ニュースレター2017年3月 VOl.25

各地から、桜の開花が届いています。
東北でも、少しづつ薄桃色の花が、道沿いを彩っています。
先月は、6度目の3月11日でした。
被災した各地域では、それぞれの形で、追悼式が行われ、
6年前の「あの日」が思い出されます。
忘れてはならない時として、これからも被災地の方々に
寄り添い続けていくことを改めて実感しました。

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2017年2月2日 バイパス東仮設支援(第158回)

・日時:2017年2月2日
・場所:バイパス東仮設
・参加者:12人
・奉仕者:8人(仙台教会6人、石巻教会2名)

朝窓から見ると雪でした。昨日から降った雪と強い風もともなって、
まるで吹雪のようでした。早速石巻教会に連絡して見ると問題ない
ということで予定通り行なうことにしました。
いつもより出発時間を遅らせ、少しスピードダウンして三陸道を走りました。
仙台を出ると間もなく雪は止み高速道路も凍結の心配もなく時間通り
着くことができました。何の問題もなく行く事ができたので、
むしろ拍子ぬけしてしまいました。お守り下さった神様に心から感謝致します。

今日は「クッション・カバー」を作りました。
スーちゃんがプリントしてある生地にキルティングして行きます。
引っ越された新しい家にピッタリのものです。

チャペル・タイムでは賛美の後、この日曜日に石巻教会の牧師に
就任されたばかりの高橋先生に「救いの証し」をして頂きました。
とても心に響くすばらしいお証しでした。
聞いてくださっていた参加者の方々も真剣に耳を傾けてくださいました。
この方々が教室が終わってからも石巻教会に繋がって頂きたいと切に願っています。

いよいよ来月で最終回となります。
参加者の方々からは「これで終わってしまうのは寂しい・・・。
続けてほしい」との声を頂いています。
本当に感謝なことです。
ふさわしい形で継続して行ける様に祈って行きたいと思います。

今日も守り導いて下さった神様に心から感謝致します。
そして今日のために祈りご支援下さった全国の兄姉に感謝致します。
神様の祝福が豊かにありますように。         (吉田真知子)

 

 

 

 

牧師コラム 『わたしの愛する子』 2017年2月19日

高橋 勝義 牧師


2月14日は、「バレンタインデー」でした。
「女性から男性に、愛を込めてチョコレートを贈る」という
「日本型バレンタインデー」は、40年位前から広まったようです。
今は、愛の告白チョコ、義理チョコ、仲の良い友達に贈る友チョコ、
自分へのご褒美チョコなどがあるようです。

ところで、神も私たちに素晴らしいプレゼントを用意してくださいました。
神は、イエス・キリストが、バプテスマを受けた時、
『あなたは(イエス・キリスト)、わたし(神)の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』
(ルカ3:22)
と語られましたが、私たちがまだ罪人であった時、その愛するひとり子
イエス・キリストをこの世に送られたのです。

それは、私たち人間のすべての罪の肩代わりをさせるためでした。
そして、罪のないキリストは、十字架で死なれ、三日目によみがえられました。
すべては、私たちを罪から救うため、私たちを心から愛しているからでした。
これが、神からの素晴らしい「愛のプレゼント」なのです。
ですから、十字架には、私たちに対する〔神の愛〕がいっぱい詰まっています。
あなたも神の愛を受け取り、この素晴らしい救いの恵みをいただいて、
神の愛の中に日々生きる道を選びませんか?

牧師コラム 『悔い改めの実』 2017年2月12日

高橋 勝義 牧師


収穫を迎えた時、苦労して育て来た農家や漁業の人たちには、
言葉に表せない喜びがこみ上げてくるのではないでしょうか…。
農業や漁業に限らず、人は、何かを成し遂げるために、日々努力を重ねます。
そして、その実を見る時、喜びと共に充実感・満足感・達成感に満たされ、
生きていて本当に良かったと思うことでしょう。

