牧師コラム 『ブドウ園のたとえ』 2016年3月13日

IMG_8506  栗原 延元牧師

マルコ12章はイエスの長いたとえ話です。
「過去のイスラエルの歴史をさかのぼり、
現在のイエスとイスラエルの指導者たちの争いを描き、
未来の結末を指向する」(グラハム・スィフト)のですから。

ぶどう園はイスラエルのシンボルでした。
旧約預言者イザヤは、万軍の主がいかに心を尽くし思いを込めて
イスラエルを形成されたかを、荒地を耕して、そこをぶどう畑にする
農夫の姿を描いて詩的に表現しています。

<さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。
そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。
わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。
彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、
その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを
待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった>(イザヤ5:1~2)

酸いぶどうとは、汚れ、争い、そねみ、偶像礼拝、酩酊など肉がもたらす行い
(ガラテヤ5:19~21)を指します。
一方、甘いぶどうとは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22~23)を生み出す御霊(みたま)の実を言うのです。
それらの実は、イエスを信じる者の中に実るのです(ヨハネ15:5)。