高橋 勝義 伝道師 |
共同生活をしようとするならば、共通のルールが必要になります。
なぜなら、自分の考えや価値観を互いに主張し合えば、社会が成り立たなくなるからです。
ルールを破った時に行われる謝罪会見では、必ず、「世間を騒がせ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言って、深々と頭を下げます。
でも、これが本当に謝罪でしょうか?
ただ、世間を騒がせ、迷惑をかけたことへのお詫びにしか聞こえません。
破ったルール、罪に対する心からの悔い改めがないのです。
イエス・キリストは、
「もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、
あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ8:24)
と語られました。罪とは、神様から離れ、自分中心の歩みをすることです。
罪によってもたらされるものは、
憎しみ・恨み・妬み・貪欲・欺き・高ぶり・盗み・悪い考えなどです。
生まれながらの人は、自分の罪の中にいるのです。
このような歩みに希望は、あるでしょうか?
イエス・キリストは、私たちのこの罪を身代わりに負って、十字架の上で死なれました。
十字架には、神様の赦しと愛が表されています。
神様の赦しと愛が分かる時、人は、本当の希望を見出すのです。
罪の中で死ぬ歩みから、赦しと愛の歩みを求めてみませんか?