今日のメッセージ 『全き赦し』 2024年2月4日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記4章13~35節〕

 今日の聖書箇所は、イスラエルの民全体、あるいは族長のだれか、会衆のだれかが過って罪を犯した場合の罪のきよめについてです。民全体の場合は代表の長老たちが若い雄牛を、族長の場合は傷のない雄やぎを、会衆の場合は傷のない雌やぎを祭司のところに連れて行き、それぞれが主の前でささげ物の頭に手を置き、主の前で屠ります。民の代表の長老は指を血に浸し、主の前で垂れ幕に向けてその血を七度振りまき、全焼のささげ物の祭壇の四隅の角に塗る。族長と会衆の場合は、ささげ物の血を全焼のささげ物の祭壇の四隅の角に塗る。それぞれ残りの血は、すべて祭壇の土台に流す。最上の部位、脂肪は祭壇で焼いて煙にする。これが主への芳ばしい香りとなり、彼らの罪は赦されるのです。このように罪の宥めを行うことにより、神は罪を赦されるのです。

 血を流す、すなわち、いのちによらなければ罪の赦しはありません。(へブル9:22)

 しかし今、イエス様がご自身のいのちを罪のささげ物として、私たちのために、ただ一度だけ献げてくださったゆえに、主を信じる人々を神は完全に救うことができるのです。イエス様の罪の宥めは、完全です。神はイエス様を罪からの救い主と信じるすべての人に対して「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない(へブル10:17)」と言われます。つまり、私たちの罪は完全に赦され、私たちは罪を離れ、神とともに生きる者にされました。

 ではその私たちは、どこへ向かえばよいのでしょうか。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(Ⅱコリント3:18)」

今日のメッセージ 『きよさとへりくだり』 2024年1月28日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記4章1~12節〕

 レビ記4章では、気づかずに主の戒めを破り罪に陥った場合について、祭司、会衆、族長、民衆のじゅんに教えています。今日の箇所は、油注がれた祭司が罪に陥った場合についてです。たとえ神に仕える祭司であっても、人間ですから罪は犯します。そこで、神は罪のきよめのささげ物として、傷のない若い雄牛を主に献げることを定められました。

 具体的には、雄牛の頭に手を置き、主の前でその雄牛を屠り、指を血に浸し、聖所の垂れ幕に向けてその血を七度振りまき、またその血を会見の天幕の中にある、祭壇の四隅の角に塗り、その残りの血をすべて、会見の天幕の入り口にある全焼のささげ物の祭壇の土台に流すようにと定められました。祭司は神に仕え、罪の贖いの儀式を行なう民の霊的指導者ですから、“きよさ”と“へりくだり”が求められます。

 今、私たちはキリストの十字架によって罪赦され、さらに「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です(Ⅰペテロ2:9)」とあるように、祭司の役割が与えられています。その祭司としての“きよさ”に必要なのは、「自分の罪を告白するなら、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださる(Ⅰヨハネ:9)」との約束に基づいた日々の罪の悔い改めです。また、弟子の足を洗われたイエス様のへりくだったお姿(ヨハネ13:15)や正しくさばかれる方にすべてをお任せになられた謙遜なお姿(Ⅰペテロ2:21~24)を模範とすることによって、私たちもへりくだった者にされるのです。

 黙々と十字架に従われたイエス様から目を離さずに歩みましょう。

 「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」(Ⅱコリント4:16)

今日のメッセージ 『心の点検』 2024年1月21日

 牧師 高橋勝義

〔レビ3章1~17節〕

 人と人との関係が良好でなければ、自由で楽しい交わりはできません。ましてや、罪深い人間が聖なる神と交わるには、どうすればよいのでしょうか。

 そこで神は罪の贖いのための交わりのいけにえを献げ、さらに主への食物のささげ物として、その脂肪を献げるように定められました。全焼のささげ物と同様に、ささげ物の頭に手を置き、会見の天幕の入り口で屠り、祭司であるアロンの子らがその血を祭壇の側面に振りかけます。そして、これをどこに住んでいても代々守るべき永遠の掟とされたのです。

 ところで、人と人との交わりが、豊かになるためには何が必要でしょうか?

