牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト25章31~40節〕
神はイスラエルを神の民とし、彼らに神の幕屋建設とその中に納める「契約の箱」「贖いのふた」「机」等をつくるように命じ、さらに燭台を作るように命じられます。その燭台は純金を槌で打ち、台座の上の一本の中心の幹から両側に、それぞれ三本の枝を出し、その幹と六つの枝にはアーモンドの花の形をしたがくが付けられ、それぞれともしび皿がのせられています。この「七枝の燭台」とすべての器具(七つのともしび皿、芯切りばさみ、芯取り皿)は純金一タラントで作らなければならない。そして最後に「よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない」と神は命じられたのです。
幕で覆われた聖所には窓がないため、唯一の“光”は燭台の明かりだけです。それゆえに、祭司は燭台の明かり、すなわち、燭台の“光”がなければ何もできません。
同様に私たちの人生にも道しるべとなる“光”が必要です。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行っているからです。このさまよう原因は、神に背を向けて歩んでいる私たちの罪にあります。
イエス・キリストは、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。(ヨハネ8:12)」と語り、その原因となっている罪を取り除くために、私たちの罪を身代わりに負い、十字架の上で罪の贖いを成し遂げてくださいました。そして信じる者の心の内に、まことの光であるイエス・キリストが来てくださり、私たちの歩みを闇から光へと移し、導いてくださるのです。
「あなた(イエス・キリスト)のみことばは私の足のともしび私の道の光です(詩篇119:105)」