今日のメッセージ 『たましいの牧者キリスト』 2023年4月23日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト26章1~14節〕

 次に神が命じたのは、幕屋の幕を作る、というものでした。

 内幕は、撚り糸で織った亜麻布、青、紫、緋色の撚り糸を用い、神の臨在と栄光を表すケルビムを織り出すように命じられました。その内幕の上に、やぎの毛の幕をかけ、その上に赤くなめした雄羊の皮の幕をかけ、最後にじゅごんの皮の幕をかぶせます。つまり、幕屋は四重構造なのです。約束の地に向かう荒野の旅ですから、天幕は強い日差しや風雨にも耐えるように作られましたが、外見的には決して見栄えのするものではありませんでした。

 しかし、このケルビムが織りだされた幕屋の中は、大祭司がすべての罪の贖いを行う場所であり、最も聖なるところだったのです。

 聖書は、やがてこの世に来られる救い主について「彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ53:3)」と語っています。弟子のヨハネも、「この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。(ヨハネ1:11)」と証言し、同じく弟子のペテロも、キリストについて「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった(Ⅰペテロ2:23)」と証言しています。

 イスラエルの人々が待ち望んでいた救い主とは全くかけ離れた姿、まるで聖所を覆う幕のように、見栄えのしない、何の力もない姿に映ったのです。しかしキリストは、ご自分のいのちをささげて、私たちのすべての罪の贖いをなされ、私たちのたましいの牧者となってくださいました。

 このキリストのもとに、今、帰ろうではありませんか。

今日のメッセージ 『私の内に来られたまことの光』 2023年4月16日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト25章31~40節〕

 神はイスラエルを神の民とし、彼らに神の幕屋建設とその中に納める「契約の箱」「贖いのふた」「机」等をつくるように命じ、さらに燭台を作るように命じられます。その燭台は純金を槌で打ち、台座の上の一本の中心の幹から両側に、それぞれ三本の枝を出し、その幹と六つの枝にはアーモンドの花の形をしたがくが付けられ、それぞれともしび皿がのせられています。この「七枝の燭台」とすべての器具(七つのともしび皿、芯切りばさみ、芯取り皿)は純金一タラントで作らなければならない。そして最後に「よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない」と神は命じられたのです。

 幕で覆われた聖所には窓がないため、唯一の“光”は燭台の明かりだけです。それゆえに、祭司は燭台の明かり、すなわち、燭台の“光”がなければ何もできません。

 同様に私たちの人生にも道しるべとなる“光”が必要です。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行っているからです。このさまよう原因は、神に背を向けて歩んでいる私たちの罪にあります。

 イエス・キリストは、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。(ヨハネ8:12)」と語り、その原因となっている罪を取り除くために、私たちの罪を身代わりに負い、十字架の上で罪の贖いを成し遂げてくださいました。そして信じる者の心の内に、まことの光であるイエス・キリストが来てくださり、私たちの歩みを闇から光へと移し、導いてくださるのです。

 「あなた(イエス・キリスト)のみことばは私の足のともしび私の道の光です(詩篇119:105)」

今日のメッセージ 『新しいいのちのみなもと』 2023年4月9日

 牧師 高橋勝義

〔ルカ24:1~12〕

 無実の罪で捕らえられたイエス・キリストは、金曜日の午前9時頃に十字架につけられ、午後3時頃、「完了した」と言われて息を引き取られました。

 しかし安息日の時刻が迫る中で、主は新しい墓に急ぎ埋葬されたのです。

 それから三日後、すなわち週の初めの日曜日の明け方早く、女たちが準備しておいた香料を手に墓に行くと、墓を封印していた大きな石はわきに転がされ、そこに二人の御使いがいました。そして、「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。(ルカ24:5,6)」と告げたのです。女たちはイエスの語られたことばを思い出し、急ぎ、十一弟子とほかの人々に、一部始終を報告しますが、誰も信じませんでした。しかしペテロだけは、立ち上がり、走って墓に行き、かがんで中をのぞき込み、この出来事に驚きながら自分のところに帰ったのです。

 死は私たちにとって絶望と悲しみであり、誰もそれを避けることができません。

 しかし、キリストが、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、このお方を救い主と信じる信仰によって義と認められるために、よみがえられたことにより、神は死の絶望と悲しみを、新しいいのちに生きる希望へと変えられました。すなわち神は、主を救い主と信じる私たちに永遠のいのちを与え、御国(天国)を受け継ぐ者にしてくださったのです(エペソ1:11)。

 私たちを罪の縄目から解放し、新しい真のいのちを与えてくださるキリストの復活は、それを自分の目で確かめたペテロを始め、主を信じる弟子たちによって、全世界に宣べ伝えられ、私たちの元に届けられたのです。

今日のメッセージ 『神のさとしに生きる』 2023年4月2日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト25:10~30〕

