牧師コラム 『ブドウ園のたとえ』 2016年3月13日

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マルコ12章はイエスの長いたとえ話です。
「過去のイスラエルの歴史をさかのぼり、
現在のイエスとイスラエルの指導者たちの争いを描き、
未来の結末を指向する」(グラハム・スィフト)のですから。

ぶどう園はイスラエルのシンボルでした。
旧約預言者イザヤは、万軍の主がいかに心を尽くし思いを込めて
イスラエルを形成されたかを、荒地を耕して、そこをぶどう畑にする
農夫の姿を描いて詩的に表現しています。

<さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。
そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。
わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。
彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、
その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを
待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった>(イザヤ5:1~2)

酸いぶどうとは、汚れ、争い、そねみ、偶像礼拝、酩酊など肉がもたらす行い
(ガラテヤ5:19~21)を指します。
一方、甘いぶどうとは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22~23)を生み出す御霊(みたま)の実を言うのです。
それらの実は、イエスを信じる者の中に実るのです(ヨハネ15:5)。

牧師コラム 『教会(エクレシア)とは』 2016年3月6日

IMG_8506  栗原 延元牧師

先週の礼拝後の交わりの中で、カトリック教会のことに話が広がりました。
そのきっかけは、ベトナムからの研修生が私たちの教会に来たことでした。
彼女は私たちの教会内にマリヤ像が置かれていないので、カトリック教会では
ないと知ったのです。

大きく分けてキリスト教には、私たちのようなプロテスタントとローマ・カトリックが
存在します。
その教会の見分け方は、マリヤ像が設置されているか、いないかでしょう。
私たちの教会の正面には説教壇が置かれ、十字架が背面と壇の前に
取り付けられているだけです。
その十字架を礼拝の対象として手を合わせることはしません。
私たちの信仰は、使徒信条に表明されています。

教会とは、新約聖書のギリシャ語「エクレシア」の訳語です。
ギリシャの都市国家が市長を呼び集めるために鐘を鳴らし、
集まった人々をエクレシアと呼びました。
キリスト教会とは、イエスをキリストと信じる共同体です。
イエスは、「2人でも3人でもわが名によって集う人々の中に居る」と語られました。
イエスを信じ、求めて集う中にイエスは共に居てくださるのです。
それが聖なる公同の教会なのです。

広島教会 青年ボランティアチーム

2016年3月3日~6日まで、広島福音自由教会の
北野献慈牧師と青年たち3名が、石巻を訪問し、
牡蠣の種つけ作業や3月11日の追悼記念集会の
チラシ配布、6日の礼拝では、青年たちの証しと
北野牧師は礼拝のメッセージを担当してくださいました。

慣れない漁業の作業、土地勘のない地域でのチラシ配布など
困難も覚えたようですが、普段何気なく口にしている食べ物が
どのようにして食卓に上るのか、チラシ配布をしながら、
地域の方々と会話をして(「あの教会ねぇ~。行ったことあるよ!」など)、
石巻教会の存在が浸透してきていることを感じたようです。

震災から5年を経過した東北ですが、
このようにして、私たちを覚え、祈り、足を運んでくださる
方がいることを感謝します。

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2016年2月25日 万石浦仮設支援(第137回)

○日時:2016年2月25日
○場所:万石浦仮設住宅
○参加者:12名
○奉仕者:7名(仙台教会)
○内容 :歌、新聞棒たたき、ビデオ「新島譲」、メッセージ、昼食、福引き

寒いけど、晴天!
前日に用意された放送設備やプレゼントなどと共に、いざ、出発!
到着後、用具などの準備とお迎えに分かれて奉仕につく。
ふと、気が付くと、ふすまの陰にだれかがいる。
あ、やっぱり。ユーモアたっぷりの笑顔がのぞいた。
いつも礼拝に出席しているHさんでした。
一緒に会場の準備をする。二人、三人と、ぼつぼつ人が集まる。
会長さんはじめ、顔なじみの方たち。

