今日のメッセージ 『キリストの輝き』 2023年9月24日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト34章27~34節〕

 再びシナイ山に登ったモーセに、主は「これらのことばを書き記せ。わたしは、これらのことばによって、あなたと、そしてイスラエルと契約を結んだからである。」と言われました。彼は山で四十日四十夜、主とともにいて、食べることも飲むこともせず、神の契約のことば十戒を二枚の石の板に記します。その二枚の板を手に、山から下りて来たモーセの顔は、神との交わりにより、その栄光を反射し、輝いていました。アロンやイスラエルの子らは顔が輝くモーセに恐れを覚えて近づくことができないほどでした。

 私はこの箇所から、預言者サムエルの母ハンナを思い出しました。彼女は、子どもが与えられるように、神殿で必死に神に祈り求めていました。この様子を見ていた祭司エリは、祈りの声が聞こえなかったために酔っていると思ったのです。ハンナが、「私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです」と伝えると、エリは「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」と答えました。ハンナの顔は、「もはや以前のようではなかった(Ⅰサムエル1:18)」と記されています。ハンナの顔はモーセのように「輝きを放っていた」わけではありませんが、明らかに、違っていたのです。

 キリストは、十字架によって罪の贖いを完成されました。それゆえ私たちは、キリストを信じる信仰によって、直接、神とお会いできる恵みを頂いています。私たちのすべての罪が、十字架によって取り除かれたからです。神との交わりが私たちをキリストの御姿に変えてくださるのです。それは、聖霊の働きによるものです。(Ⅱコリント3:18)

 ハンナのように、神との交わりが、あなたにキリストの輝きを与えてくださいます。

今日のメッセージ 『いのちのみことばをしっかり握る』 2023年9月17日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト34章18~26節〕

 神との契約を破り金の子牛を作ったイスラエルでしたが、再び神は、「今ここで、わたしは契約を結ぼう。~ あなたは、ほかの神を拝んではならない。~ 自分のために鋳物の神々を造ってはならない。」とモーセを通して約束してくださいました。そしてエジプトから脱出するときに命じた「種なしパンの祭り」を守るように命じられたのです。

 神が力強い御手をもってエジプトの地から救い出してくださったことを記念する「種なしパンの祭り」は、異教の神々を退け、まことの神を覚え、信仰を守るための重要な祭りです。さらに初子はすべて神のものゆえ、長子はみな贖われなければならないと定められました。また、「刈り入れのために七週の祭り、年の変わり目の収穫祭。年に三度、男子はみな、イスラエルの神、主の前に出る。主へのいけにえの血を、種入りのパンに添えて献げてはならない。あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主に献げる。あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない。」と神の民として歩むことを命じられました。

 「失敗は成功のもと」といいますが、イスラエルは「金の子牛」の失敗から神の戒めを守ることの大切さを知らされたのです。詩篇の作者は「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」と告白しています。

 私たちの信じる神は、「すべてのことがともに働いて益としてくださる(ローマ8:28)」と約束してくださる愛のお方です。ですから、いのちのみことばをしっかり握って歩みましょう。

 「自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができる(ピリピ2:16)」と約束されているからです。

今日のメッセージ 『尽きることのない神の愛』 2023年9月10日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト34章1~17節〕

 「金の子牛」の出来事に憤り、神のさとしの板を砕いたモーセに対して、神は「前のものと同じような二枚の石の板を切り取れ。わたしはその石の板の上に、あなたが砕いたこの前の石の板にあった、あのことばを書き記す。」と言われ、彼は再び二枚の石の板を持ってシナイ山に一人で登って行きました。主は、雲の中から降りて来られ「【主】、主は、あわれみ深く、情け深い神。怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」と宣言されたのです。モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏し、どうか私たちの咎と罪を赦し、私たちをご自分の所有としてくださいと願います。すると神は、「今ここで、わたしは契約を結ぼう」と言ってくださいました。契約を破ったにもかかわらず、神は再び「イスラエルの民と契約を結ぼう」と言ってくださったのです。

 ペテロがイエス様に「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」と尋ねたとき、主は「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。(マタイ18:21,22)」と言われました。それは、どこまでも赦し続けることを教えられたのです。「私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。(哀歌3:21,22)」とあるように、まさに、私たちの信じるお方は、あわれみ深く、情け深い神であり、私たちは、この神の御手に守られながら日々歩んでいるのです。

 この神の愛に応えるには、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい(へブル12:2)」とのみことばに堅く立って歩むことです。

今日のメッセージ 『心を騒がせてはなりません』 2023年9月3日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト33章12~33節〕

 モーセは、主に「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。」と言い、「今、もしも私がみこころにかなっているなら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知り、みこころにかなうようになれます。また、もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。」と訴えます。すると主は、「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう」と言われたのです。モーセはさらに「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」と神に願いますが、主は「あなたはわたしの顔を見ることはできない。~ わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおう。~ わたしの顔は決して見られない。」と言われたのです。モーセは主が名指しで選び出したリーダーであり、神の御心にかなっていましたが、それでも、うなじを固くする民を約束の地に導けるのか苦悩していました。ですから、主のみこころにかなうように、主の道を教えてくださるように、と必死に訴えたのです。

