勝義

大洪水の後、ノアの三人の息子セム・ハム・ヤフェテから、新たなる人類の歩みが始まりました。そして、セム・ハム・ヤフェテの子孫が歴史に刻まれていきます。

ヤフェテの子孫は、黒海とカスピ海の周辺、ヨーロッパとアジア方面へ。
ハムの子孫は、南と中央アラビヤ、エジプト、地中海東岸とアフリカの東岸へ。この子孫からニムロデが現れ、メソポタミア地方に強大な王国を築きます。
そして、セムの子孫は中東地域へ。この子孫から、アブラハムが出てきます。

聖書は「神話」とされていたところもありましたが、近年、考古学の進歩により、その記述は神話ではなく、歴史の中に刻まれた事実であることが分かって来ました。
そのすべてが解明されたわけではありませんが、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります(へブル11:3)」と聖書は語っています。

信仰とは、「鰯の頭も信心から」ではありません。宇宙や人間のからだを詳しく調べれば調べるほど、緻密に組み立てられていることが分かり、これらを創造したお方がいなければ説明不可能です。それゆえ、創造主なる神を信じるのです。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」と愛の神は約束し、あなたとともに歩んでくださるお方なのです。

牧師コラム 『契約のしるし“虹”』 2020年4月12日

牧師 高橋勝義

 雨上がりの空にかかる虹はとても綺麗で、心が躍ります。この虹には神の愛のメッセージが込められていると知るなら、誰もが虹を喜ぶことに納得するでしょう。

 ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中で1年と10日という長い時間を過ごしました。そして地はすっかり乾き、神の促しに従ってノアの家族と生き物たちは箱舟から出て新たな歩みを始めます。まず神を礼拝したノアとその息子たちを神は祝福して、彼らに「生めよ。増えよ。地に満ちよ。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。」と仰せられました。
 さらに神は、もう洪水で地上を滅ぼすことはしないと約束され、空にかかる虹がその永遠の契約のしるしであると言われたのです。
人の罪がなくならないことをご存知の神が、二度と洪水で滅ぼさないと約束されたのは、救い主イエス・キリストによって人を罪から救うご計画があったからです。

 終わりの時には、今ある天と地は火で焼かれ、さばきと滅びの時がくると聖書は語ります(Ⅱペテロ3:7)。 私たちを愛しておられる神は、このさばきと滅びから救うために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。
 「それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3:16)」

牧師コラム 『箱舟は水面に漂った』 2020年3月22日

牧師 高橋勝義

旅先で思わぬ出来事が起こり、何日も足止めされたりしたら困ってしまいます。足止めが解除されるのを、じっと待つしかありません。

さて、ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、箱舟の中に入ります。
すると、【主】は彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
そして、大雨は四十日四十夜、地に降り続き、水かさが増して箱舟を押し上げたので、箱舟は地から浮き上がったのです。(創世記7:17)
箱舟が水面に浮きあがったということは、地のすべては水の中に沈んだことになります。そして水は、百五十日の終わりに減り始めたのです。
しかし、いつ頃地が乾き、外に出られるのか、見当もつきません。

この間、ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中でともに生活することになります。毎日、ノアの家族は生き物たちの世話でてんてこ舞いだったことでしょう。

心の中には不安もあったことでしょうが、すべて神が語られた通りであることを見てきたノアは、神である主に信頼し、大地が乾く日を期待して待ったのです。どんな状況に置かれても、神である主に信頼し、神を待ち望む信仰が大切なのです。

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(へブル10:36)」と語られている通りです。