集会は、真知子姉のリードで、歌やクイズなど、笑顔こぼれるひととき。
今日のトピックは、ビデオ「新島譲」 大河ドラマ「八重の桜」でよく知られた新島八重さんの
ご主人の一代記。
密航でアメリカに渡り、クリスチャンとなり、帰国し、キリストの福音を伝えるために
生涯を捧げた器。
京都の同志社を設立し、学生をイエス・キリストに導く礎石となった。
このテーマは、同志社で、KGK(大学生伝道)の働きをとおしてクリスチャンとなり、
奉仕者となった栗原牧師にとって、永遠のテーマ。

聞きながら、懐かしさが伝わってくる。
この福音が、集まっている仮設の方たちの心に届きますようにと祈る。

お昼は、お弁当をいただきながら、私のお隣に座っていた婦人が
Hさんの奥さんだと知り、感謝。
94歳のおじいちゃんは、家でテレビを見ながらいつも横になっているとのこと。
いつか、訪問してあげられたら、と思う。

最後のビンゴの福引。楽しい歓声とため息の後に、さようなら。
仮設の住人はおよそ半減しているらしいが、まだ行き先が決まらない方も多い中、
支援の必要と寄り添う助けの大切さを感じられた一日でした。(栗原督枝)

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2016年2月18日 バイパス東仮設(第136回)

○日時:2016年2月18日
○場所:バイパス東仮設
○参加者:14名
○奉仕者:仙台教会8名
○内容:パッチワークの手提げポーチ

今回はお昼からの教室。仮設の方が雪を心配して午後に時間を変更してくださいました。
前の日はやはり雪が降り、朝、道路は凍結していましたのでお心遣いにとても感謝しました。仙台からの奉仕者も、ワゴン車満席の8名で伺うことができました。

1月から始めた「パッチワークの手提げポーチ」の第2回目です。
みなさん宿題をやってきて下さいましたので、今日の作業も順調に進みました。
だいぶ形が出来てきてあと一回の教室で完成となります。
前回休んでおられたSさん(最高齢で90歳)もお元気そうに参加してくださいました。

これからのことについても、近々、仮設を出て復興住宅に移り住む方が
ここまで通ってくると仰っていますので、できるだけ続けていくことになりました。
チャペル・タイムでは「明日をまもられるイエス様」を賛美してから「日野原重明さん」のお話をしました。
命の危険を感じた時、小さい時から学んできた聖書の一節が支えとなって落ち着きを
取り戻したこと、み言葉には読む人に生きる力や希望を与えてくれる力があるとお話しました。
皆さん、大きな声で一緒に賛美をしてくださり、また、真剣に話しに耳を傾けてくださいました。

震災から一年後の2012年5月。
まだショックの癒えない時、米国人宣教師夫妻と蕨福音自由教会のボランテイアの兄姉が
この仮設を訪ねてくださったのが始まりです。
それから四年。
初めは信仰の話もままならない状況でした。
きっととりなしの祈りがたくさん積まれて来た事でしょう。
集まってくださる方々の心は開かれて、今では自由に神様のことをお話できるように
なりました。
背後で祈りつづけて下さっている兄姉の心から感謝いたします。

「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。

(吉田真知子)

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牧師コラム 『主イエスの権威』 2016年2月28日

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このコラムを書くにあたり国語辞典(新明解)の「権威」の項目を読みました。
それによりますと、権威とは『ずば抜けた実力や、
すぐれた判断力の累積によって支えられた、
他を威圧し追随せしめる人がただよわせる雰囲気』と説明してありました。

まさにイエスの教えを聞いた人々は、そこにある種の権威を感じて
驚いたのです(マルコ1:22)。
このイエスの権威について、エルサレムの神殿の中で指導者たちは、
わざわざイエスのところにやって来て
<何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。
だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。>(マルコ11:28)
と質問するのです。

