牧師コラム 『真の自由に生きる』 2017年1月1日

高橋 勝義 伝道師

 

鳥は、大空を自由に飛び回っています。
魚は、水の中をスイスイと泳いでいます。
モグラは、土の中を自由に動きます。
しかし、鳥は空、魚は水の中、モグラは土の中でしか生きられません。
彼らにとっては、この制約こそが、自由を楽しめる秘訣です。

私たちは、誰からも強制されず、縛られず、妨害を受けずに、
自分の思うままに生きることが自由であると思っています。

私たちの心の中は、どうでしょうか?
私たちは、恨み・妬み・嫉妬・嘘・悪口・意地悪などに振り回され、
悩み苦しみ、葛藤しています。
人は、心を自分でコントロールしているつもりでも、
実は、そのような思いに支配されているのです。

イエス・キリストは、
もしあなたがたがわたしのことばにとどまるなら
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です
そしてあなたがたは真理を知り真理はあなたがたを自由にします。』
と語りました。(ヨハネ8:31,32)

イエス様のことばが、心に光となって入ると、恨み・妬み・嫉妬・嘘・悪口・意地悪などが
」であると知らされます。
そして、イエス様が私の罪のために、身代わりとなって十字架で
死なれたことが分かるのです。
この真理を知り、イエス様を罪からの救い主と信じて歩み始める時、
新しいいのちの力が与えられるのです。

 

2016年12月24日、12月25日 クリスマス集会

石巻教会の建物が完成し、礼拝が始まってから、
2回目のクリスマス。
昨年は、宮田四朗氏を迎えてのクリスマスホルンコンサートを
開いてクリスマスのお祝いをしました。
今年は、高橋勝義師、明美姉が石巻教会に常駐していますので、
2年目にして、初キャンドル・ライト・サービスを開きました。

イエス様のお生まれになった夜に、キャンドルを灯して
お誕生をお祝いするのが定番ですが、教会に集ってくださる
皆さんは、年配の方が多いので、暗くなる前にと15時から始めること
にしました。
(近隣の水産加工所で働いている研修生が仕事が終了したら来るとの
ことで、15時と17時の2回に分けて開催することにしました)

12月に入ってからは、全国の福音自由教会から送っていただいた
プレゼントを1軒、1軒配りながら、クリスマス集会のお誘いをしてくれた
高橋勝義師と明美姉。

何人の方が来てくださるのか、見当もつかない中で、
『20人くらいでも来てくれたら良いな。」と祈りつつ準備を
整えていました。

25日のクリスマス礼拝に備えて、24日は、仙台からのお手伝いは
誰も来ず、高橋師、明美姉、私の3人だけ。
昼前に、明美姉から「水産加工場の研修生たちが、15時の集会に来る
ことになったから、早めに石巻に来て!」と連絡が入りました。

集会1時間前に、毎週礼拝に集っているHさんが現たのを皮切りに、
1人、3人、5人と続々と会堂に集まってきました。

予想していた20人を優に超えて30人。(この時点でまだ研修生は来て
いません)
「今日の集会に行きたいから迎えに来て」との連絡も入ってきて、
2つの仮設にお迎えに行くことにもなりました。
座席の埋まり具合を見て、帰りにお渡しするお土産が足りないことに
気づき、急きょ追加で用意。

キャロルを歌い、クリスマスのスライドやメッセージを聞いた後は、
美味しいフルーツケーキを頂き、最終的に、45人で
キャンドルサービスを捧げることができました。

翌日は、仙台教会の土川姉とご主人によるピアノとクラリネットの
ミニコンサートと栗原師のメッセージ。
クリスマスケーキの差し入れもあって、昨日とは違う雰囲気で、
クリスマスのお祝いをすることができました。(伊東綾)

光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
(第1ヨハネ1:5)

 

 

 

牧師コラム 『すばらしい喜びの知らせ』 2016年12月25日

栗原 延元 牧師

 

今日、12月25日は、神の御子イエス・キリストのご降誕を祝う日です。
このすばらしい喜びは、ベツレヘムの郊外で野宿をしながら羊の夜番を
していた羊飼いたちに、天使から知らされました。
このうえなく美しいことばですので、そのまま引用します。
長い文章ですが是非お読みください。

今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。
これがあなたがたのためのしるしです。(ルカ2:10~12)

羊飼いたちは、ダビデの町(ベツレヘム)に急いで出かけ、
マリヤとヨセフと飼い葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当て、
この夜、彼らが見聞きしたことが、全部、御使いの話のとおりだったので、
神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのです。