バプテスマのヨハネという人は、創造主を神と信じているイスラエル人に向かって、
『悔い改めにふさわしい実を結びなさい』(ルカ3:8)と命じました。
なぜ、このように命じたのか。
それは、人々が、「自分たちの祖先であるアブラハムの立派な信仰」にあぐらを
かいていたからです。
アブラハムの信仰で、自分も救われると考え、
神の教えを無視して歩んでいたのです。
そこで、バプテスマのヨハネは、人々に罪の悔い改めを迫ったのです。
罪の悔い改めとは、自分が神から離れた歩みをしていることを認めて、
神の教えに聞き従う決心をすることです。神の教えとは、聖書の言葉です。

この悔い改めの歩みをする者は、「御子のかたち」(ローマ8:29)、
すなわち、イエス・キリストに似る者に変えられていくのです。
イエス・キリストが、人々を愛されたように、キリストの愛を届ける人に
変えられるのです。これが、悔い改めの実です。

牧師コラム 『イエス・キリストとの出会い』 2017年2月5日

高橋 明美姉

 

私の兄には脊髄損傷障害があり、母はおしめの洗濯が日課でした。
兄さえいなければ…と考える私。それをごまかすために良い子を装う偽善者の私。
両親がいなくなった後、誰を頼ればよいのだろうか、誰が私を守ってくれるだろうか
と将来への不安を抱えていた26歳の冬、教会の英会話教室に通い始めました。

そんなある日、家に帰ろうとする私に宣教師の先生が笑顔で「道ありき」という
一冊の本を貸して下さったのです。それは、作家三浦綾子の信仰のあかし書でした。

それまでの私は、キリスト教の神イエス・キリストも八百万の神の一つと
思っていましたが、そこには「真の神は唯一でイエス・キリストである」と記されてありました。

ほどなく、イエス・キリストの十字架の話を聞き、兄の存在を消した罪が
赦されるのなら信じてみようと祈りました。
更に帰宅後、満天の星空を仰ぎ思いました。

「神様は『いる』か『いない』かのどちらか一つだ、よし!」

清水の舞台から飛び降りる覚悟で
「神様、もし本当におられるのでしたら私の心を変えて下さい。
私はあなたが『いる』と信じます。」と祈りました。

あの夜からイエス様が私の頼れるお方、守って下さるお方になって下さったのです。

『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ29:11)

 

2017年1月26日 サフランの会(第157回)

日時:2017年1月28日
場所:石巻福音自由教会
参加者:7名
奉仕者:9名(仙台教会7名、石巻教会2名)

今朝は少し寒さが緩んで小春日よりの中、石巻に向かいました。
この時期、道路が凍結していないことが一番嬉しく天候を守ってくださった
神様に感謝しながら車を走らせました。

時間になると、北部第一仮設の方々が元気に集まって来られました。
すぐに打ち解けておしゃべりに花が咲きます。
話題は復興住宅のことが中心です。
やっと抽選に当たり行き先が決まったものの、いろいろな問題も抱えておられるようです。
何も出来ない私たちですが、少しでも重荷を下ろしていただきたいとお話しに
じっと耳を傾けるようにしています。

続いて、元気に4曲ほど歌を歌って、体操、そして庄司姉の救いの証しを聞いて頂きました。
手作り紙芝居を使ってのお話に皆さん、熱心に耳を傾けていてくださっていました。
その後、高橋先生が御言葉からショートメッセージを語ってくださいました。

「すべて疲れた人重荷を負っている人は私のところに来なさい。私があなた方を休ませて上げます。」 (マタイ11:28)

御言葉が聞く方々の心に残り、神様を求める心を起こさせてくださいますように。
その後、昼食を共にして、また、再びおしゃべりに花を咲かせる私たちでした。 
今日もサフランの会を神様が祝福してくださったことを心より感謝致します。
またご支援下さりお祈り下さっている諸教会の兄弟姉妹に心より感謝申し上げます。
                                               (吉田真知子)

 

 

 

2017年1月19日 バイパス東仮設支援(第156回)

日時:2017年1月19日
場所:バイパス東仮設
参加者:8人
奉仕者:7人(仙台5人、石巻2人)