このように質問する彼らの意図は明らかでした。
だれからも、何の権威も与えられていないのに
「イエスよ。お前は好き勝手なことをするな」ということでした。
彼らの悪意を見て取ったイエスは、バプテスマのヨハネについて指導者たちに
問うのですが、彼らは自分たちの立場が悪くなるのを恐れてイエスの問いに
答えないのです。
彼らは自ら進んで善悪を判断しないのです。
本当の権威は「愛」を源泉とすることに気づかなかったからです。

牧師コラム 『信じること 祈ること』 2016年2月21日

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信じること、祈ることは人間特有の精神行動のようです。
その方向性を誤まらせている原因が罪です。
すこし堅苦しい書き方で始めてしまいましたが、
「何を信じ、何に祈るか」が人間のあり方を決めてしまうようです。

福音書は、そこに光を当てているのです。
何を信じ何に祈るかと言えば、それは「神」なのです。
聖書がいっている神と日本の八百万の神とは根本から違います。
八百万の神は被造物ですが、聖書の神は創造者です。
マルコ11章22節でイエスが言われた<神を信じなさい>の神とは
創造者なる神です。
そしてイエスはヨハネ福音書14章1節でその神とご自分を指して
<神を信じ、また、わたしを信じなさい>とも弟子たちに語っているのです。

また同じ文脈の中で、祈るときには、まず私たちの人間関係の中で
<だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。>
(マルコ11:25)とイエスは語ります。
恨みを赦すことは中々できないことです。
しかし神に祈るならば、その恨み事を赦すことができるようになるのです。
神にこの祈りをするなら、神を身近に感じるのです。天の父なるお方を。

2016年1月29日 垂水仮設支援(第135回)

○日時:2016年1月29日
○場所:垂水仮設住宅
○参加者:5名
○奉仕者:8名(仙台教会7名、古川教会1名)
○内容:折り紙(こま)、体操、歌、お話し、アイスブレーク、くじ引き(福袋提供)

朝パラパラと小雪が舞い散る中、教会を出発。
途中寄り道をして垂水の集会所に到着しました。
そこには5名の方々が待っておられ笑顔で迎えて下さいました。
先ず、手指の運動をしてから、3色の折り紙を選び一斉にスタートをしました。
皆様、和気あいあいの中、自分の作品が出来上がりこま廻しをして楽しみました。
(一人2ヶずつ)。

その後、首、肩、腰、転倒予防の足の運動、「もしもしかめよ」の歌から
栗原先生のお話が始まりました。

内容はうさぎはカメを目標として走り、カメはゴールを目がけて走りました。
では、私たちは何を目標に平安で生きていけるのかの問いに、おひとりおひとり熱心に
耳を傾けでいる姿に、私はこの方々の心にメッセージが刻みこまれますようにとお祈り
していました。
そして、昼食、アイスブレーク、くじ引きと進められました。
交わりの中で、仮設住宅に入ってきて、未知の人から、「お友だちになってください」と
言われたと、ひとりのご婦人がポツリポツリと被災時の体験を話されている声に私は
胸が熱くなりました。神様の御手の中におかれますようにとただ祈るだけでした。

帰り際に皆さんから「また来て教えて下さいね!」と言われ、再来を約束して
家路に向かいました。(大橋トミ子)

