牧師コラム 『いのちの泉』 2016年4月24日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

私たちは、のどが渇けば、水を飲みます。
それによって、のどは、潤い渇きから解放されますが、また、のどは渇きます。
のどの渇きは、決して、なくならないので、当然、のどを潤す水もまた必要です。

ところで、あなたは、心の健康に気を配っていますか?
口から出てくる言葉は、心の健康状態をよく表しています。
なぜなら、心が、憎しみ・恨み・妬み・嫉妬・傲慢などで満ちていれば、
とても、優しい言葉や思いやりのある言葉など出てこないからです。

たぶん、あなたは、自分の口から出た言葉でつらい経験をしてきたことでしょう。
何か、解決への道があるのでしょうか?

「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と
イエス様は語りました。

イエス様を信じる者は、あなたの内に聖霊が住んで、
あなたの心に愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制で満たしてくださいます。
まさに、いのちの泉が、あなたのうちで尽きることなく湧き出来ます。
このいのちの泉を求めてみませんか?

牧師コラム 『あなたを愛された神』 2016年4月17日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

私たちを愛している神様が、います。
不思議ですね。でも、「あなたを愛している」と言われて悪い気はしないでしょう。

ところで、神様は、私たちを愛さなければならない、何か特別な理由があるのでしょうか?

いや、何もありません。

むしろ、私たちは、神様に逆らって生きているので、
滅びに向かって歩んでいます。
神様は、そんな私たちを放っておけないのです。

そこで、神様は、愛する御子イエス・キリストをこの世(私たちの所)に遣わされました。
それは、イエス・キリストが私たちの罪(神様に従わないこと)をすべて負って、
十字架の上で死ぬためです。
神様は、イエス・キリストの贖いの死によって、
私たちのすべての罪を赦されたのです。

それ故、イエス・キリストを信じる者は、滅び、即ち、神様のさばきから救われ、
永遠のいのちが与えられます。

私たちは、神様の愛を受け取るか、それとも、拒むか、どちらかを選ばなければなりません。神様の愛を受け取り、滅びから永遠のいのちにあずかる恵みを頂こうではありませんか?

牧師コラム 『一番大切な命令』 2016年4月10日

IMG_8506  栗原 延元牧師

復活はないと主張していたサドカイ人たちの論拠をみごとに論破した
イエスのところに一人の律法学者(復活を主張していたパリサイ人と思われます)が
「すべての命令の中でどれが一番大切ですか。」(マルコ12:28)とイエスに尋ねます。

<イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。
『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次には、これです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:29-31)

長く聖書箇所を引用しました。
イエスの語ったみことばをじっくり味わっていただきたいからです。
大事な命令は二つであります。神への愛と人への愛です。
この二つは別々に存在するのではないと思うのです。
源泉(みなもと)は、ひとつです。
それは神への愛です。神を愛する愛から、人を愛する愛が流れ出るのです。
そして神を愛する愛は、神の愛を知ることから生じるのです。
この神の愛は、イエス・キリストによって完全に顕されているのです。

牧師コラム 『復活の主イエスの旅行(たびゆき)』 2016年4月3日

IMG_8506  栗原 延元牧師

この絵を見て下さい。3名の人物が木立の中を歩いています。
真中の白い衣の人を二人の人が囲みながら道を進んでいます。
白衣の人物が右手を挙げながら両隣の人物に何かを説き明かしている様子です。
この絵はルカの福音書24章13~35節をもとに描かれた、
エマオ途上の復活の主イエスの旅行(たびゆき)です。

中央白衣の人物は復活の主イエス。
その両脇はイエスの弟子達で、一人の名はクレオパです。
彼らはイースターの日にエルサレムから11km余り離れた
エマオという村に行く途中でした。
道々彼らはエルサレムで起こった出来事について話し合ったり、
論じたりしていました。
そのうちにイエス自身が近づいて彼らと共に道を歩き始めたのです。
<しかし、彼らの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。>(ルカ24:16)

目がさえぎられるとは視力を失ってしまったことではありません。
死んだ人がよみがえる事はあり得ないという既成概念に捉われてしまっていたので、
イエスだとはわからなかったのでしょう。

11kmを徒歩では3、4時間はかかるでしょう。
この間、白衣の人物はモーセ及び全ての預言者から始めて、
聖書全体の中でイエスについて書いてある事柄を彼らに説明したのです。
この旅行の様子を描いたのがこの絵です。

