牧師コラム 『あきらめるな』 2018年5月20日

 牧師 高橋勝義     

 電球を発明したトーマス・エジソンは、「人生に失敗した人の多くは、諦めた時に自分がどれほどの成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ」と言っています。
 確かに、何事においても、中途半端は良くないということなのでしょう。
 イエス・キリストは、こんなたとえ話をされました。…真夜中、友人が旅の途中、自分の家に来たのに、もてなすものが何もないので、友にパンを貸してくれるようにお願いに行きました。友は、ぐっすり眠っているところを起こされたわけですから、断ります。しかし、しつこく頼み続けるなら、起きて必要なものを上げるでしょう。
 このたとえから、イエス・キリストは、諦めずに、しつこく(厚かましく・恥を恐れず)祈り続けることを私たちに教えているのです。
 誰に祈るのか。もちろん、すべてを御存知のまことの神に向かって祈るのです。
 イエス・キリストは『あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。(ルカ11:9,10)』と語るのです。これは約束のことばなのです。

 イエス・キリストのたとえ話に戻りますが、真夜中、友にパンを貸してくれるように頼みに行くわけですから、友との信頼関係が出来ていなければ、夜中に頼みに行くことなど到底出来ません。
 同様に、諦めずに祈り続けるためには、まことの神に対するあなたの揺るぎない信頼が問われてくるのです。

 ところで、あなたの信じている神は、本当に信頼できるお方ですか…。

牧師コラム 『まことの神の愛』 2018年5月13日

 牧師 高橋勝義     

 今日は「母の日」です。
 これはアメリカ南北戦争後、夫や子どもを戦場に送る事を拒否しようとおこった平和運動の「母の日宣言」が起源となっています。
 この運動を引き継いだアン・ジャービスの娘アンナが、母を偲び、また世の母親すべてを敬う日として、通っていた教会で1908年の5月第二日曜日に「母の日」の式典を行ないました。
 娘アンナはその式典で母の好きだった白いカ-ネ-ションを参列者に配り、やがてそれは全国的な記念日と広がり、カ-ネ-ションは「母の日」のシンボルになったのです。
 我が子を思う母の愛に感謝をする日が「母の日」です。

 ところで、聖書は、『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ410)』と私たちに語りかけています。
 イエス・キリストご自身も『だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。(ヨハネ10:18)』と語っています。
 私たちの心の中にある「憎しみ・恨み・妬み・嫉妬・怒りなど」が、人間関係を壊し、自分自身をも傷つけているのです。これらは、私たちを造られたまことの神から離れ、背を向けて歩んでいる罪によってもたらされているのです。
 今から2000年前、イエス・キリストはあなたを罪から救い出すために、あなたのすべての罪を身代わりに負い、ご自身のいのちを捨て、十字架の上で死なれたのです。
 それは、あなたを愛しているからです。
 いのちを捨てて下さったイエス・キリスの愛に感謝しましょう。

2018年4月19日 クラフト教室・支援報告 第177回

〇日 時:2018年4月19日
〇参加者:11名
〇奉仕者:仙台教会7名、石巻教会2名
〇場 所:石巻福音自由教会

 仮設の集会所から石巻教会に場所を移して、第一回目のクラフト教室が行われました。
 参加者の方々は女川から車に分乗して、早くから集まって来てくださいました。続けるかどうか迷っていた方も「途中道に迷ったの・・・」と少し遅れて、駆けつけてくださいました。みんなで祈って待っていましたので、とても嬉しく思いました。
 今日のクラフトは、「フォト・スタンド」です。外側は花柄、内側は白いレースの縁取りのおしゃれな写真立てですが、2時間でほぼ出来上がりました。大切な写真を入れて部屋に置くのもいいし、プレゼントに差し上げても喜ばれるのではないでしょうか。
 コーヒー・タイムを挟んで、聖書の紙芝居を映写しながら「イエス様の復活」のお話を聞いて頂きました。また、手話で「主は今生きておられる」を賛美しました。
 写真立てを作りながら、ひとりのご婦人が「私ね、子育て、失敗しちゃったの・・・」と話始められました。最近、成人した娘さんから厳しい言葉を投げかけられたそうで辛そうでした。祈りつつお話に耳を傾けました。話しておられる内にだんだん元気になって、笑顔で帰って行かれました。何でも自由に話して心の重荷をおろして頂ける場所として、クラフト教室が用いられることを願っています。
 今回も、大阪から夜行バスに乗って、この数年間ずっと支援に来てくださっていた方から頂いた手作りクッキーと、仙台教会の姉妹が準備してくださった可愛いイースターエッグをお土産に差し上げることができました。皆さん、心のこもったプレゼントを嬉しそうに受け取ってくださいました。
 石巻教会で行ったクラフト教室も豊かに祝され、無事1回目を終えることができました。背後で祈ってくださり、ご支援くださっている方々に心から感謝いたします。これからも、引き続きこの働きのために、また魂の救いのためにお祈りください。
 よろしくお願い致します。
                              吉田真知子

