牧師コラム 『過越しの食事』 2016年9月4日

IMG_8506  栗原 延元 牧師

今日は、マルコの福音書14章10節から25節までを学びます。
ここには、イエスと弟子たちの最後の食事の様子が書かれています。
この食事は、「過越の食事」と言ってユダヤ人が最も大切にしている食事です。

この食事の中で
〈イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。
彼らはみなその杯から飲んだ。〉 のです。
これをもとに、キリスト教会の聖餐式が定められました。

イエスは、ご自分のからだをパンにたとえました。
パンが裂かれるとは、イエスが十字架上で死なれることを意味しています。
また杯のぶどう酒は、十字架上で流されるイエスの血を意味します。
まさにイエスは、まもなく捕らえられ、裁判にかけられ、
十字架の処刑を宣言される直前に、十字架の死は決して敗北のしるしではなく、
人を地獄に落としめる罪に対する勝利であることを語られたのです。

主イエスの十字架の死は、私の罪の為であったと信じる時、
そこに永遠のいのちの泉が沸き上がるのです。
新しい人生が始まるのです。喜びの歌が奏でられるのです。

牧師コラム『神への信仰』 2016年8月28日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

私たちは、太陽が、次の日も昇ってくることを全く疑うことなく信じています。
つまり、信じる歩みをしているのです。
だから、安心して眠りにつきます。
日常生活を振り返ると、そのようなことがたくさんあります。

イエス様は、生まれつき目の見えない人に、つばで泥を作り、
その泥で目に塗ってから、

「行って、シロアム(訳していえば、遣わされた者)の池で洗いなさい」(ヨハネ9:7)と命じました。

目に、何かが塗られたことは分かりますが、
池で洗うことと自分の目と何の関係があるのか、
疑問を感じたとしても不思議ではないでしょう。
しかし、彼は、何の迷いもなく躊躇せず、イエス様の命令に従いました。
「すると、見えるようになって、帰って行った」、と聖書は記しています。

信仰は、心で思うだけでなく、素直に信じ従うことが求められます。
目が見えるようになった彼の様に、行動となって表れるのです。

イエス・キリストは、あなたに『永遠のいのち』を与えるために、
天から下ってこの世に来られました。あなたは、このことを信じますか?

牧師コラム『いのちの光』 2016年8月14日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

夜、海を航海している船にとって、灯台の光は、道しるべです。
もしも、灯台の光がなければ、船の位置を確認することが出来ません。
灯台は、船にとって、とても重要です。
私たちにも、灯台の光の様に、人生の道しるべとなるものがあれば、助かります。

イエス様は、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)と語りました。
イエス様を信じ従う者には、イエス様が人生の道しるべとなって下さると
約束しています。

それだけではありません。
光が、心の中を照らすので、心の中までもきれいになり、イエス様の愛が満ち溢れます。

あなたを愛しておられる方が、人生の苦しみや困難に出会った時、
あなたの心に新たな力と希望を与えて下さるのです。
そして、あなたに進む道を語りかけて下さいます。

いにしえの信仰者が、「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)と告白できるのは、日々、光であるイエス様を信じて歩んできたからです。
あなたも、世の光であるイエス様を信じ、光の中を歩んでみませんか?

牧師コラム『ナルドの香油』 2016年8月21日

IMG_8506  栗原 延元 牧師

今日からマルコの福音書14章に入ります。
福音(神の救いの御業)のクライマックスを表すエピソードが記されています。
それは、一人の女が純粋で非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注いだことです。

その場に居合わせた何人かの者が憤慨して
〈何のために香油をこんなに無駄にしたのか〉とその女を厳しく責めたのです。

しかし主イエスは〈わたしのために立派なこと〉をしたのだと評価します。
最後に〈世界中のどこでも、福音が宣べ伝えられる所なら、
この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう〉(マルコ14:9)と
最大の賛辞をこの女に送ります。

なぜ、ナルドの香油の油注ぎの事がこのように語られるのでしょう。
キリストとは、メシヤ(ヘブル語)のギリシャ語訳であり、メシヤとは、
油注がれた者の意であり、又、人は油注がれて王となるのです。
福音(グッド・ニュース)とは、神の御子イエスが、
罪人の身代わりとして十字架の刑罰を受けて、葬られ、
三日目に死人の中からよみがえられた出来事です。

ナルドの香油はイエスの埋葬の用意の為に注がれました。
イエスの死は、私の為とこの女は証言しているのでしょう。

牧師コラム『罪を赦す権威』 2016年8月7日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

姦淫の現場で捕らえられた女が、イエス様の所に連れて来られました。
そして、イエス様に「先生。この女は姦淫の現場で捕まえられたのです。
モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。
ところで、あなたは何と言われますか。」(ヨハネ8:4,5)と訴えました。

ところが、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:7)と
思いもよらない答えが返ってきました。
罪のない者など一人もいません!一人去り二人去り…
残ったのは、イエス様と女だけでした。
女は別として、イエス様が残られたという事は、罪のない方だからです。

そのお方が、女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)言われたのです。
イエス様は、罪を赦す権威を持っておられるお方なのです。

それ故、自分の罪を言い表すなら、あなたの罪を赦し、すべての悪からきよめて下さいます。(Ⅰヨハネ1:9)

あなたもイエス様に罪を言い表して、心の重荷をおろしてみませんか?