 神はモーセに、さとしの板(十戒)を入れる箱を作るように、次のように命じました。「わたしが与えるさとしの板を納める箱をアカシヤ材で、長さ二キュビト半(約1.11m)、幅をキュビト半、高さを一キュビト半(約67cm)とする。この箱を担いで運ぶための棒もアカシヤ材で作り、それを箱の両側の環に通す。その棒は箱の環に差し込んだままで、外さず、棒には金をかぶせる。また、純金で『宥めの蓋』を作り、その一部として、ケルビムをその両端に作る。ケルビムは両翼を上の方に広げ、その翼で『宥めの蓋』をおおうようにする。」

 私たちがさとしの板(十戒)の教えを守ろうとするなら、自の罪深さに落胆するばかりです。神が契約の箱を「宥めの蓋」で覆ったのは、罪ある者が安易にさとしの板に触れてはならないことを教え、さらに罪を贖うためには宥めが必要であることを教えるためでした。

 イエス・キリストがすべての人々の罪のための宥めのささげ物となられた(Ⅰヨハネ2:2)ゆえに、今、私たちは神と和解ができ(エペソ2:16)、神と自由に交わる恵みをいただいているのです。さらに神は私たちに、ご自身のみことばが記されている聖書を備えてくださいました。それは私たちがみことばによって励まされ、神の子どもとしての歩みを知るためです。

 それゆえ、使徒パウロは「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。(使徒20:32)」と語っています。

 聖書は私たちの霊的なご飯です。毎日食事をするように、聖書を読むことが私たちの魂を養うカギなのです。神のみことばから、日々新たな力をいただいて歩んでいきましょう。

今日のメッセージ 『神の宮とされている恵み』 2023年3月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト24章12節~25章9節〕

 神はご自身が石の板に書き記した教えと命令をモーセに与えようと、神の山に呼びます。モーセが山で四十日四十夜過ごす中、神は「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。」と語られました。というのも、主はエジプトを出る時にエジプト人がイスラエル人に好意を持つようにされたので、彼らは幕屋建設に必要なものをエジプト人から得ていたからでした。さらに「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」と約束され、幕屋とすべての備品についても、「わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない」と命じたのです。これは、「わたしは彼らのただ中に住む」という神の約束の実現のためでした。

 けれども、神を礼拝し、神と交わりを持つためには、罪ある人間は「全焼のいけにえ」を毎回ささげる必要がありました。しかし、ここにイエス・キリストが新しい道を開いてくださったのです。キリストは、雄やぎと子羊の血によってではなく、十字架で流されたご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、すべての人の永遠の贖いを成し遂げられました。(へブル9:12) それゆえ、今、私たちは、神との仕切り(罪)が取り除かれ、神を礼拝し、神と交わることができるのです。それだけではありません。何と、私たち自身が神の宮とされ、神の御霊が私たちのうちに住んでおられるのです。(Ⅰコリント3:16,37)

 このような素晴らしい恵みが与えられていることを心から感謝しつつ、神との交わりを楽しもうではありませんか。神はあなたのただ中に住んでくださっているのですから。

今日のメッセージ 『神との契約』 2023年3月19日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト24章1~11節〕

 モーセが主のことばを民に告げると、民はみな声を一つにして「主の言われたことはすべて行います」と答えました。そこで、モーセは主のすべてのことばを書き記し、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てました。さらにモーセによって遣わされたイスラエルの若者たちが、全焼のささげ物と交わりのいけにえとして雄牛を主に献げたのです。モーセは献げられた雄牛の血の半分を祭壇に振りかけ、契約の書を取り、民に読み聞かせると、民は「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」と誓いました。モーセは残りの血を民に振りかけ「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」と告げたのです。創造主なる神は、民がご自身のことばに「聞き従います」と応答したことを受け、献げられた動物の「血(いのち)」を証印とし、イスラエル(神の民)と契約を結ばれたのです。

 契約は、破ればその責任を問われます。ここが約束との大きな違いです。

 ところがイスラエルは、この神のみことばに聞き従わず、あろうことか、ほかの神々のところに行ってしまいました。しかし、それにもかかわらず、神は、「背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒やそう(エレミヤ3:22)」と語り続けたのです。

 この神の思いは、十字架を前にして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です(ルカ22:20)」と語られたイエス・キリストによって成し遂げられました。私たちのすべての罪は、キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって、赦され、癒されます。そして再び神とともに歩む恵みの中に入れられたのです。

今日のメッセージ 『神への従順』 2023年3月12日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章20~33節〕

 神は、いよいよ約束の地に入るにあたり、最も大切な命令である「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。あなたは、その者に心を留め、その声に聞き従いなさい。」を与えられました。それは約束の地に入ったならば、この地に住んでいる人々の神々を拝まず、仕えず、彼らの風習に倣わず、彼らの神々と契約を結んではならないこと。それらの神々を徹底的に破壊し、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならないと命じられたのです。さらにあなたがたが、神、主に仕えるならば、「あなたの中から病気を取り除き、あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなり、わたしはあなたの日数を満たし、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また荒野からあの大河に至るまでとする」と約束されました。

 「隣の芝生は青い」とあるように、約束の地に入れば、その地の人々の生活が魅力的に見えるかもしれません。しかし、それがとんでもない大きな罠となってしまうのです。それゆえに、神は、心の準備をさせ、具体的に、罠となるものにどう対処すべきかを命じられたのです。同様に、私たちもこの世の習慣に気を付けなければなりません。