 先の見えない問題に苦悩する時、私たちは疲れ、明日はどうなるのだろうかと不安と恐れに支配されます。このような時こそ、イエス様が「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)」と語っておられるように、私たちの主への信仰が問われているのではないでしょうか。

 イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る(イザヤ30:15)」

今日のメッセージ 『悪から離れよ』 2023年8月20日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト33章1~6節〕

 神はモーセに、ご自分がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った「乳と蜜の流れる地」に、あなたも、あなたがエジプトの地から連れ上った民も行け~しかし、「わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」と言われました。

 民はこの悪い知らせに嘆き悲しみ、飾り物を身に着ける者もいませんでした。というのは、民はモーセから「イスラエルの子らに言え。『あなたがたは、うなじを固くする民だ。一時でも、あなたがたのただ中にあって上って行こうものなら、わたしはあなたがたを絶ち滅ぼしてしまうだろう。今、飾り物を身から取り外しなさい。そうすれば、あなたがたのために何をするべきかを考えよう。』」と言われていたからでした。ホレブの山で金の子牛の周りで踊っていた時に身に着けていた飾りを外すということは、自らの罪を認めて悔い改めることであり、イスラエルの子らは、ホレブの山以後、飾り物を外しました。それは、彼らの心が、神から離れていたことが問題なのであり、そのことを現わす象徴が、飾り物にあったからです。

 聖書は、「あらゆる形の悪から離れなさい(Ⅰテサロニケ5:22)」と語っています。それは、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けることになるからです(Ⅰペテロ2:11)。生まれながらの私たちの心は、「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」を愛しています(Ⅰヨハネ2:16)。

 イエス様は、「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。(マタイ6:24)」と語っておられます。

今日のメッセージ 『今は恵みの時、今は救いの日』 2023年8月13日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト32章15~35節〕

 山を下りたモーセが目にしたのは、金の子牛と民の踊る姿でした。それを見たモーセは燃え上がる怒りで、神御自身が書かれたさとしの板二枚を山のふもとで砕き、そして金の子牛を火で焼き、粉々に砕き、水の上にまき散らして、イスラエルの子らに飲ませました。

 モーセがアロンに事の次第を聞くと、彼は「彼らが私に金を渡したので、これを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来た」と嘘をついたのです。民の乱れは、あまりにもひどく、敵の物笑いとなっているのをみたモーセは、罪に汚れた者を殺すという神のさばきをレビ族に命じました。翌日、モーセは、民の罪の贖いのために、神のところに戻り「彼らの罪を赦してくださらないなら、あなたの書物から私の名を消し去ってください」と懇願します。神はモーセに「わたしの前に罪ある者はだれであれ、わたしの書物から消し去る。しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に民を導け。見よ、わたしの使いがあなたの前を行く。だが、わたしが報いる日に、わたしは彼らの上にその罪の報いをする。」と言われたのです。

 モーセは民を救うために、神に自分の名をいのちの書から消し去ってくださいとまで願ったのです。神は、モーセに「わたしが報いる日に、わたしは彼らの上にその罪の報いをする」と言われました。「わたしが報いる日」、すなわち、神のさばきの日は必ず来るのです。

 もしも自分の都合の良い時に、イエス様を信じればいいと思っているならば、思いもよらない時に、救いの扉は閉じられます。聖書は、あなたに愛の警告を発信しています。

 「神は言われます。『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける』見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)」

今日のメッセージ 『キリストのとりなし』 2023年7月30日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト32章1~14節〕

 神と語り合うためにシナイ山に登ったモーセを待つ民たちは、モーセが一向に山から降りてこないので不安になり、アロンのもとに集まりました。そしてモーセの安否不明ゆえに、「われわれのために神々を造ってほしい」とアロンに求めたのです。

 アロンは、あろうことか、民に金の耳輪を持ってこさせ、それで金の子牛を作り「イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ」と宣言したのです。さらにアロンは祭壇を築き、民は全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを供え、食べたり飲んだりし、立っては戯れたのです。神は堕落してしまった民に向かって怒りを燃え上がらせ、彼らを絶ち滅ぼし、モーセを大いなる国民とすると語られました。これを聞いたモーセは、必死に主に嘆願し、神はそのわざわいを思い直されたのです。

 イスラエルの民の神に対する不信仰は、今に始まったわけではありません。

 しかし、これは、私たち自身の中にも根深く潜む性質です。聖書は「彼らは(私たちは)、神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず(ローマ1:21)」と語っています。にもかかわらず、イエス様は、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と私たちのために祈られました。さらに、三日目によみがえられたこのお方は、天に戻られ、神の右の座に着き、私たちの日々の歩みのために(今も)とりなしておられるのです(ローマ8:34)

