今日のメッセージ 『神の宮とされている恵み』 2023年3月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト24章12節~25章9節〕

 神はご自身が石の板に書き記した教えと命令をモーセに与えようと、神の山に呼びます。モーセが山で四十日四十夜過ごす中、神は「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。」と語られました。というのも、主はエジプトを出る時にエジプト人がイスラエル人に好意を持つようにされたので、彼らは幕屋建設に必要なものをエジプト人から得ていたからでした。さらに「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」と約束され、幕屋とすべての備品についても、「わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない」と命じたのです。これは、「わたしは彼らのただ中に住む」という神の約束の実現のためでした。

 けれども、神を礼拝し、神と交わりを持つためには、罪ある人間は「全焼のいけにえ」を毎回ささげる必要がありました。しかし、ここにイエス・キリストが新しい道を開いてくださったのです。キリストは、雄やぎと子羊の血によってではなく、十字架で流されたご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、すべての人の永遠の贖いを成し遂げられました。(へブル9:12) それゆえ、今、私たちは、神との仕切り(罪)が取り除かれ、神を礼拝し、神と交わることができるのです。それだけではありません。何と、私たち自身が神の宮とされ、神の御霊が私たちのうちに住んでおられるのです。(Ⅰコリント3:16,37)

 このような素晴らしい恵みが与えられていることを心から感謝しつつ、神との交わりを楽しもうではありませんか。神はあなたのただ中に住んでくださっているのですから。

今日のメッセージ 『神との契約』 2023年3月19日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト24章1~11節〕

 モーセが主のことばを民に告げると、民はみな声を一つにして「主の言われたことはすべて行います」と答えました。そこで、モーセは主のすべてのことばを書き記し、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てました。さらにモーセによって遣わされたイスラエルの若者たちが、全焼のささげ物と交わりのいけにえとして雄牛を主に献げたのです。モーセは献げられた雄牛の血の半分を祭壇に振りかけ、契約の書を取り、民に読み聞かせると、民は「主の言われたことはすべて行います。聞き従います。」と誓いました。モーセは残りの血を民に振りかけ「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」と告げたのです。創造主なる神は、民がご自身のことばに「聞き従います」と応答したことを受け、献げられた動物の「血(いのち)」を証印とし、イスラエル(神の民)と契約を結ばれたのです。

 契約は、破ればその責任を問われます。ここが約束との大きな違いです。

 ところがイスラエルは、この神のみことばに聞き従わず、あろうことか、ほかの神々のところに行ってしまいました。しかし、それにもかかわらず、神は、「背信の子らよ、立ち返れ。わたしがあなたがたの背信を癒やそう(エレミヤ3:22)」と語り続けたのです。

 この神の思いは、十字架を前にして「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です(ルカ22:20)」と語られたイエス・キリストによって成し遂げられました。私たちのすべての罪は、キリストを罪からの救い主と信じる信仰によって、赦され、癒されます。そして再び神とともに歩む恵みの中に入れられたのです。

今日のメッセージ 『神への従順』 2023年3月12日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章20~33節〕

 神は、いよいよ約束の地に入るにあたり、最も大切な命令である「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、道中あなたを守り、わたしが備えた場所にあなたを導く。あなたは、その者に心を留め、その声に聞き従いなさい。」を与えられました。それは約束の地に入ったならば、この地に住んでいる人々の神々を拝まず、仕えず、彼らの風習に倣わず、彼らの神々と契約を結んではならないこと。それらの神々を徹底的に破壊し、その石の柱を粉々に打ち砕かなければならないと命じられたのです。さらにあなたがたが、神、主に仕えるならば、「あなたの中から病気を取り除き、あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなり、わたしはあなたの日数を満たし、あなたの領土を、葦の海からペリシテ人の海に至るまで、また荒野からあの大河に至るまでとする」と約束されました。

 「隣の芝生は青い」とあるように、約束の地に入れば、その地の人々の生活が魅力的に見えるかもしれません。しかし、それがとんでもない大きな罠となってしまうのです。それゆえに、神は、心の準備をさせ、具体的に、罠となるものにどう対処すべきかを命じられたのです。同様に、私たちもこの世の習慣に気を付けなければなりません。

 イエス・キリストは神から遣わされ、人となってこの世に来られました。そして御子であられるのにお受けになった様々な苦しみによって従順を学ばれたのです(へブル5:8)。それは、私たちがキリストの足跡に従うようにと、模範を残されたのです(Ⅰペテ 2:21)。