神の御子イエスの誕生から、十字架上での死、そして復活まで、すべてイエスに
関する出来事は事実で真実なのです。
この事がすべての人々への喜びの知らせなのです。

 

牧師コラム 『ほめたたえよ』 2016年12月18日

高橋 勝義 伝道師

私たちの歩みは、過去があって、今現在があり、そして、将来へと繋がっていきます。
将来は、過去を現在にどう生かすかによって決まります。
ザカリヤという人は、自分のルーツ、即ち、イスラエル民族の歴史に思いを巡らしました。
すると、過去・現在・将来に至るまで、神様の恵みと深いあわれみに守られてきたことが
分かったのです。
ザカリヤは、今までの神様の恵みと深いあわれみに心から感謝し、
これから先も神様の恵みと深いあわれみに守られることを確信しました。
だから、この神様を「ほめたたえよ」と命じました。

同様に、この神様は、あなたの過去・現在・未来を顧みて下さるお方です。
あなたを滅びから救い出し、永遠のいのちを与え、罪の支配から解放し、
新しいいのちによって、生きる力を下さいました。
神様は、これらを「あなたに」与えるために、愛する一人子イエス・キリストを
この世に遣わされました。
それ故、イエス・キリストの誕生を心からお祝いするのです。
これが、クリスマスです。
また、イエス・キリストをこの世に送って下さった神様をほめたたえる時なのです。
神様からの贈り物を心から受け取って、新しい歩みへと一歩踏み出しましょう。

 

牧師コラム 『みこころを思いめぐらす』 2016年12月11日

高橋 勝義 伝道師


私たちは、楽しく生きるために様々な計画を立てます。
しかし、計画が挫折し、困難に出会い、思うように事が進まなくなると、
冷静ではいられません。
不安や恐れにさいなまれ、自分を責め、自暴自棄になります。
それでも、何とか自分の力で頑張ろうとします。

ザカリヤという人は、肝心な時に信仰が働かなかったので、10ケ月間、
全く口がきけなくなりました。
誰とも会話が出来ない状態は、かえって、神様のみこころを思いめぐらし、
自分は神様に愛されている」ことを確認し、
また「神様の恵みの中で生かされている」ことに気づかされたのです。

ローマ人への手紙8章28節には、
神を愛する人々すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」
との約束があります。

災いに思えることも、神様を信じる者には、神様がすべてのことを働かせて益にされると
言って下さっているのです。
この神様の愛と恵みの中に生かされていることを受け取る時、信仰の目が開かれ、
困難に立ち向かう新たな力が与えられるのです。

 

牧師コラム 『偽証うずまく中で~イエスの裁判~』 2016年12月4日

栗原 延元 牧師

前回は、イエスが捕えられた様子を学びました。
今日は、そのイエスが裁判にかけられた場面に入ります。
場所は大祭司の邸宅です。
そこには祭司長、長老、律法学者たちが集まって来たとあります。
すでに彼らは〈イエスを死刑にする〉(マルコ14:55)ことを決め、
イエスを訴える証拠を懸命につかもうとしていました。
イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのです。
旧約聖書には〈ふたりの証人また三人の証人の証言によって死刑に処さなければならない、
ひとりの証言で死刑にしてはならない〉(申命記17:6)とあるのです。
不利な証言に対して、イエスは黙ったままで何も答えません。

とうとう大祭司みずから、イエスに尋ねます。
〈あなたは、ほむべき方の子、キリストですか〉(マルコ14:61)。
「ほむべき方の子」とは、神の子という意味です。

そこでイエスは言われた。〈わたしは、それです〉と。

ここに至って、イエスみずからが「神の子、キリスト」であることを明らかにします。
神の子イエス・キリストの福音のはじめと題して書き始めたこの書がゴールに到着します。
福音が、いよいよ輝きを増すのです。不思議なことです。

 

牧師コラム 『幸いな人』 2016年11月27日

高橋 勝義 伝道師

ヘルマン・ブッセは、「山のあなた」という詩を作りました。
詩の内容は、山のかなたの果てしない向こうに幸せがある、と人は言う。
私もみんなと一緒に探しに行ってみた。
けれども、見つけることが出来ずに涙あふれたままで帰ろう。
それでも、山のはるか遠く向こうに幸いがある、と人は言う。
「山のあなた」の詩は、幸いを求めているのに、手に入れることが
出来ない切なさを見事に言い表しています。