      

牧師コラム 『祈 り』 2018年5月6日

 牧師 高橋勝義     

 誰でも一度ならず祈った経験が、あるのではないでしょうか…。
 今日の聖書箇所は、イエス・キリストが弟子たちに祈りを教えられたところです。
 まず、最初に、最も重要なことは、祈り願うお方です。
 そのお方とは、私たちを造られたまことの神です。そのお方と共に歩む時、人は正しい歩みが出来るようになるのです。ですから、毎日の生活の中で、まことの神をほめたたえ、感謝と敬愛の心をもって祈るようにと教えられました。
 次に、日ごとの糧を毎日お与えくださいと、祈りなさいと教えられました。
 それは、まことの神が、私たちの日々の暮らしに必要なものを全て備えてくださるからです。毎日の食事を始め、日ごとの恵みは当たり前のことではなく、私たちを愛しておられる神がくださるものなのです。
 更に、自らの罪の悔い改めと、人を赦せるように、また試みから守られるように、祈りなさいと教えられました。
 なぜなら、まことの神の前に、自分の罪を認め、悔い改める時、神はイエス・キリストの十字架のゆえに、すべての罪を赦してくださるからです。
 神との関係が正されると、人間関係も回復するのです。自分の力では赦すことが出来なくても、心の中におられる聖霊の助けによって赦すことが出来るのです。
 人
間の親には限界がありますが、まことの神には限界がありません。
 その神を自分の父と呼び、祈るようにイエス・キリストは教えているのです。
 あなたも「天のお父さん!」と祈ってみませんか…。

牧師コラム 『必要なことは一つだけ』 2018年4月29日

 牧師 高橋勝義    

 マルタはイエス様を家に迎えて、もてなしのために忙しく動き回っていました。
 しかし、妹のマリアはイエス様の足元に座り、主の言葉を聞いていました。
 マルタは、妹のこの態度にしびれを切らし「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。(ルカ10:40)」とお願いしたのです。
 イエス様は、『必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。(ルカ10:42)』と語ったのです。
 私たちは、事の大小にかかわらず、日々、決断しながら歩んでいます。
 時には、自分の手に負えないような大きな問題に直面することもあります。
 問題を解決しようと動き回れば回るほど、空回りし、冷静さを欠き、訳が分からなくなってしまいます。このような時、聖書は、『イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」(イザヤ30:15)』と語っています。
 まことの神の前に静まりなさいと、聖書が語るのは、神の守りを思い起こし、神に信頼することこそが、問題を解決する力であることを教えているのです。
マリアはイエス様の御言葉を聞き、心にとどめることを最優先にしたのです。
 ですから、主は、『必要なことは一つだけです』と語ったのです。
 聖書は、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる(マタイ4:4)』とあなたに語ります。

 あなたは、何を最優先にしますか…。

牧師コラム 『あなたの隣人は誰か』 2018年4月22日

 牧師 高橋勝義     

  今日の聖書の箇所では律法の専門家が、「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」とイエスを試すために問いかけました。
 彼は、当然、その答えを知っていましたが、当時、神に仕える職にある人々は、律法(規則)を守ることに熱心で、あわれみや弱さを顧みる神の愛から逸脱していました。
 イエスは、「律法には何と書いてありますか。」と問い返し、「『あなたの神、主を愛しなさい』と『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」と答えた彼に、「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と命じます。
 更に「私の隣人とは誰ですか」と尋ねる彼に、イエスは、たとえを話されたのです。

 《強盗に襲われ半殺し状態で倒れている人のそばを、祭司、レビ人、サマリヤ人の三人が通りかかります。神に仕える祭司とレビ人は、「身を汚してはならない」という律法を守り、見て見ぬふりをして反対側を通り過ぎて行ってしまいました。ところが、サマリア人は、かわいそうに思い、自分たちを嫌っているユダヤ人を助け、宿屋に連れて行き介抱したのです。翌日、宿屋の主人にお金を渡し『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』と言って出かけて行った、というのです。》

