牧師 高橋勝義 |
「故郷に錦を飾る」という思いが様々な困難に立ち向かう力になった、と聞くことがあります。何事にも目標を持つことは大切ですが、その動機はさらに重要です。
さて大洪水の後、ノアの子ども達セム・ハム・ヤフェテから全世界の民が分かれ、世界がまだ共通のことばを使っていた時のことです。
人々は「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう(創世記11:4)」と、壮大な目標に向かって動き始めたのです。しかしそれは「われわれが地の全面に散らされるといけないから」という思いからでした。
そこには、神が人を地の全面に住むようにされたみこころへの反抗心、また「名をあげよう」という願いの根底にあるものは、「神がいなくても、自分たちの力をもってすれば何でもできる」と考える高慢心など、罪の本質が見えます。
神である主は、この出来事をご覧になり、互いの話しが通じないように、ことばを混乱させ、天に届く塔の建設ができなくなるようにされました。そして、この町の名はバベルと呼ばれ、これ以後、人々は全世界に散って行ったのです。
キリストの救いが示された今、神は民族や言葉の壁を超えて、再び人々を神の国に集めようとしておられます。それは、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じるすべての人は、神の子とされ、神の民となるからです。