牧師コラム 『ルカの福音書の始まり』 2016年10月30日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

私たちは、歴史の目撃者たちが書き残した書物によって、
過去に何があったのかを知ることが出来ます。
しかし、勝者によって残された書物は、自分に不利なことを書かせないので、
正確ではありません。
だから、歴史は、あらゆる角度から検証する必要があります。

さて、ルカが、テオピロという人に送ろうとしている書物は、
すでに多くの人々に確信されている出来事」であり、
ルカ自身も綿密に調べているので、正確な事実であることを
分かって欲しいと語りました。
その書物が、「ルカの福音書」です。
ルカが、綿密に調べた事とは一体何か?
それは、ユダヤの国で起こった出来事です。
イエス・キリストというお方が、ゴルゴダの丘で十字架にかけられ、
死に、さらに三日目によみがえった出来事です。
なぜ、これが、それほどに重要なのか?
それは、

キリストが、神様に背を向け、逆らい続けてきた人間の罪を
身代わりに負って死なれたからです。この十字架は、神様の愛です。
この事実を受け取り、イエス様を信じる時、人はさばきに会わず、
永遠のいのちが与えられるという良き知らせです。

ルカが書き残した福音書(良き知らせ)から、イエス・キリストと共に
生きる新しい生き方を教えられていきましょう。

牧師コラム 『死からいのちへ』 2016年10月23日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

共同生活をしようとするならば、共通のルールが必要になります。
なぜなら、自分の考えや価値観を互いに主張し合えば、社会が成り立たなくなるからです。
ルールを破った時に行われる謝罪会見では、必ず、「世間を騒がせ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言って、深々と頭を下げます。
でも、これが本当に謝罪でしょうか?
ただ、世間を騒がせ、迷惑をかけたことへのお詫びにしか聞こえません。
破ったルール、罪に対する心からの悔い改めがないのです。

イエス・キリストは、

「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、
あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ8:24)

と語られました。罪とは、神様から離れ、自分中心の歩みをすることです。
罪によってもたらされるものは、
憎しみ・恨み・妬み・貪欲・欺き・高ぶり・盗み・悪い考えなどです。
生まれながらの人は、自分の罪の中にいるのです。
このような歩みに希望は、あるでしょうか?

イエス・キリストは、私たちのこの罪を身代わりに負って、十字架の上で死なれました。
十字架には、神様の赦しと愛が表されています。
神様の赦しと愛が分かる時、人は、本当の希望を見出すのです。
罪の中で死ぬ歩みから、赦しと愛の歩みを求めてみませんか?

牧師コラム 『良い牧者』 2016年10月16日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

イエス・キリストは、「わたしは良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)と語りました。
羊飼いは、羊を獣や盗人から守るために寝ずの番をします。
夏ならまだしも、冬の寒さはとても厳しく、命を落とすことさえあります。
羊飼いの仕事は、命がけです。
羊は、羊飼いにとって財産ですから、羊のために命をかけるのは
当たり前なのかもしれません。

聖書は、人間を“”にたとえています。
羊は、導く者がいないと、すぐに迷子になり、命の危険にさらされてしまいます。
同様に、人間も導き助ける人が必要です。
しかし、多くの人は、自分の力で歩んでいます。
その先にある滅びさえ知らずにいるのです。
滅びに至る道とは、私たち人間を創造された神に従わず歩む道のことです。

イエス・キリストは、このような歩みをしている私たちのためにいのちを捨て、
神様と共に歩む道へと導いて下さったのです。
それが、十字架です。十字架は、私たちを滅びに至る道から救い出し、
いのちの道へと導きます。
この道を求めてみませんか?