 あなたの日々の歩みの中に、キリストが残された模範、すなわち愛と赦しが実践されているでしょうか。神への従順とは、聖霊の助けによってキリストの足跡に従って歩むことです。

今日のメッセージ 『まことの神に感謝せよ』 2023年3月5日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章9~19節〕

 神は「六年間は、あなたは地に種を蒔き、収穫をする。しかし、七年目には、その土地をそのまま休ませておかなければならない。~ (出23:11,12)」と定められました。それは貧しい人々が休耕田に残っている作物を食べ、その残りを野の生き物が食べるためでした。
かつてエジプトで奴隷、寄留の民であり、その苦しみを誰よりも知っているイスラエルの民は、弱者を虐げる者ではなく、神の愛を伝える選びの民であったからです。
さらに神は、「年に三度、わたしのために祭りを行わなければならない(出23:14)」と定められました。その最も大切な祭りはエジプトから救い出されたことを記念する「種なしパンの祭り」、そして「刈り入れの祭り」と「収穫祭」です。これらはすべて神への感謝を覚え、子々孫々にまで伝えるためでした。また、「ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。(出23:13)」とも定められました。

 イエス様は「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。(マタイ6:26)」と語られました。事実、私たちを本当に養っておられるお方は、創造主なる神であり、「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)」お方だからです。私たちは、この創造主なる神の愛と恵みの中に生かされていることを、日々心から感謝して歩んでいるでしょうか。

 「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」 さあ、この朝も声高らかに主への感謝をもって賛美し、礼拝しましょう。

今日のメッセージ 『神はすべてご存じ』 2023年2月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト23章1~9節〕

 ここでは、神がイスラエルの民に与えた十戒の第九番目、「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」についての具体的な説明と神の思いが語られています。
偽りやうわさ話、悪意の証言を禁じ、多数になびいて悪の側に立つことはもちろんのこと、反対に同情心から弱い者をことさら重んじることもしてはならないと言われます。
神は、あくまでも事実だけを語り、証言することを求めておられるのです。
また、あなたの敵の牛やロバが迷っているなら、必ず飼い主の元に連れ戻す。さらに、あなたを憎んでいる者のロバが重い荷の下敷きになっているなら、必ず彼と一緒に助け起こしてやるようにと言われます。それは同じ神の民、同胞に対してすべきことだからです。訴訟においても、貧しい者たちへのさばきを曲げないこと、賄賂を受け取らないことを定められました。賄賂は、聡明な人さえも盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからです。

 神は、私たちの心の中のはかりごとさえも、すべてご存じです(Ⅰコリント4:5)。それゆえ、神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されていて、この神に対して私たちは申し開きをしなければなりません(へブル4:13)。このお方を恐れて生きることが正義と公平さを保つ鍵なのです。私たちはこの神の前に日々歩んでいるのですが、神に喜ばれる歩みからかけ離れた者であることも事実です。神に喜ばれる歩みは、自分の力では到底できません。それをご存じの神は、聖霊をこの世に送られ、このお方によって、キリストの死が私たちの罪のためであると私たちに悟らせ、神の愛を明らかにされたのです。

 この神の愛に生かされ、聖霊に満たされて歩む時、真の力が与えられるのです。

牧師コラム 『あなたの隣人は誰か』 2023年2月19日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト22章21~31節〕
かつてイスラエルの民は、エジプトで奴隷の民となっていました。しかし神は、彼らの叫びを聞かれ、モーセをリーダーとして遣わし、エジプトから救い出されたのです。ですから神は、神の民イスラエル人に自分たちがエジプトで奴隷であった時のことを思い出し、寄留者、やもめ、みなしごたちを、苦しめてはならないと諭します。また金銭の貸し借りなどにおいても、同族からは利息を取ってはならないとされたのです。

 さらに神は、「あなたがたは、わたしにとって聖なる者でなければならない」と命じられました。それは神ご自身が「聖」だからです。同時に、神は愛のお方ですから「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。(レビ19:18)」と命じました。ですから、「聖なる者」とは、自らの歩みの中に神の愛を実践する者のことです。

 イエス様はこのことについて、たとえ話し(ルカ10:25~37)を用いて語っておられます。そのたとえとは、強盗に襲われ、瀕死の重傷を負った人のそばを祭司、レビ人、サマリヤ人の三人が通りかかり、彼らが、どのように対応したのかを話され、「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」と問いかけました。「その人にあわれみ深い行いをした人です」との答えに、イエス様は「あなたも行って、同じようにしなさい」と言われたのです。これは自分は正しいと自負する律法の専門家たちに語られたのですが、同時に、その場にいた人々にも語られているのです。