聖書は、
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は何と幸いでしょう。」(ルカ1:45)
と語っています。
幸いな人とは、どのような歩みをする人なのでしょうか?
第一に、神様の教え(聖書の言葉)を喜ぶ人です。
第二に、昼も夜もその教えを口ずさむ人です。
日々の暮らしの中で、御言葉が心に刻まれていると、
苦しい時・不安な時・悲しい時・嬉しい時・落ち込んでいる時に、
励まされ・力づけられ・助けられます。だから、御言葉を心から喜び、
昼も夜もその教えを口ずさむのです。
幸いな人は、日々の暮らしの中で、御言葉が真実であることを味わい知っています。
どんなことが起きても、動じることなく、私たちに希望の将来を与えて下さる聖書に耳を傾けてみましょう。

 

牧師コラム 『ユダの裏切り』 2016年11月20日

IMG_8506 栗原 延元 牧師

マルコの福音書の学びは、いよいよクライマックスに入ります。
この書物の主人公のイエスが捕えられる場面にさしかかるからです。

福音書とは、「喜ばしい音信(おとずれ)」が書かれている書物という事です。
その音信は誰が発信しているかというと、それはイエス・キリストなのです。
その当の本人が、捕えられる次第が、今日の箇所に詳しく書かれているのです。
福音書というからには、知られたくない事柄です。

イエスは、12弟子のひとり、イスカリオテ・ユダの裏切りによって、真夜中、
ゲッセマネの園の中で捕えられます。
ユダは、イエスに近寄り、口づけして、捕縛に来た群集に、この人物こそ、
イエスだと知らせます。口づけは、相手への親しさと愛を現わします。
しかし、この時のユダの口づけは、イエスを売り渡す行為でした。

他のイエスの弟子たちは、どうしたかというと、みなイエスを見捨てて
逃げてしまったのです。この福音書に描かれるイエスの弟子たちはみな弱く、
腰くだけで、弟子とは言えない情けない人物たちです。
このような人々が強くなり、愛の使徒たちに変えられるのです。
ここに福音の力が込められているのです。

 

牧師コラム 『信仰の歩み』 2016年11月13日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

私たちは、ありとあらゆるものを神とする、八百万の神々がいる中で暮らしています。
ですから、本当の神様が、分かりません。
聖書に記されているまことの神様は、

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
─主の御告げ─それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

と約束しています。
人生には、多くの山があり谷があり、すべて一人で乗り越えようとするならば、
疲れ果て、倒れてしまいます。
この神様が、あなたと共に歩んで下さるなら、これほど力強い味方はいません。

信仰の歩みとは、難しい修業を積んで、自分の力で乗り越えるのではありません。単純です。
神様の約束を信じ、信頼し、すべてお任せしていくこと、これが、信仰の歩みです。
また、「神にとって不可能なことは一つもない」(ルカ1:37)ので、きっと、あなたの思いを
遥かに超えた方法で、あなたを助けて下さいます。
神様は、あなたを愛し、あなたと共に歩みたいと願っています。
素直に、神様の愛の中に飛び込んでみませんか?

牧師コラム 『喜びのおとずれ』 2016年11月6日

IMG_8506 高橋 勝義 伝道師

私たちの歩みには、時に想定外のことが起こります。
ザカリヤとエリザベツ夫婦は、子どもが与えられるように、
熱心に神様に祈り求めていました。
しかし、二人とも年を重ねていったある日、突然、
神様から遣わされた御使いが、ザカリヤの前に現れ
ザカリヤあなたの願いが聞かれたのです
あなたの妻エリザベツは男の子を生みます
名をヨハネとつけなさい。」と告げます。
喜びのおとずれが、やって来たのです。

しかし、ザカリヤは、自分たちの年齢を考えてしまい、
素直に喜ぶことが出来ず、「私は何によってそれを知ることが出来ましょう」と
答えてしまうのです。
ザカリヤは、御使いが語った通りのことが実現する日まで、
口がきけなくなってしまいます。
最も知らせたい「喜びのおとずれ」を妻エリザベツに話せません。

人は、想定外のことが起こると、この世の常識や理性に心が支配され、
どんな神様を信じているのか、心の中が明らかにされるのです。
私たちのことを愛しておられる神様は、いい加減なことを語るはずがありません。
この信仰に立って日々歩む時、どんなことが起こっても、
神様に信頼して歩むことが出来るのです。
神様の愛と約束の中に生きる歩みを目指しましょう。