牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト39章1~32節〕
幕屋建設の終わりは、大祭司が聖所で務めを行う時に着用する聖なる装束の制作でした。その青い装束の裾周りには、鈴と撚り糸で撚ったざくろが交互に取り付けられており、その上に身に着けるエポデの胸にはイスラエル十二部族の名が刻まれた十二個の宝石を埋め込んだ「さばきの胸当て」が取り付けられました。神は大祭司が聖所に入るとき、この胸当てが付けられたエポデを着なければならないと定めましたが、それはイスラエル十二部族の名が、絶えず主の前で覚えられるためです(出エジプト28:29)。このようにして民は主がモーセに命じられたとおりに行い、会見の天幕である幕屋のすべての奉仕を終えたのです。
十二部族の名が刻まれた「聖なる装束」を身に着けた大祭司が聖所に入るとき、民は自分たち一人ひとりが主の前に覚えられていると感じたことでしょう。
ところで、神の都である御国に入ることができるのは、「子羊のいのちの書」に名が記されている者たちだけです(黙示録21:27)。子羊とはイエス・キリストのことであり、「いのちの書」には、キリストを罪からの救い主と信じた私たちの名が記されているのです。
十二部族の名が主の前に覚えられているように、いのちの書に記されたあなたの名は、主の前に覚えられています。私たちは、神の恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。すべて神の賜物(プレゼント)です。私たちの行いによるのではありません。(エペソ2:8,9)しかし私たちは、自分の行いや義を拠り所としがちです。そこに満足感や達成感があるからです。
そのような私たちに、神は「あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい(Ⅱコリント13:5)」と問いかけておられます。