牧師 高橋勝義 |
アブラムは、神に祝福された日々を過ごしてしましたが、大きな不安を抱えていました。それは、まだ跡継ぎの子どもが与えられていないことです。
その彼に神が再び「あなたへの報いは非常に大きい」(創15:1)と語られたのです。すかさず、アブラムは「主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。」(創15:2)と自分の心の内を神に正直に訴えました。
自分の心配、落胆、不安を正直に言える、というのは彼が毎日神と向き合い、祈る者だったからです。正直に心の内を告げたアブラムを神は外に連れ出し、夜空に輝く星のしたで「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに「あなたの子孫は、このようになる」(創15:5)と約束されたのです。
「アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」(創15:6)
“義”とは、神が正しいと認めることです。それはアブラムの良い行いによるのではなく、神を信じる信仰によってであり、ここに信仰の原点があるのです。
アブラムは【主】を信じましたが、何の根拠もなく信じたのではありません。
今まで自分を導いてきてくださった神の愛と真実、そしてあわれみのゆえに信じることができたのです。また、不可能を可能にされる「まことの神」を信じたのです。
「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない」(イザヤ55:11)