主の御名を賛美いたします。
渡波垂水仮設には毎週金曜日に数名が集って「お茶っこ(お茶飲み会)」している
ところにお邪魔するかたちで支援を行っています。
この日のために、2~3週間前から皆さんが楽しんで喜んで集えるような集会となりますように
と祈りながら準備してきました。
今回も、姉妹方の賜物が用いられ「やさしく、楽しい折り紙教室」という内容で
皆さんの好きな色紙で独楽(こま)を作っていただきました。
又、事前に仮設の方や復興公営住宅に引っ越された方、近くに家を建てられた方々にも
ハガキや電話で集会の案内をしました。
集会が始まると同時に私と夫(運転手として)が復興住宅でお一人暮らしの
Tさん(77才女性)にお土産を沢山持って訪問させていただきました。
Tさんは、ほとんど家に居てテレビを見ながら過ごしておられるようで、
私たちの訪問をとても喜んで迎えて下さいました。
なんとなく、体調や年末年始の過ごし方などのお話しを聞いたりして、
短い交わりでしたが、『又、来ますネ。』と約束して、いつものようにハグしてから、
集会所に戻りました。
集会所では、皆さんおしゃべりの花が咲き、お一人、お一人に神様の愛が注がれて
心からの笑顔が見られました。
それは、奉仕者にとって何よりの励ましとなっています。
小さな支援、短い交わりではありますが、あらためて支援の継続をと思わされました。
今年もみなさまの熱い祈りなくては、奉仕者一人一人が聖霊に満たされて前進することが
できません。どうぞ引き続きお祈りくださいますよう、宜しくお願い申しあげます。(深澤まり子)

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2016年1月28日 バイパス東仮設支援(第134回)

○日時:2016年1月28日(木)
○場所:バイパス東仮設
○参加者:名
○奉仕者:7名(仙台教会)
○奉仕内容:ポーチ作り

8時15分に教会に集合、総勢7名で元気に石巻へと出発しました。
いつも通り三陸自動車道に乗りましたが、今回はいつもの石巻河南インターではなく、
次の石巻女川インターから降り、東仮設に向かいました。
このインターは昨年秋に出来たもので、石巻日赤病院のすぐそばにあります。
インターを降りてから東仮設を通って女川までの道路は、現在工事中で、
ダンプカーが何台も行き交っていました。

さて今回の作品は、昨年9~11月の教室で作成したスモッキングバッグの
残り布を使ったポーチです。
スモッキングバッグは11種類の模様の異なった生地を使いましたので、
14~15名の仮設の方々はほとんどの方が違う柄の生地で作りました。
今回はそれらの生地を5㎝四方に切ったものをつなぎ合わせ、
レースビーズなどで飾りながら作ります。
現在は東仮設に住んでいらっしゃる皆さんが、今後違う場所に移り住んだ時に
「この生地はAさん、こちらの生地はBさん・・・」と思い出していただけたら・・・
との思いが込められています。
作業の内容が充実していたので、いつもより少し遅れたティータイム。
そして仲田先生の紙芝居の時間です。
仲田先生自ら作成された紙芝居はヨハネ5:2~のベテスタの池の箇所です。
ちょうど、その日の朝のテレビで巣鴨にある赤い下着ばかり売っているお店で、
今年は猿(災いが去る?)の絵柄のついた物がよく売れている・・・というのを見て出かけた
私は、池に飛び込むことよりも、赤い下着を買うことよりも、全てをご存知の神様に頼ることが大切なことだと改めて感じました。
仮設の集会所は静まり返り、皆さんは聞き入っていらしたようでした。(藤原照子)

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」(詩篇139:1~2)

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牧師コラム 『わたしの家はすべての民の祈りの家』 2016年2月14日

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いちじくの木は、ユダヤ民族の象徴です。
自分が栽培しているいちじくの木の下にすわる事は
イスラエルの平和と繁栄を示すことであったと
聖書辞典(いのちのことば社)は記しています。

今日の聖書箇所は一読しますと、イエスの行動が腑に落ちないようにみえます。
いちじくのなる季節ではなかったのに、葉が茂っているばかりで実がないので、
そのいちじくの木を枯らしてしまうのですから。

<今後いつまでもだれもおまえの実を食べることのないように>(マルコ11:14)と
その木に言うのです。

これはイエスが人間以外の対象物において現された唯一の審判の奇跡です。
エルサレムのユダヤ教の指導者たちは、職業的宗教という葉を繁栄させていました。
しかし、彼らは義の実を結んではいません。彼らの活動の中心であるエルサレムの神殿は
利権、利得がとびかう市場と化していました。
強盗の巣とイエスは嫌悪しました。
イエスは宮を本来の姿に戻そうとしたのです。
そして言われたのです。
≪わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。≫(マルコ11:17)