 イエス様は、神殿の祭壇に交わりのささげ物を献げようとしている時、人に恨まれていることを思い出したなら、まず相手と仲直りをしてから交わりのささげ物を献げなさい、牢に投げ込まれてからでは間に合いません、あなたを訴える人と一刻も早く和解をしなさい、と勧めています(マタイ5:23~26)。交わりのささげ物をする時、つまり、私たちが神の前に出る時には、まず静まって、心の点検をするように促されたのです。

 私たちにはイエス様の十字架のゆえに、動物による交わりのささげ物は必要ありません。イエス様が、御自身の十字架によって私たちを神と和解させてくださったからです(エペソ2:16)。そして、この神との和解が、人と人との交わりを豊かにするのです。イエス様の愛を知ることが(Ⅰヨハネ4:10)、自分の罪の赦しを知り、自らの心の点検になるのです。神との和解こそが、自分の罪深さを知り、私たちを謙遜な者へと導き(ピリピ2:3)、私たちの交わりを豊かにする鍵なのです。

 あなたは、この鍵を握っておられますか。

今日のメッセージ 『神が備える新しい道』 2024年1月1日

 牧師 高橋勝義

〔イザヤ43章15~19節〕

 「東京砂漠」という歌がヒットしたことがありました。ビルの谷間には人が溢れ、やさしさも見失う砂漠のような都会…。しかし便利になった今日も、人の心は相変わらず砂漠状態ではないでしょうか。

 かつて、イスラエルは、エジプトで奴隷状態でしたが、神はモーセを遣わし、彼らを救い出します。しかし、奴隷(イスラエル)を取り戻そうと、エジプト軍が追い迫ってきたとき神は紅海を風で二つに分け、海の底に道を造り、イスラエルの民はその道を通って、無事、脱出することができました。このようなことができる全能の神が「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。」と私たちに語ります。それは、「必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」と約束する神が、私たちの人生に新たな道を導いてくださるからです。

 この道について、イエス様は「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)」と語られました。砂漠状態にある私たちの心の中に、本物の愛を注ごうとされているのです。さらに神は「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている─主のことば─。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」と約束してくださっています。

 神はあなたに「見よ、わたしは新しいことを行う」と語っているではありませんか。さあ、あなたの人生という道にイエス様をお迎えして、新しい年を始めましょう。

今日のメッセージ 『神とともに歩む』 2023年12月31日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト40章34~38節〕

 「旅は道連れ世は情け」とは、旅に道連れがいると心強いように、人生の旅路も周りと仲良く、助け合って生きていくことが大切だ、という意味です。

 モーセは、神が命じられた通りに、幕屋の設営を行い、すべての仕事を終えました。すると、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちたため、モーセは会見の天幕に入ることができませんでした。イスラエルの民は、旅路の間、いつも雲が幕屋の上から離れて動き出すと、そのあとに従って旅立ち、雲が動くのをやめるとそこにとどまり、動き出すまでじっと待ちました。昼は幕屋の上に主の雲がかかり、夜は雲の中に火が輝きました。

 イスラエルの旅路を導かれるのは、彼らをエジプトから救い出された神であり、いつでも、どこででも、どんな時にも、神は彼らともに歩んでくださるお方でした。幕屋の上に昼は主の雲が、夜は雲の中に火があることが、彼らへのしるしでした。

 アブラハムは神のことばを信じた信仰によって義と認められた、と聖書が語っているように、イエス様を罪からの救い主と信じる信仰によって、私たちはアブラハムの霊的子孫であると聖書は語ります(ガラテヤ3:6,7)。それはイスラエルを救い出すために、エジプトに不思議な御業を下した同じ神が、あなたの神となってくださることを意味します。あなたは、人生の旅路に最も強力な道連れを得たことになるのです。