 私たちの過去・現在・未来のためにとりなしておられるお方、すなわち、私たちは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、神の大きな愛と恵みに守られているのです。

今日のメッセージ 『新しい心』 2023年7月23日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト31章12~18節〕

 神は幕屋建設を前に、ユダ部族のベツァルエルとダン部族のオホリアブを名指しで召し出し、彼らに神の霊を与えられました。そして次に、信仰生活の土台である安息日について、次のように命じます。イスラエルは七日目を主の聖なる安息の日、永遠の契約として、代々にわたり守る。守らない者は、自分の民の間から断ち切られる。これは永遠に、わたしとイスラエルの子らとの間のしるしである。それは、主が六日間で天と地を造り、七日目に休息したからである。こうして神は、シナイ山でモーセと語り終えたとき、さとしの板を二枚、すなわち、神の指で書き記された石の板をモーセに授けたのです。

 神はさとしの板に記された神の教えに聞き従うならば祝福し、聞き聞き従わなければ呪いとなると語られましたが(申命記11:26~28)、イスラエルの民は、かたくなで逆らう心ゆえに神の教えに聞き従うことができませんでした。しかし、この頑なな心、反抗心は私たちの中にもあるのではないでしょうか。それゆえに神は、「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。(エゼキエル36:26)」と約束されました。この自分を義とする反抗心(自己中心)のために、十字架で私たちの身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストを救い主と信じるすべての人に新しい霊、すなわち、聖霊を与えてくださったのです。その聖霊が、私たちの心に神のみことばを書き記し(Ⅱコリント3:3)、また、私たちを助け、励まし、天の御国へ導いてくださるのです。神は「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない(ヘブル3:15)」と愛の警告を発しています。

 頑なな心ではなく、柔らかで従順な心にして頂きましょう。

今日のメッセージ 『御霊の賜物を生かそう』 2023年7月16日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト31章1~11節〕

 これまで神はモーセに、幕屋作り、そして幕屋に必要な各種の幕・契約の箱・燭台・机・香の祭壇・ささげ物の祭壇・洗盤、さらに祭司が身に着ける装束についても詳しく指示されました。続いて神は、フルの子ウリの子ベツァルエルを名指しで召し、彼に神の霊を満たして、神の天幕とその中にある物いっさいを作るのに必要な、知恵と才能と技術をあたえました。彼は金、銀、青銅の細工を美しくデザインし、はめ込みの宝石の細工にも、木の彫刻にも熟練した腕を持っていました。そして助手として、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを任命し、さらにまた、優秀な技術者たちにも特別な力を与え、神の指示どおりの物を作れるようにされたのです。

 聖書は、「私たちはキリストのからだであり、一人ひとりはその部分である(Ⅰコリント12:27)」と教えます。キリストのからだとは「教会」のことであり、この場合は建物ではなく、主を信じる私たち一人ひとりがキリストのからだの一部分だというのです。

 神は、キリストのからだなる教会を建て上げるために、私たち一人ひとりに御霊の賜物を与えてくださっています。賜物は生まれながらの才能とは違い、神が一方的にくださったもので、神様のために、また互いが愛し合い、配慮し合うために(Ⅰコリント12:25)与えられているのです。神がベツァルエルとオホリアブたちを召し、神の霊を満たし、幕屋建設を導かれたように、主を信じるあなたにも、神は御霊の賜物を与えておられます。

 互いに愛し合い、祈り合う教会「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ(Ⅰコリント12:26)」教会をめざして歩みましょう。

今日のメッセージ 『神のすべての武具を身につけよ』 2023年7月9日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト30章22~38節〕

 香をたく祭壇、償い金、洗いの洗盤に続いて、神は「聖なる注ぎの油」について命じます。これは大祭司と幕屋のすべての備品を聖別するための油であり、それゆえ神は「聖なる注ぎの油」を人のからだに注いではならない、また、これと似たものを作ってはならないと定められ、これらを破る者は、だれでも自分の民から断ち切られる、と言われました。

 さらに神は、「聖なる香」を作るように命じます。この香は、主の前の常供の香のささげ物となるため、同じ物を自分たちのために作ってはならない。また、これと似たものを作って、これを嗅ぐ者は、自分の民の間から断ち切られる、と定められました。ところが、アロンの子ナダブとアビフは、この神の命令を破り、いのちを取られたのです。(レビ10:1,2)。

 イエス様は、「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです(ヨハネ5:39)」さらに「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです」(ヨハネ6:40)と、はっきり語られました。

 神はモーセを通して、神のことばにつけ加えたり、減らしてはならないと命じています(申命記4:2)が、救い主イエス・キリストを否定する人々者が現れ(Ⅰヨハネ2:22)、間違った教えが広がってきたのです。

 今も、キリストを否定する教えは、形を変え、巧妙に、私たちの生活の中に入り込んできます。ですから、聖書は、神のすべての武具を身に着け、神のことばに堅く立つ(エペソ6:10~17)ことを私たちに教えているのです。