牧師 高橋勝義 |
〔申命記3章1~22節〕
イスラエルが約束の地に入るためには、バシャンの王オグの領地を通る必要があり、モーセは使者を遣わして、領地を通らせてほしいと願いました。しかしバシャンの王は拒絶し、イスラエルを迎え撃ちに出て来たので、イスラエルは彼らと戦うことになりました。しかし、神が「わたしは、彼とそのすべての兵とその地を、あなたの手に渡している」と約束された通り、イスラエルは一人の生存者も残さず、すべての町を攻め取ることができました。そして、モーセは、この地をルベン族とカド族とマナセの半部族に相続地として与えたのです。この戦いは、新しい世代によってなされたのですが、モーセが「あなたがたのために戦われるのは、あなたがたの神、【主】であるからだ」と語ったことに、彼らはうなずき、同時に、神がともにおられることの素晴らしさを経験することができたのです。
今の私たちにとって「神がともにおられる」とは、どのようなことなのでしょうか。
イエス様は「この方は真理の御霊です。~ この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。(ヨハネ14:17)」と語り、イエス様を信じる者の内には聖霊なる神がいつもおられることを約束してくださっています。私たちはさまざまな困難や試練の中で、孤軍奮闘しているように思ってしまいますが、実は、常に聖霊なる神がともに戦ってくださっておられるのだと私たちに教えています。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」
牧師 高橋勝義