 「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ46:4)」と語ってくださる神を信頼し、感謝と喜びをもって、ぶれることなく神に従って行きましょう。

今日のメッセージ 『私たちのために救い主が生まれる』 2023年12月24日

 牧師 高橋勝義

〔マタイ1章18~25節〕

 赤ん坊の産声が闇に響き、母マリアは生まれたばかりの赤子を腕の中に抱き、布にくるんで飼葉桶に寝かせます。その寝顔を見守るのは、両親と家畜小屋の動物たちだけでした。預言者イザヤが、「主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエル(神が私たちとともにおられる)と呼ぶ。(イザヤ7:14)」と、その誕生の約700年前に語ったことが、ここに成就したのです。

 このよき知らせを、神はまず夜番をしていた貧しい羊飼いたちに知らせました。御使いが彼らの前に現れ「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)」と語ったのです。彼らは、それを確かめるべく出かけて行き、御使いが語ったとおりだったので、神をあがめながら、帰って行ったのです。

 神の御姿を捨て、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられた、とありますが、まさにキリストは家畜小屋でお生まれになったのです。それだけではなく、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました(ピリピ2: 6,7,8)。

罪ある私たちは、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル9:27)」ゆえに、その私たちの身代わりとなって、罪のためのいけにえになられたのです (ヘブル9:26) 。神は、私たちがひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つために(ヨハネ3:16)、キリストをこの世に遣わすことをご計画されたのです。

 すべては、あなたのためです。あなたのために、救い主をこの世に生まれさせてくださった神の愛に心から感謝し、喜んで、イエス・キリストを心にお迎えしましょう。

今日のメッセージ 『平和の君はろばに乗って』 2023年12月17日

 牧師 高橋勝義

〔ゼカリヤ9章9~10節〕

 十字架を目前に控えた日曜日、弟子たちは命じられた通りに「子ろば」を主の前に連れて来てきました。そしてイエス様はその「子ろば」に乗ってエルサレムに入城したのです。

 群衆は「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と叫び迎えました。預言者ゼカリヤがイエス・キリストがこの世界に来られる約500年も前に、「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。」と預言したことが、ここに成就したのです。またゼカリヤは続けて、「彼は諸国の民に平和を告げる」とも語っています。まさにイエス様は柔和な平和の君としてこの世に来られたのです。ところがイエス様御自身は、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。(マタイ10:34)」と語られたのです。これは、どういうことなのでしょうか。

 イエス様が語られた平和とは神と和解することです。私たちの歩みは自分中心で、この世を愛し、神に背を向けたものです。これは神に敵対する(ヤコブ4:4)ことであり罪の根源なのです。イエス様の十字架は、私たちの罪を解決し、神との敵対関係から、神との和解(エペソ2:16)、神との平和(ローマ5:1)をもたらしてくださったのです。それゆえ、イエス様は「わたしが来たのは、罪人を招いて悔い改めさせるために来た」と語られたのです。(ルカ5:32)

 イエス様の招きを拒む者ではなく、招きに心を開き、神と和解し、神との平和の歩みをスタートさせませんか。

 「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)

今日のメッセージ 『永遠の住まい』 2023年11月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト40章1~33節〕

 幕屋に必要なすべてが完成し、いよいよ幕屋の設置が始まります。神はモーセに、第二年の第一日に会見の天幕である幕屋を設営するようにと命じ、幕屋は組み立てられました。

 聖所の奥は至聖所とし、さとしの板(十戒)を納め「宥めの蓋」をのせた箱を置き、仕切りの垂れ幕を掛けます。そして聖所の中に机、燭台、香壇を配置し、幕屋の庭には全焼のいけにえの祭壇、洗盤を配置し、すべての用具に油注ぎを行い、それらを聖別したのです。最後にアロンとその子らを、祭司として主に仕えさせるために水で洗いきよめ、アロンに聖なる装束を着せ、油注ぎを行って聖別し、彼の子らにも長服を着せました。彼らが油注がれたのは、イスラエルの民の罪の贖いを日々行う永遠の祭司職のためでした。

