栗原 延元 牧師 |
聖書は創造主なる神からの手紙ともいえるものです。
手紙にはそれを書いた人の思いが表されています。
人の心の思いが正直に表されるのが、祈りのことばです。
今日学びますマルコの福音書14章32~42節は、
ゲッセマネの祈りと言われ、苦難を前にしたイエスの心情が描かれています。
その祈りとは、父なる神を、親しさを込めて「アバ、父よ」と呼び、
「あなたにおできにならないことはありません。
どうぞ、この杯をわたしから取り除けてください。
しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください。」
と祈るのです。
この杯とは、十字架にはりつけになることです。
イエスには、何の落ち度も罪もありません。
しかし、十字架刑を受けなければならないのです。
前途に控えるこの苦難を前に、ゲッセマネの園で、
イエスは深く恐れ、もだえ始めたのです。
正しい人、義なる人が罰せられる不合理、理不尽と言える中で、
イエスは「わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままをなさってください」と祈り、
受難の杯を受け入れます。
それは〈民の罪の為になだめがなされるため〉(ヘブル2:17)でした。
この死によってこそ、人は救われるのです。