 イエスは、「この三人の中で誰が、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と聞きました。彼は、「その人にあわれみ深い行いをした人です」と答えたので、イエスは「あなたも行って、同じようにしなさい」と命じます。(ルカ10:2537)
 彼は、御言葉を知っているのに真摯に向き合わず、日常生活の中で実践しようとしませんでした。彼のこの傲慢を、イエス・キリストは、戒め、そして、分け隔てなく愛される「神の愛」を教えられたのです。
 ところで、あなたの隣人は誰ですか。

牧師コラム 『カインとアベル』 2018年4月15日

 牧師 栗原延元

 今日は創世記4章を学びます。
 この章は〈人はその妻エバを知った。彼女はみごもってカインを生み、「私は主によってひとりの男子を得た。」と言った。〉をアダムとエバの夫婦に子が与えられ、人間の世界が、夫婦、親子、兄弟関係へと拡大、多様化していく姿が描かれています。それに伴って、神のみことばに背を向けた罪人としての人間の問題も拡大し、複雑化して行きます。
 文明とは、前章で示された罪の厳粛な事実とそれに対する神のあわれみへの個人個人の対応の集積として性格づけられていく(舟喜信)のです。
 しかし、文明は「神のあわれみ」を前提としている以上、ひとたび人が犯した罪によってもはや何の可能性も残されていない暗黒の文明ではないのです。
 むしろ神が介入され、神が語られるところにいつも「光」を見ることが出来るのです。
 文明の暗黒の最たるものは、殺人です。しかも兄(カイン)が弟(アベル)を殺すという骨肉の争いが創世記4章に書かれているのです。
 そのキッカケが主へのささげ物をするカインとアベルの姿勢であったところに罪の恐ろしさが顔を出しているのです。詳しくは礼拝の中で語ります。

 

2018年3月15日 バイパス東仮設支援 第176回

日時:2018年3月15日(木)
場所:バイパス東仮設
参加者:12名
奉仕者:7名(仙台教会6名、石巻教会1名)

 今日は、石巻井内のバイパス東仮設で行う「最後のクラフト教室」となりました。仮設の皆様からのご提案で、「お茶会」を行うことになりました。
 最初は、唱歌や懐かしい歌を歌いました。「四季のうた」、「かっこう」の輪唱、そして「思い出のアルバム」「今日の日はさようなら」。大きな声で、気持ちを込めて歌ってくださいました。楽しい振り付けの体操で身体をほぐした後、脳トレ「難読漢字クイズ・お魚編」にチャレンジしました。さすがお魚の町、女川の方々、ほとんど正解でした。
 心も体もほぐれた後、3月10日石巻福音自由教会で行われた「希望のコンサート」のCDから、キャサリン・ポーターさんのハープの演奏「さくらさくら」と信仰の証しを聞いて頂きました。キャサリンさんの飾らない真実な証しと力強い演奏にじっと耳を傾けてくださいました。
 昼食のお弁当をいただきながら、テーブルごとに歓談の時を持ちました。この7年間の様々なことを思い出して、涙ぐんでいる方もおられました。あっという間の7年。今、新しい歩みが、やっと始まったばかりです。いろいろなことが、まだまだ整理されないまま、心の中にしまったままの方がほとんどです。心の復興、本当の癒しはこれからだと強く思わされました。6年半、住み慣れた仮設住宅、みんなで集まった集会所も3月で閉じられます。思いがけず、「ここの生活は楽しかった」という声も聞かれました。これから再スタートとなる教会での「クラフト教室」のことも楽しみにしてくださっているようでした。教会が、被災された方々の心の拠り所となりますように、神様の愛が、おひとりおひとりの心に届いて、信じる心を起こさせてくださいますように。

 2012年、蕨福音自由教会の兄姉が支援活動に来てくださった時、米国福音自由教会の宣教師ギルバート夫妻やロング夫妻と共に、主に導かれるようにして、この仮設を訪れてくださいました。その後、間もなくここで知りあった方を通して両宣教師によるクラフト教室が始められたのです。2年後、一次的に帰国しなければならなくなった両宣教師に代わって、仙台福音自由教会のパッチワーク教室のメンバーが引き継ぎ、4年間クラフト教室を続けることができました。初めは聖書のことはあまり自由に話せない雰囲気がありましたが、徐々に信仰の話もできるようになりました。多くの方々の篤い祈りとご支援に支えられたことを心から感謝致します。
 4月からは、石巻福音自由教会に場所を移して、クラフト教室が行えるようになったことを感謝致します。引き続き、集まってくださる方々の魂の救いのために、また、奉仕者が整えられて心から仕えることができますようにお祈り頂けたら幸いです。
 よろしくお願い致します。
                                吉田真知子