サドカイ人は復活は無いと主張していました。
イエスの弟子達は既成概念に捉われていて、そばに復活の主イエスが
共に旅をしておられたのにもかかわらず復活のイエスを受け入れることは
できませんでした。
柔らかい心でイエスのことばを信じて歩みましょう

イースター礼拝 2016年4月3日

今年のイースターは3月27日でしたが、
石巻教会は、1週遅れの4月3日にイースター礼拝を
持ちました。

昨年と同じように、皆さんと昼食を共に食し、
仙台教会の土川夫妻によるピアノとクラリネットの
ミニコンサート、同じく仙台教会の森本姉による
お抹茶のお点前と、春の訪れと、イエス様の復活の
2つを喜び楽しむ時間となりました。

栗原牧師は、エマオに向かう2人の弟子に復活のイエス様が
現れ、道々話をしてくださったにも関わらず、食卓にて、
パンを割いてくださるまで、それがイエス様ご本人だと
は気づかなかった。
目の前に真実があったとしても、目が開かれなければ、
その真実が分からない。
私たちも、見るべきものをしっかりと見ていきましょうと、
力強いメッセージを語っていました。

石巻教会の礼拝も、もうすぐ80回となります。
愛の神様を伝える場所として、これからも地域に仕えて
いきたいと願っています。

彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って
祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。
すると、イエスは彼らには見えなくなった。
そこで、ふたりは話し合った。
「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、
私たちの心のうちに燃えていたではないか。」
ルカ24:30-32
(伊東綾)

 

ニュースレター 2016年3月(Vol.19)

震災から5年を迎えた石巻。
仮設住宅には空き部屋が大分目立つように
なってきました。

「復興」「自立」に向けて進もうとしている人々。
反面、まだ目途の立たない方もおられます。

改めて私たちに何ができるのか考えさせられます。

6年目に入る2016年も、「石巻のために 石巻とともに」と
いう願いとともに、歩んでいきたいと思います。

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牧師コラム 「大変な思い違い」 2016年3月27日

IMG_8506  栗原 延元牧師

本日はイースター・サンデー(復活祭聖日)です。
マルコ12章18~27節には、復活はないと主張していた
サドカイ人たちとイエスの問答が録されています。
その中で彼らの思い違いをイエスは指摘しています。
<聖書も神の力も知らない>ところから来ているのです。

まず彼らは聖書を知らないと言われます。
彼ら、サドカイ人たちは、旧約聖書の中のモーセ五書を
大変重んじていましたから聖書を知らないと言われる事は
心外だったでしょう。
イエスはモーセの書にある柴の箇所(出エジプト3:6)を読んだことが
ないのかと言われるのです。
そこには<わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である>と
神がモーセに語られたことばが書かれています。
サドカイ人たちは何度も読み、暗記していたことばでしょう。
しかし彼らはその本当の意味を知りませんでした。

イエスは<神は死人だ者の神ではありません。生きている者の神です>と
アブラハムもイサクもヤコブも神にあって生きている者であると語るのです。
イエスはことばで語るだけではなくて、死人の内よりよみがえり、
復活が事実であることを証しされたのです。(続く)

2016年3月11日 祈り~希望のコンサート~

○日時:2016年3月11日
○場所:石巻福音自由教会
○参加者:65名
○奉仕者:25名 (仙台教会23名 古川教会2名)
○311追悼記念コンサート

雪がちらつく朝、5年前の311を思い出しながら、石巻にむかいました。
石巻は見事に晴れて、感謝でした。
前の週に、広島教会の青年たちがチラシ配りをしてくださり、
お知らせのハガキも出してありましたので、手分けしてお迎えに行くと、
仮設の方々が、次々と集まって来られました。
出演者の長谷恵郁(いく)さんは石巻に高校生の時までおられたそうで、
親戚の方なども来られ、続々と人が集まってきて、65名にもなり、
仙台、古川からの奉仕者が25名、用意したお弁当などが足りなくなりましたが、
嬉しい悲鳴でした。

「ラルゴ」から始まり、讃美歌、「フットプリント」「故郷」、自作の「祈り」
「KIZUNA」。そして「花は咲く」など。
吉田先生のメッセージをはさんで、いろいろ歌ってくださり、最後に、従妹の
娘で、5歳の一花ちゃん(5年前の3月11日に誕生!)から、花束が贈られると
いう感動的な場面もありました。
演奏が終わってから、狭い会場になんとか、テーブルを入れて、
用意したお弁当などをみんなでいただきながら、楽しい交わりのひとときが与えられて、
ほんとうに感謝でした。                           (栗原督枝)

