高橋勝義 |
「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」(へブル4:7)
頑なな人は、「自分の意見を押し通し、自の非を認めない」、そして「自分が間違うはずはない」と明らかなミスをしていてもなかなか謝ることができない傾向を持っています。何かにつけて負けず嫌いであり、ばかにされるのを嫌うからです。つまり、自分のプライドのために、人は心を頑なにさせるのでしょうか。さらに、年齢を重ねると「考えを曲げることは、自らの経験を否定することだ」と考えてしまい、頑固で、融通のきかない面も現れてきます。これは、他人の事ではありません。私の中に、この「頑なな心」があるのです。
冒頭のみことばの注目すべき点は、「もし御声を聞くなら」にあり、これは神のみことばに対する態度が記されているのです。アダムは、神から食べてはならないと命じられていた木の実を食べてしまいました。アダムが制約されることに反抗して神の命令を破ったように、私の中にも反抗心があり、この反抗する心こそがイエス様を十字架につけた罪なのだ、と知ったときに、私はパウロの語る「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。(ガラテヤ3:24)」に頷いたのです。
それでは心を頑なにしない方法はあるのでしょうか。イザヤが、神を陶器師に、私たちを粘土になぞらえ「ああ、あなたがたは物を逆さに考えている。陶器師を粘土と同じに見なしてよいだろうか。造られた者がそれを造った者に『彼は私を造らなかった』と言い、陶器が陶器師に『彼にはわきまえがない』と言えるだろうか。(イザヤ29:16)」と語っているように、創造主と自分との関係をしっかり自覚して歩むことにその鍵があると教えられます。
高橋勝義