牧師コラム 『死ぬといけないから』 2020年1月26日

牧師 高橋勝義

商品の売り出しに「従来の方法では効果がない」など、消費者の不安をあおる手法を使うことがあります。この同じやり方で、エデンの園で神と平和に暮らしていたアダムとエバに、誘惑の手が伸びてきました。創世記3章1~7節には誘惑の手口、また誘惑される側の心に潜むものが記されています。

蛇が女に「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」と、微妙なことばで聞いてきました。それに対して女は「園の中央にある木の実については『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」と答えます。

ですが、神の命令は『その木(善悪の知識の木)から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2:17)』です。

女が微妙に替えたことば、その心の隙間に畳みかけるように蛇は「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」と誘惑したのです。
ついに女は、食べるのに良さそうで、目に慕わしく、賢くしてくれそうなその実を取って食べ、ともにいた夫も食べたのです。誘惑は私たちの心に潜むに訴え、誘うのです。こうして自己中心に生きるが人間の心の中に入ってきました。

しかし、神は私たち人間を見捨てるどころか、愛するひとり子イエス・キリストにそのを負わせ、十字架で刑罰を行われたのです。
「わたしは、あなたの背きを雲のように、あなたの罪をかすみのように消し去った。わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ(イザヤ44:22)」と、神はあなたに向かって語っておられます。