牧師コラム 『よみがえられたイエス』 2018年4月1日

 牧師 高橋勝義     

 イエス・キリストは、十字架の上で死なれ、墓に葬られました。
 日曜日の朝、マグダラのマリヤともう一人のマリヤは、墓に行き、御使いに『ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイ28:6)』と告げられたのです。
 さらに、イエス様は、弟子たちの前に現れ、ご自身が幽霊ではなく、からだをもってよみがえったことを示すために、焼いた魚を食べられたのです。

 人間の理性や常識では、とても考えられないことですが、天地万物を造られたまことの神には『不可能なことは何もありません(ルカ1:37)』なのです。

 このイエス・キリストのよみがえりは、私たちの人生にどう関わるのでしょうか。
 第一に、イエス・キリストのよみがえりは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられたのですが、これは終わりの日に、私たちもよみがえることの証なのです。
 第二に、イエス・キリストのよみがえりは、よみがえられた新しいいのちを私たちに与えます。このいのちを頂いて、私たちは、新しい人生へと踏み出すのです。

 ですから、イエス・キリストのよみがえりは、とても重要なのです。
 では、どうすれば、この素晴らしい新しいいのちを頂くことが出来るのか。
 聖書が、『御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)』。また、『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)』と語っているように、イエス・キリストを罪からの救い主として信じることなのです。