 イエス・キリストは神から遣わされ、人となってこの世に来られました。そして御子であられるのにお受けになった様々な苦しみによって従順を学ばれたのです(へブル5:8)。それは、私たちがキリストの足跡に従うようにと、模範を残されたのです(Ⅰペテ 2:21)。

 あなたの日々の歩みの中に、キリストが残された模範、すなわち愛と赦しが実践されているでしょうか。神への従順とは、聖霊の助けによってキリストの足跡に従って歩むことです。

今日のメッセージ 『まことの神に感謝せよ』 2023年3月5日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章9~19節〕

 神は「六年間は、あなたは地に種を蒔き、収穫をする。しかし、七年目には、その土地をそのまま休ませておかなければならない。~ (出23:11,12)」と定められました。それは貧しい人々が休耕田に残っている作物を食べ、その残りを野の生き物が食べるためでした。
かつてエジプトで奴隷、寄留の民であり、その苦しみを誰よりも知っているイスラエルの民は、弱者を虐げる者ではなく、神の愛を伝える選びの民であったからです。
さらに神は、「年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない(出23:14)」と定められました。その最も大切な祭りはエジプトから救い出されたことを記念する「種なしパンの祭り」、そして「刈り入れの祭り」と「収穫祭」です。これらはすべて神への感謝を覚え、子々孫々にまで伝えるためでした。また、「ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。(出23:13)」とも定められました。

 イエス様は「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。(マタイ6:26)」と語られました。事実、私たちを本当に養っておられるお方は、創造主なる神であり、「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)」お方だからです。私たちは、この創造主なる神の愛と恵みの中に生かされていることを、日々心から感謝して歩んでいるでしょうか。

 「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」 さあ、この朝も声高らかに主への感謝をもって賛美し、礼拝しましょう。

今日のメッセージ 『神はすべてご存じ』 2023年2月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章1~9節〕

 ここでは、神がイスラエルの民に与えた十戒の第九番目、「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」についての具体的な説明と神の思いが語られています。
偽りやうわさ話、悪意の証言を禁じ、多数になびいて悪の側に立つことはもちろんのこと、反対に同情心から弱い者をことさら重んじることもしてはならないと言われます。
神は、あくまでも事実だけを語り、証言することを求めておられるのです。
また、あなたの敵の牛やロバが迷っているなら、必ず飼い主の元に連れ戻す。さらに、あなたを憎んでいる者のロバが重い荷の下敷きになっているなら、必ず彼と一緒に助け起こしてやるようにと言われます。それは同じ神の民、同胞に対してすべきことだからです。訴訟においても、貧しい者たちへのさばきを曲げないこと、賄賂を受け取らないことを定められました。賄賂は、聡明な人さえも盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからです。

 神は、私たちの心の中のはかりごとさえも、すべてご存じです(Ⅰコリント4:5)。それゆえ、神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されていて、この神に対して私たちは申し開きをしなければなりません(へブル4:13)。このお方を恐れて生きることが正義と公平さを保つ鍵なのです。私たちはこの神の前に日々歩んでいるのですが、神に喜ばれる歩みからかけ離れた者であることも事実です。神に喜ばれる歩みは、自分の力では到底できません。それをご存じの神は、聖霊をこの世に送られ、このお方によって、キリストの死が私たちの罪のためであると私たちに悟らせ、神の愛を明らかにされたのです。

 この神の愛に生かされ、聖霊に満たされて歩む時、真の力が与えられるのです。

牧師コラム 『あなたの隣人は誰か』 2023年2月19日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト22章21~31節〕
かつてイスラエルの民は、エジプトで奴隷の民となっていました。しかし神は、彼らの叫びを聞かれ、モーセをリーダーとして遣わし、エジプトから救い出されたのです。ですから神は、神の民イスラエル人に自分たちがエジプトで奴隷であった時のことを思い出し、寄留者、やもめ、みなしごたちを、苦しめてはならないと諭します。また金銭の貸し借りなどにおいても、同族からは利息を取ってはならないとされたのです。

 さらに神は、「あなたがたは、わたしにとって聖なる者でなければならない」と命じられました。それは神ご自身が「聖」だからです。同時に、神は愛のお方ですから「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。(レビ19:18)」と命じました。ですから、「聖なる者」とは、自らの歩みの中に神の愛を実践する者のことです。

 イエス様はこのことについて、たとえ話し(ルカ10:25~37)を用いて語っておられます。そのたとえとは、強盗に襲われ、瀕死の重傷を負った人のそばを祭司、レビ人、サマリヤ人の三人が通りかかり、彼らが、どのように対応したのかを話され、「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と問いかけました。「その人にあわれみ深い行いをした人です」との答えに、イエス様は「あなたも行って、同じようにしなさい」と言われたのです。これは自分は正しいと自負する律法の専門家たちに語られたのですが、同時に、その場にいた人々にも語られているのです。

 ところで、私たちは、自分によくしてくれる人には親切にしますが、その逆もあるのではないでしょうか。

 あなたの内に住んでおられる聖霊の力により、神の愛を実践できるように祈りましょう。