牧師コラム『いのちに導く御霊(みたま)』 2016年7月31日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

今は、全く知らない土地に、カーナビやスマホのナビがあるので、
気軽に出かけることが出来ます。
目的地を入力すれば、瞬時に、道案内をしてくれます。
本当に、便利なツール(道具)です。私たちの人生にも、
目的地に導いてくれるものがあれば、安心して日常生活を過ごせますよね。
もっとも、どこに向かって行くのか、が問題ですが。

イエス様は、「いのちを与えるのは御霊です(ヨハネ6:63)」と語りました。
つまり、御霊が、私たちを永遠のいのちへと導いて下さるのです。

イエス・キリストは、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、
たとい死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と約束されました。
しかし、人は、そう簡単にイエス・キリストを信じることが出来ません。
ところが、助け主である御霊が、私たちの内に働いて、イエス・キリストが
どのようなお方なのかを教え導いて下さるのです。
是非、イエス様がどのようなお方なのか分かるようにイエス様の名によって祈って下さい。
イエス様は、きっとあなたに答えて下さることでしょう。

牧師コラム 『天からの贈り物(プレゼント)』 2016年7月24日

IMG_8506  高橋 勝義 伝道師

あなたは、プレゼントを頂いたことがありますか?
ほとんどの方は、プレゼントを受け取った時、
中身も見ずに「こんなもの、いるか!」と言って
プレゼントを突き返したりはしないでしょう。
「ありがとう」と言って、受け取るのではないでしょうか。

イエス様は、「わたしは天から下って来た生けるパンです」(ヨハネ6:51)
と語りました。
更に、生けるパンを食べる者、即ち、イエス様を信じる者には、
永遠のいのちを与えると約束して下さいました。
この素晴らしい約束は、天の父なる神様からの贈り物です。
神様は、この贈り物を私たちに与えるために、イエス・キリストを
この世に遣わされました。

プレゼントは、あなたの目の前に届けられています。
イエス様は、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。誰でも、
わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、
彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)。
と語っています。

今、あなたの心の戸をたたいている音が、聞こえませんか?
外では、イエス様がプレゼントを持ってあなたの前に立っておられます。
受け取るのは、あなたです。

牧師コラム 『目をさましていなさい』 2016年7月17日

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主イエスは驚くべき事を終末の預言の中で語っています。
〈この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。〉
(マルコ13章31節)

何と大袈裟なことをイエスは言っているのかと思うでしょう。
しかし、聖書はこの天地は創造主なる神のことばによって造られたことを宣言しています。
私たちの信仰は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白します。
次に「我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ず」と宣明します。
まことに〈万物は御子(イエス)にあって造られたからです〉(コロサイ1:16)

主イエスの「主」の意味の中に、「創造主」が含まれています。
天地はイエス・キリストによって造られましたから天地を存在させる権威は
御子イエスが御父と共に有しているのです。
ですから、〈この天地は滅びます〉と語られるのです。
滅びるものの上に私たちの存在の基盤があるのではありません。
〈わたし(イエス)のことばは決して滅びることがありません。〉とはっきりと語られているように、
永遠に滅びないものの上に私たちが存在しているのです。
このことに気付かせてくれるのが、キリスト教なのです。

牧師コラム 『いのちのパン』 2016年7月10日

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イエス様は、ご自身のことを「いのちのパン」であると語りました。
もちろん、イエス様を食べるわけではありません。
では、なぜ、自分を「いのちのパン」と言われたのでしょうか?

イエス様は、「神のパンは、天から下って来て、世にいのちをあたえる」(ヨハネ6:33)と
語っています。
つまり、自分は、世、即ち、人々にいのちをあたえるために、天から下って来た、
「いのちのパン」であると。
なぜ、いのちのパンが必要なのでしょうか?

人間には、一度死ぬここと死後さばきを受けることが定まっているからです(ヘブル9:27)。
しかし、イエス・キリストを信じる者には、永遠のいのちが与えられ、
さばきに会わず、死からいのちに移され、終わりの日に、よみがえるのです。

まさに、イエス・キリストは、「いのちのパン」なのです。
どうすれば、いのちのパンを得られるのでしょうか?
イエス・キリストを罪からの救い主として心で信じ、口で主と告白し、自分中心の歩みから、
神中心の歩みへと向きを変えることです。
そうすれば、いのちのパンは、あなたのものです。
一歩踏み出してみませんか?

牧師コラム 『主イエスは栄光を帯びて』 2016年7月3日

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〈その時、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見るのです〉
(マルコ13章26節)

先週に続いてマルコ13章14~27節を学びます。
この章はエルサレムの神殿崩壊の預言から、
いろいろな災害(戦争などの人災、地震などの自然災害)が述べられ、
その災いも、ユダヤなどの地域から、地の果てまで世界的に及ぶことが語られています。

主イエスは、〈わたしは、何もかも前もって話しました〉(23節)と
弟子たちと別れて御父のもとに帰る前に、気をつけるべきことを具体的に話したのです。
その苦難は、天地創造の初めから人類が経験したことのないようなものです。

〈太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます〉
(13章24,25節)を読むと、身の毛もよだつ恐ろしさを感じます。

終末の預言は、弟子たちを恐怖の底に投げ込むために、
主イエスは語られたのではありません。
究極的な勝利者としての御自身を明らかにしているのです。
十字架につけられた主イエスは、次に偉大な力と栄光を帯びてこられます。
ここに希望が輝いているのです。