高橋 明美姉 |
私の兄には脊髄損傷障害があり、母はおしめの洗濯が日課でした。
兄さえいなければ…と考える私。それをごまかすために良い子を装う偽善者の私。
両親がいなくなった後、誰を頼ればよいのだろうか、誰が私を守ってくれるだろうか
と将来への不安を抱えていた26歳の冬、教会の英会話教室に通い始めました。
そんなある日、家に帰ろうとする私に宣教師の先生が笑顔で「道ありき」という
一冊の本を貸して下さったのです。それは、作家三浦綾子の信仰のあかし書でした。
それまでの私は、キリスト教の神イエス・キリストも八百万の神の一つと
思っていましたが、そこには「真の神は唯一でイエス・キリストである」と記されてありました。
ほどなく、イエス・キリストの十字架の話を聞き、兄の存在を消した罪が
赦されるのなら信じてみようと祈りました。
更に帰宅後、満天の星空を仰ぎ思いました。
「神様は『いる』か『いない』かのどちらか一つだ、よし!」
清水の舞台から飛び降りる覚悟で
「神様、もし本当におられるのでしたら私の心を変えて下さい。
私はあなたが『いる』と信じます。」と祈りました。
あの夜からイエス様が私の頼れるお方、守って下さるお方になって下さったのです。
『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ29:11)