開設2周年記念コンサート ~竹下静さんを迎えて~

開設2周年を迎えた10月9日、記念礼拝に仙台教会から聖歌隊が駆けつけ、
一緒にお祝いしました。
教会がなかった渡波地区に、神様が教会を置いてくださり、
共に神様を賛美する兄姉を与えてくださっていることを、心から感謝します。

10日は、ゴスペル歌手の竹下静さんをお迎えして記念のコンサートです。
竹下さんは、仙台で生まれて、中学3年と高校時代を石巻で過ごした方です。
震災の後、故郷の方たちのために歌うことで力になれたらと願い、
以来仮設住宅に何度も足を運ばれました。演歌が喜ばれることや、
「花は咲く」のリクエストがあったことから、レパートリーを増やして、
被災された方たちの心に寄り添う音楽活動を続けて来られました。
最後に歌ってくださった「アメイジング グレイス」は、圧巻という他ありません。

高橋師によるショートメッセージの後、茶菓をいただきながら色々なお話を伺いました。
復興住宅にようやく当たった3人の方は、来年春の引越しが決まって、
本当にホッとしているとのこと。一緒に喜べるのは嬉しいことです。
また、夏に来てくださった川越教会のS夫妻と手紙のやり取りをしている方は、
今日のコンサートのことを早速報告すると言ってくださいました。
一度は文字通り全てを失った方たち、キリスト教の「キ」の字も知らなかった方たちが、
64名集われて、共に「主 我を愛す」と歌い、未来に期待して、笑い合うとは、
なんと素敵なことでしょう。
ここまで守り導いてくださった主に、深く感謝致します。
お祈りをありがとうございました。

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牧師コラム 『主は私の羊飼い』 2016年10月9日

IMG_8506 栗原 延元 牧師

2年前(2014年)の10月第2日曜日からここで礼拝を始めました。
今日(10月9日)で満2年を過ぎ、3年目に入ります。
周囲の皆さんのご理解を得て歩めますことを主に感謝しております。
また今年、4月より高橋夫妻が仙台より移住しました。
お寺のお坊さんは住職と呼ばれます。
住職とは字のごとく、そこに住むこと自体が職業なのでしょう。
ですから高橋夫妻はキリスト教会の住職でもあります。
今後とも、よろしくお願いします。

今日は、詩篇23を学びます。この詩は

〈主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、憩いの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために義の道に導かれます。
たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません。
あなたが私と共におられますから…〉

と信仰者の人生の中で神の導き、神の支えの豊かさ、確かさを証ししています。
神の守りの確かさは、死の陰の谷の中でいよいよ明らかになります。
それはこの作者が神を〈あなた〉と呼ぶ中に表されているのです。

〈あなたが私と共におられます〉

これこそが神への信仰に生きる者の告白です。

牧師コラム 『ゲツセマネの祈り』 2016年10月2日

IMG_8506 栗原 延元 牧師

聖書は創造主なる神からの手紙ともいえるものです。
手紙にはそれを書いた人の思いが表されています。
人の心の思いが正直に表されるのが、祈りのことばです。

今日学びますマルコの福音書14章32~42節は、
ゲッセマネの祈りと言われ、苦難を前にしたイエスの心情が描かれています。
その祈りとは、父なる神を、親しさを込めて「アバ、父よ」と呼び、

「あなたにおできにならないことはありません。
どうぞ、この杯をわたしから取り除けてください。
しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください。」
と祈るのです。

この杯とは、十字架にはりつけになることです。
イエスには、何の落ち度も罪もありません。
しかし、十字架刑を受けなければならないのです。
前途に控えるこの苦難を前に、ゲッセマネの園で、
イエスは深く恐れ、もだえ始めたのです。

正しい人、義なる人が罰せられる不合理、理不尽と言える中で、
イエスは「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください」と祈り、
受難の杯を受け入れます。
それは〈民の罪の為になだめがなされるため〉(ヘブル2:17)でした。
この死によってこそ、人は救われるのです。

 

牧師コラム 『あなたは高価で尊い』 2016年9月25日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

私たちは、大なり小なり人の目を気にしながら歩んでいます。
それ故、心が休まりません。自分が高く評価されればうれしく、元気になります。
反対に、見下されると、生きる気力さえ失ってしまいます。

ところが、神様は、ありのままのあなたをすべて受け入れた上で、

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしは、あなたを愛している。」(イザヤ43:4)

と語っておられます。これが神様のあなたへの評価です。
無条件なので、学歴や家柄、才能や容姿などには全く左右されません。
あなたは、ダイヤモンドよりもキラキラ輝いており、非常に大切な存在だというのです。
あなたは、神様に愛されているのです。

もしも、あなたが、苦難の中にいる時、孤独な時、
「あなたは、高価で尊い大切な人、愛しているよ!」と言われたら、
心慰められ、励まされますよね。
神様はあなたのことを本当に心配し、気にかけてくださるお方。
いつもあなたのそばにいて、あなたを見守って下さるお方なのです。
この神様を信頼して、神様と共に人生を歩んでみませんか?

