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信じること、祈ることは人間特有の精神行動のようです。
その方向性を誤まらせている原因が罪です。
すこし堅苦しい書き方で始めてしまいましたが、
「何を信じ、何に祈るか」が人間のあり方を決めてしまうようです。
福音書は、そこに光を当てているのです。
何を信じ何に祈るかと言えば、それは「神」なのです。
聖書がいっている神と日本の八百万の神とは根本から違います。
八百万の神は被造物ですが、聖書の神は創造者です。
マルコ11章22節でイエスが言われた<神を信じなさい>の神とは
創造者なる神です。
そしてイエスはヨハネ福音書14章1節でその神とご自分を指して
<神を信じ、また、わたしを信じなさい>とも弟子たちに語っているのです。
また同じ文脈の中で、祈るときには、まず私たちの人間関係の中で
<だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。>
(マルコ11:25)とイエスは語ります。
恨みを赦すことは中々できないことです。
しかし神に祈るならば、その恨み事を赦すことができるようになるのです。
神にこの祈りをするなら、神を身近に感じるのです。天の父なるお方を。