 ところで、私たちは、自分によくしてくれる人には親切にしますが、その逆もあるのではないでしょうか。

 あなたの内に住んでおられる聖霊の力により、神の愛を実践できるように祈りましょう。

牧師コラム 『あなたの神、主を愛しなさい』 2023年2月12日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト22章10~20節〕
神はアブラハムを選び、その子孫に、まことの神を全世界の人々に告げ知らせ、祝福する使命を託されました。ですから神の民イスラエルに、聖なる民として生きる掟(十戒)をさずけ、さらにそれを丁寧に説明されたのです。

 隣人に預けた家畜の損失に伴う償い、さらには、誘惑に負けて不道徳な関係を持った者への規定も示されました。これは神が結婚を尊び、その尊厳を教えるためでした。また、神は「呪術を行う女は生かしておいてはならない。~ (出22:18,19)」と厳しく戒めました。呪術とは魔術、オカルト、占い等で、これらは悪霊と関わる危険なことだからで、すべてはあなたの霊性を守る神の愛から出ている戒めなのです。さらに続く戒めは「ただ主ひとりのほかに、神々にいけにえを献げる者は、聖絶されなければならない。(出2:20)」です。十戒の最初に「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない(出20:3)」とあるように、唯一の神以外の神々に簡単にいけにえを献げてしまう行為は、「聖絶されなければならない」ほどの非常に重い罪であることを神ははっきりと示されたのです。このように神は、日常生活に起きるいろいろな問題に対して細かなルールを定められましたが、これぐらいいいのではないか、みんなもやっているではないか、という安易な気持ちがもっとも危険なのです。

 神があなたに求めておられることは、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申命記6:5)」なのです。

牧師コラム 『あなたの心の主人は誰ですか』 2023年2月5日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト22章1~9節〕
神の民イスラエルに神が与えられた十戒の「盗んではならない。(出エ20:15)」について、神は他人の所有物について、盗むという行為だけではなく、放たれた家畜が他人の畑を食い荒らしたり、出火して穀物や収穫前の畑を焼き尽くした場合にも、必ずその責任の償いをしなければならない、と定められました。また、金銭や物品を隣人に預けて、それがその家から盗まれた場合も、その盗人が二倍にして償わなければならないのはもちろんですが、盗人が見つからない場合には、預かった家の主人は神の前に出て、隣人の所有物に決して手を触れなかったと誓わなければならないと定めました。

 つまり、神は、「所有をめぐるすべての違反行為に関しては、それが、牛、ろば、羊、上着、またいかなる紛失物についてであれ、一方が『これは自分のものだ』と言うなら、 その双方の言い分を神の前に持ち出さなければならない。そして、神が有罪と宣告した者は、それを二倍にして相手に償わなければならない。(出22:9)」と定められたのです。

 神は私たちの心に潜む貪欲が、あらゆるトラブルに発展することをご存知なので、このように細かく定められたのです。パウロは、「地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。(コロサイ3:5)」と語りました。欲しがる心、貪欲は人の心を支配していくからです。

 「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。(マタイ6:24)」

 あなたの心の主人は、富ですか、それとも、イエス様でしょうか。

牧師コラム 『わが友、主イエスは』 2023年1月29日

 牧師 栗原延元

〔ヨハネの福音書15章13~17節〕

 賛美歌312番(いつくしみ深き友なるイエス)は、よく知られた賛美歌です。この歌を歌うたびに、私はイエス・キリストを親しく感じます。遥か遠くの彼方に救い主イエスがおられるのではなく私の近くに、いや私の側におられるように思うのです。

 イエス様の公生涯の最後の一週間、弟子たちに〈わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。〉(ヨハネ伝15:15)と語りました。救い主イエスは私たちをしもべとは呼ばず、私たちを友と呼んでいて下さるのです。何という栄光でしょう。私たちに多くの友がいることだと思うのですが、イエス様は私たちの友の中の友なのです。最大の友とは〈人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません〉(ヨハネ15:13)と弟子たちに話されたとおりに、イエスは十字架の上でいのちを捨てられたのですから、キリスト教会堂に「十字架」がかかげられているのは、神の愛のシンボルなのです。聖歌493番〈わがとも主イエスは、われを見い出し引き寄せたまいぬ愛の糸もて〉を歌って、救い主イエスをたたえていきたいと思います。