牧師コラム 『主イエスと弟子ペテロ』 2016年9月18日

IMG_8506  栗原 延元 牧師

聖書は不思議な書物です。
旧約聖書には神の民といわれるイスラエルは、エジプトでの奴隷であったこと、
王ダビデは部下の妻をわがものとする姦淫と殺人を犯したこと、など
民族の恥とすべきことを書き残しているのです。
新約聖書には、12人の弟子のリ-ダ-ともいえるペテロが三度も、
主イエスを否認したことが、福音書に明記されているのです。

聖書は人間の弱さも愚かさも、国家や民族の誤りをも書いているのです。
ある人は聖書の記述の真摯さに打たれて、聖書が人生に欠かせない書物になった
と言っています。

なぜ聖書は今日も世界中で多くの人々に読まれているのでしょうか。
それは、赦しのメッセージが聖書全体をつらぬいているからです。
その赦しは単に罪を赦すというだけでなく、人を新しく生まれ変わらせるお方が
おられることに聖書は気づかせてくれるのです。

三度もイエスを否認したペテロが、なぜ立ち直ることができたのでしょうか。
ルカの福音書には

〈わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい〉(ルカ22:32)

のイエスの言葉が記されています。
主イエスには、人に、やり直しの人生を歩ませる力があるのです。

 

牧師コラム 『いのちに至る門』 2016年9月11日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

パリには、有名な凱旋門があります。
凱旋門は、ローマ帝国時代、国家元首・将軍・軍隊が敵国に勝利し、
それを祝う凱旋式のために作られた門です。
ですから、凱旋門を通るということは、将来を約束された名誉あることなのです。

イエス様は、

「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。
また安らかに出入りし、牧草を見つけます。(ヨハネ10:9)」

と語りました。
またイエス様という門を通るなら、

「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つ(ヨハネ10:10)」

と約束が続いています。まさに、いのちの凱旋門です。
しかし、人間は、自分中心で生きているので、イエス様という門を通ろうとしません。
なぜなら、「神などいらない」と思っているからです。
またその道は、滅びの道であることを知りません。
だから、人を押しのけ、風を切って生きているのです。

この道には、救いもなければ、希望も将来もありません。
人々が滅びに向かって進んでいる姿を見て、
イエス様は、救いの門を自らのいのちと引き換えに用意されたのです。
それが、十字架です。

では、どうすれば、救いを得られるのか?
それは、イエス様を信じることです。それが、門を通ることの意味です。
門を通って、救いと新しいいのちを得ませんか?

牧師コラム 『過越しの食事』 2016年9月4日

IMG_8506  栗原 延元 牧師

今日は、マルコの福音書14章10節から25節までを学びます。
ここには、イエスと弟子たちの最後の食事の様子が書かれています。
この食事は、「過越の食事」と言ってユダヤ人が最も大切にしている食事です。

この食事の中で
〈イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。
彼らはみなその杯から飲んだ。〉 のです。
これをもとに、キリスト教会の聖餐式が定められました。

イエスは、ご自分のからだをパンにたとえました。
パンが裂かれるとは、イエスが十字架上で死なれることを意味しています。
また杯のぶどう酒は、十字架上で流されるイエスの血を意味します。
まさにイエスは、まもなく捕らえられ、裁判にかけられ、
十字架の処刑を宣言される直前に、十字架の死は決して敗北のしるしではなく、
人を地獄に落としめる罪に対する勝利であることを語られたのです。

主イエスの十字架の死は、私の罪の為であったと信じる時、
そこに永遠のいのちの泉が沸き上がるのです。
新しい人生が始まるのです。喜びの歌が奏でられるのです。