 私たちの救い主イエス・キリストは、十字架の上で流されたご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました(へブル9:12)。そして、今、永遠に神の右の座に着いておられます(へブル10:12)。そこは、人の手によって造られた幕屋ではなく、神によって設けられた幕屋であり、ここに主キリストはおられるのです(へブル8:2)。そして、日々私たちのためにとりなしをしてくださっています。(ローマ8:34)さらに私たちのために、天に住まいを用意し、私たちをご自身のもとに迎えて入れてくださるのです。(ヨハネ14:2,3)私たちには、天に人の手によらない永遠の住まいが用意されているのです。(Ⅱコリント5:1)ですから、イエス様が「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)と語られた御言葉に堅く立って、天国に用意されている永遠の住まいに向かって、この世の旅路を歩んで行きましょう。

今日のメッセージ 『忠実に使命を果たす』 2023年11月19日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト39章33~43節〕

 イスラエルの民は、幕屋に関するすべてのものを造り終え、それらをモーセのところに運んで行きました。モーセは、神から与えられた知恵と英知を用いて、神が命じられたとおり忠実に仕事を終えたイスラエルの民を祝福しました。

 聖書は「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です(Ⅰコリント12:27)」と語っていますが、神はご自身の栄光を現すために、教会、すなわちキリストのからだである私たち一人ひとりに、それぞれ賜物を分け与えているのです(Ⅰコリント12:11)。それはイスラエルの民が、神から与えられた知恵と英知を用い、忠実に幕屋建設の奉仕を行ったように、私たちも神から与えられた賜物を用いて、キリストのからだなる教会を建て上げるためです。キリストのからだである私たちが互いに愛し合い、それを通して世の人々に神の愛を伝えるためなのです。

 ここで重要なことは、神が与える賜物には優劣はなく、自分に与えられた賜物を忠実に用いることです。そうすれば、主は、あなたに『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:21,23)と語ってくださいます。それゆえ、神が私たちに求めていることは、「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合う」(Ⅰペテロ4:10)ことなのです。

 その鍵は御霊によって歩むことです。私たちは、御霊の実として、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22,23)が与えられ、互いに仕え合う者に変えられていくのです。

今日のメッセージ 『信仰に生きる』 2023年11月12日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト39章1~32節〕

 幕屋建設の終わりは、大祭司が聖所で務めを行う時に着用する聖なる装束の制作でした。その青い装束の裾周りには、鈴と撚り糸で撚ったざくろが交互に取り付けられており、その上に身に着けるエポデの胸にはイスラエル十二部族の名が刻まれた十二個の宝石を埋め込んだ「さばきの胸当て」が取り付けられました。神は大祭司が聖所に入るとき、この胸当てが付けられたエポデを着なければならないと定めましたが、それはイスラエル十二部族の名が、絶えず主の前で覚えられるためです(出エジプト28:29)。このようにして民は主がモーセに命じられたとおりに行い、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕を終えたのです。

 十二部族の名が刻まれた「聖なる装束」を身に着けた大祭司が聖所に入るとき、民は自分たち一人ひとりが主の前に覚えられていると感じたことでしょう。

 ところで、神の都である御国に入ることができるのは、「子羊のいのちの書」に名が記されている者たちだけです(黙示録21:27)。子羊とはイエス・キリストのことであり、「いのちの書」には、キリストを罪からの救い主と信じた私たちの名が記されているのです。

 十二部族の名が主の前に覚えられているように、いのちの書に記されたあなたの名は、主の前に覚えられています。私たちは、神の恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。すべて神の賜物(プレゼント)です。私たちの行いによるのではありません。(エペソ2:8,9)しかし私たちは、自分の行いや義を拠り所としがちです。そこに満足感や達成感があるからです。

 そのような私たちに、神は「あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい(Ⅱコリント13:5)」と問いかけておられます。