牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト33章12~33節〕
モーセは、主に「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。」と言い、「今、もしも私がみこころにかなっているなら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知り、みこころにかなうようになれます。また、もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。」と訴えます。すると主は、「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう」と言われたのです。モーセはさらに「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」と神に願いますが、主は「あなたはわたしの顔を見ることはできない。~ わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおう。~ わたしの顔は決して見られない。」と言われたのです。モーセは主が名指しで選び出したリーダーであり、神の御心にかなっていましたが、それでも、うなじを固くする民を約束の地に導けるのか苦悩していました。ですから、主のみこころにかなうように、主の道を教えてくださるように、と必死に訴えたのです。
先の見えない問題に苦悩する時、私たちは疲れ、明日はどうなるのだろうかと不安と恐れに支配されます。このような時こそ、イエス様が「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)」と語っておられるように、私たちの主への信仰が問われているのではないでしょうか。
イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る(イザヤ30:15)」