牧師 高橋勝義 |
今日の聖書の箇所では律法の専門家が、「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」とイエスを試すために問いかけました。
彼は、当然、その答えを知っていましたが、当時、神に仕える職にある人々は、律法(規則)を守ることに熱心で、あわれみや弱さを顧みる神の愛から逸脱していました。
イエスは、「律法には何と書いてありますか。」と問い返し、「『あなたの神、主を愛しなさい』と『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」と答えた彼に、「それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と命じます。
更に「私の隣人とは誰ですか」と尋ねる彼に、イエスは、たとえを話されたのです。
《強盗に襲われ半殺し状態で倒れている人のそばを、祭司、レビ人、サマリヤ人の三人が通りかかります。神に仕える祭司とレビ人は、「身を汚してはならない」という律法を守り、見て見ぬふりをして反対側を通り過ぎて行ってしまいました。ところが、サマリア人は、かわいそうに思い、自分たちを嫌っているユダヤ人を助け、宿屋に連れて行き介抱したのです。翌日、宿屋の主人にお金を渡し『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』と言って出かけて行った、というのです。》
イエスは、「この三人の中で誰が、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と聞きました。彼は、「その人にあわれみ深い行いをした人です」と答えたので、イエスは「あなたも行って、同じようにしなさい」と命じます。(ルカ10:25~37)
彼は、御言葉を知っているのに真摯に向き合わず、日常生活の中で実践しようとしませんでした。彼のこの傲慢を、イエス・キリストは、戒め、そして、分け隔てなく愛される「神の愛」を教えられたのです。
ところで、あなたの隣人は誰ですか。