今日のメッセージ 『キリストのとりなし』 2023年7月30日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト32章1~14節〕

 神と語り合うためにシナイ山に登ったモーセを待つ民たちは、モーセが一向に山から降りてこないので不安になり、アロンのもとに集まりました。そしてモーセの安否不明ゆえに、「われわれのために神々を造ってほしい」とアロンに求めたのです。

 アロンは、あろうことか、民に金の耳輪を持ってこさせ、それで金の子牛を作り「イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ」と宣言したのです。さらにアロンは祭壇を築き、民は全焼のささげ物を献げ、交わりのいけにえを供え、食べたり飲んだりし、立っては戯れたのです。神は堕落してしまった民に向かって怒りを燃え上がらせ、彼らを絶ち滅ぼし、モーセを大いなる国民とすると語られました。これを聞いたモーセは、必死に主に嘆願し、神はそのわざわいを思い直されたのです。

 イスラエルの民の神に対する不信仰は、今に始まったわけではありません。

 しかし、これは、私たち自身の中にも根深く潜む性質です。聖書は「彼らは(私たちは)、神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず(ローマ1:21)」と語っています。にもかかわらず、イエス様は、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。(ルカ23:34)」と私たちのために祈られました。さらに、三日目によみがえられたこのお方は、天に戻られ、神の右の座に着き、私たちの日々の歩みのために(今も)とりなしておられるのです(ローマ8:34)

 私たちの過去・現在・未来のためにとりなしておられるお方、すなわち、私たちは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、神の大きな愛と恵みに守られているのです。