穏やかなお天気の朝。
私たちが到着すると、石巻稲井の仮設の集会所には、
もうすでにほとんどの方が集っておられました。
仮設を出て女川に再建した自宅や公営の復興住宅から、
皆さん車に乗り合わせて集ってくださっていました。
でも、お休みの方も何人かいました。
やはり女川から来るのは少しハードルが高いようです。
集った方々の中には、高齢のため運転免許証を返納した方もいて、
人に乗せてもらうのは心苦しいと何度も繰り返し仰っていました。
新しい生活がやっと始まったものの、ひとり暮らしで、
車のない高齢者の方々の生活はどんなに不自由で、また寂しいことかと胸が痛みました。

今日のクラフトは「布のコサージュ」。
リボンと同色のオーガンジーを重ねて縫い、花芯にビーズを縫い付けて仕上げて行きます。
とても上品な「コサージュ」が出来上がりました。
次々と満足そうな笑顔で恒例の記念撮影となりました。

チャペル・タイムでは、宮沢賢治「雨にも負けず」のモデルとなった
岩手県花巻出身の斉藤宗次郎の信仰から語りました。
厳しい迫害の中でも、村の人々のために祈り、愛の行いをし続ける宗次郎。
その宗次郎が郷里を離れることになった時、駅にはたくさんの見送りの人々が
集りました。
その群集の中に宮沢賢治がいたのです。
賢治は彼の生き方に感銘を受けて、「雨にも負けず」の詩を書いたといわれています。
なぜ宗次郎は激しい迫害に会ってもくじけないで愛の業に励むことができたのか、
その力はどこから来たのか・・・。
十字架で命まで捨てて自分を愛してくださった主イエス様を信じることによるのだ
ということを知っていただきたいと願ってお話させていただきました。

約5年間続いたこのクラフト教室も、あと2回で終了となります。
この方々が何とか石巻教会に、そして神様に繋がって欲しいと切望しています。
主がこの祈りを聞き届けてくださいますように。
帰りには、女川に足を延ばして、女川駅前にできた「シーパルピア女川」で、
お店を出している『恵みプロジェクト』の店舗を訪問しました。
久し振りのギルバード宣教師との交わりも感謝します。

これまで守ってくださった神様に、そしてお祈り下さりご支援くださった
全国の兄姉に心から感謝申し上げます。神様の祝福が豊かに注がれますように。
                                        (吉田真知子)

 

 

 

牧師コラム 『イエス・キリストとの出会い』 2017年1月29日

髙橋 勝義 牧師

私は、福島県喜多方市の生まれです。山と川を駆け回る子どもでした。
父の転勤により、小学六年生の時、埼玉県の大宮市(現在のさいたま市)に引っ越しました。
高校三年生の時、友人から教会に来ないかと誘われ、地図を渡され、その地図を頼りに
一時間ほど教会を捜したのですが見つかりませんでした。
やっと、見つけ、中に入ってみると、高校生の集会は、ほとんど終わっていました。
それでも、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」のことわざがありますが、
人生の目的を求めていた私は、毎週土曜日の高校生の集会に通い聖書を学びました。
私は、小さい頃から、親に頼ることが出来なかったので、何事も自分で決めなければならず、
両親を尊敬できませんでした。

聖書の『あなたの父と母を敬え』(出エジプト20:13)

のことば(まさか、これが【罪】だとは思いもよらなかったのですが…)に心刺され、
自分が罪人であることが分かりました。

当時私は、体育委員長をしており、体育祭の準備をしていたのですが、
委員会が相次いで流会になるという現状を見て、無関心な委員たちに怒りを覚え、
人間不信に陥りました。体育祭を中止しようと決めたその夜、神様は、
夢の中で『日本には多くの罪人がいる』と語られ、〔人々が炎の輪の中で苦しんでいるさま〕を
見せられたのです。

その時、私も炎の輪の中にいる罪人であること、キリストの十字架以外に
救いはないことがはっきり分かりました。
夢から覚めた後、この私の罪のために神のひとり子イエス・キリストが十字架で死んで
下さった事を受け取り、「信じます」と祈りました。
そして、主の導きにより、今、この石巻の地に救い主イエス・キリストをお知らせする為に
来させて頂きました。