牧師 高橋勝義 |
昔の職人は、自らの退路を断って、自分の人生を師匠に託して弟子入りしました。
また、師匠も、厳しくも温かなまなざしで弟子の歩みを見守ります。
このような信頼関係があるから、師匠は弟子に自分の技を惜しげなく見せ、弟子は師匠の技を見て、盗み、一人前になっていきます。
退路を断つとは、悲観的な意味ではなく、将来に希望を抱いて進むことなのです。
さて、イエス・キリストの名は、国中に広まり、大勢の人々が集まってきました。
その中には弟子になりたいと申し出る人々がいたので、イエス・キリストは、ある人には『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子(イエス・キリスト)には枕するところもありません(ルカ9:58)』と語り、また別の人には『鋤に手をかけてからうしろを見る者は誰も、神の国にふさわしくありません(ルカ9:62)』と語りました。
前もって逃げ道を用意したのでは、形は弟子になれても、真の意味で弟子になることは出来ません。すべてが中途半端になってしまうからです。
弟子になるための心得として、イエス・キリストは、『あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:31,32)』と語りました。
その真意は、『わたしのことば』、すなわち、イエス・キリストのことば(聖書)を本気になって信じ、日々の歩みの中で実践しなさいということです。
聖書の約束を信じて歩み続ける時、真理を知り、キリストのことばが内側から沸くいのちの泉となって、苦しい事や辛い事があっても、乗り越えていく力となるからです。