牧師 高橋勝義 |
〔レビ記4章1~12節〕
レビ記4章では、気づかずに主の戒めを破り罪に陥った場合について、祭司、会衆、族長、民衆のじゅんに教えています。今日の箇所は、油注がれた祭司が罪に陥った場合についてです。たとえ神に仕える祭司であっても、人間ですから罪は犯します。そこで、神は罪のきよめのささげ物として、傷のない若い雄牛を主に献げることを定められました。
具体的には、雄牛の頭に手を置き、主の前でその雄牛を屠り、指を血に浸し、聖所の垂れ幕に向けてその血を七度振りまき、またその血を会見の天幕の中にある、祭壇の四隅の角に塗り、その残りの血をすべて、会見の天幕の入り口にある全焼のささげ物の祭壇の土台に流すようにと定められました。祭司は神に仕え、罪の贖いの儀式を行なう民の霊的指導者ですから、“きよさ”と“へりくだり”が求められます。
今、私たちはキリストの十字架によって罪赦され、さらに「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です(Ⅰペテロ2:9)」とあるように、祭司の役割が与えられています。その祭司としての“きよさ”に必要なのは、「自分の罪を告白するなら、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださる(Ⅰヨハネ:9)」との約束に基づいた日々の罪の悔い改めです。また、弟子の足を洗われたイエス様のへりくだったお姿(ヨハネ13:15)や正しくさばかれる方にすべてをお任せになられた謙遜なお姿(Ⅰペテロ2:21~24)を模範とすることによって、私たちもへりくだった者にされるのです。
黙々と十字架に従われたイエス様から目を離さずに歩みましょう。
「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」(Ⅱコリント4:16)