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5年目となった3月11日、石巻教会では、石巻出身のソプラノ歌手、長谷恵郁(はせいく)さん(日本基督教団 亀有教会会員)をお迎えして、「3.11祈り〜希望のコンサート」を開かせていただきました。

震災時、東京にいらした長谷妹は、お父様とはすぐ連絡が取れたものの、施設に入っていらして大丈夫だと思っていたおばあさまのことがわからず、何日も後 に、自衛隊の方に見つけていただいたのだそうです。葬儀は6月だったとのこと。
「あの時はそうだった。」と、集まられた皆さんも、それぞれの厳しい体験を
思っておられたようでした。
そしてあの日に生まれたいとこの娘さんの5歳の誕生日。
皆さんの温かな拍手がわきおこりました。
同じ痛みを持つ長谷姉妹に来ていた だいて、本当に良かったと思います。

65名の石巻の方が集われたコンサートの後、午後は祈りの時を持ち、
地震発生の時間には、黙祷を捧げました。
小学校で亡くなったお子さんをお持ちの方たちにとっては、
悲しみは消えることはありませんが、それでも生きて行く希望と強さを、
神様が与えてくださいますように祈ります。

帰りの車から、ある建物が見えました。
そこは、震災直後に大勢のお年を召した方たちが孤立していると聞いて、
皆様から送っていただいた物資を運んで、命をつなぐことができた場所です。
皆様のご支援があったからこそ、この5年間歩んで来られたのだと、改めて思いました。

これまでの熱心なご支援と篤いお祈りを、心から感謝申し上げます。
4月に高橋勝義(かつよし)、明美夫妻が伝道師として着任し、教会に住んで、
小まめに訪問等をさせていただきます。
もちろん栗原先生、督枝先生も続けてご奉仕してくださいます。
地は揺れ動いてもなお輝く、主の十字架のもとに、多くの方が集いますように、
お祈りをお願い致します。 感謝を込めて。              (赤羽由子)

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2016年3月3日 バイパス東仮設(第138回)

○日時:2016年3月3日
○場所:バイパス東仮設
○参加者:13名
○奉仕者:仙台教会 6名
○パッチワーク手提げポーチ

主の御名を賛美致します。
今回は、“パッチワークの手さげ”の3回目です。
途中細かい作業もありましたが、楽しくおしゃべりしながら
完成まであと一歩まで近づきました。
最後の仕上げは宿題となり、次回完成させて持ってきて下さるのが楽しみです。

チャペルタイムでは“Footprints”を一緒に賛美した後、
「あしあと」の詞を読ませていただきました。
皆さん、とても熱心に耳を傾けて下さいました。
教室が終わり、片付けをしていると、一人のご婦人が近寄って来られ、
「“背負っていたからだ”という一節に感動しました。」と、
わざわざおっしゃって下さいました。とても嬉しく思いました。

来月には仮設を出て、女川の復興住宅に移り住む方々もおられます。
どんな時にも、どこに行っても、共に歩み、また私たちを背負って下さる
とまで約束して下さる神様を更に深く知ることができますようにと祈りつつ、
石巻を後にしました。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13:5)
(吉田真知子)

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今回は、パッチワーク終了後に、皆さんと昼食を共にしました

牧師コラム 『カイザルへの税金』 2016年3月20日

IMG_8506  栗原 延元牧師

マルコの福音書12章17節に
<カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい>
と言われたイエスのことばが録されています。
このことばは、カイザルに税金を納めるべきなのか、
納めるべきでないのかを問われて言われました。
肯定的に答えればイエスは民衆に憎まれ、
否定的に言えばローマ人との問題を引き起こすことになります。

この時、イエスはデナリ銀貨(1日分の労賃)を持って来させて相手に尋ねるのです。
「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか」と。
彼らは「カイザルのです」と言った。
デナリ銀貨にはローマ皇帝カイザルの銘が刻印されています。
この銀貨が流通する所にカイザルの支配が及ぶのです。
貨幣の力の源がカイザルなのです。
税金(この場合は人頭税)を納めるべきかどうかの問題について
銀貨の発行元であるローマ皇帝のカイザルに返しなさいとイエスは言われ、
さらに大切なこと、<神のものは神に返しなさい>と命じられるのです。

イエスはご自分のいのちに代えて、私たちを死の滅びから救い出して下さったの
ですから自分のからだをもって神の栄光を現すことが求められているのです