牧師コラム 『いのちに至る門』 2016年9月11日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

パリには、有名な凱旋門があります。
凱旋門は、ローマ帝国時代、国家元首・将軍・軍隊が敵国に勝利し、
それを祝う凱旋式のために作られた門です。
ですから、凱旋門を通るということは、将来を約束された名誉あることなのです。

イエス様は、

「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。
また安らかに出入りし、牧草を見つけます。(ヨハネ10:9)」

と語りました。
またイエス様という門を通るなら、

「羊がいのちを得、またそれを豊かに持つ(ヨハネ10:10)」

と約束が続いています。まさに、いのちの凱旋門です。
しかし、人間は、自分中心で生きているので、イエス様という門を通ろうとしません。
なぜなら、「神などいらない」と思っているからです。
またその道は、滅びの道であることを知りません。
だから、人を押しのけ、風を切って生きているのです。

この道には、救いもなければ、希望も将来もありません。
人々が滅びに向かって進んでいる姿を見て、
イエス様は、救いの門を自らのいのちと引き換えに用意されたのです。
それが、十字架です。

では、どうすれば、救いを得られるのか?
それは、イエス様を信じることです。それが、門を通ることの意味です。
門を通って、救いと新しいいのちを得ませんか?