牧師コラム 『主がお入り用なのです』 2019年3月3日

牧師 高橋勝義

 「あの人は、箸にも棒にもかからない」と言われたら、悲しいですよね。
 反対に、「あの人にすべてを任せておけば大丈夫」と言われたら、嬉しいですよね。
 誰でも、『自分を必要とされたい』と思うものです。
 イエス様はエルサレムに向かう途中、二人の弟子に、まだだれも乗ったことのない子ロバを連れてくるように命じます。
 当然、ロバの持ち主たちは「どうして子ロバをほどくのか」と尋ねましたが、イエス様の指示通りに弟子たちは「主がお入り用なのです」と答えました。
 二人の弟子は、無事、ロバの子を連れて来ることが出来ました。
 そして、弟子たちは自分の上着をロバの背に掛けて、イエス様をお乗せしました。
 イエス様が進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷き、喜びのあまりに大声で「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。」と神を賛美し始めたのです。(ルカ19:29~38)
まだ何の役にも立たないと思われる子ロバを、イエス様は用いられたのです。
 イザヤ書43章4節に「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたし(神)はあなたを愛している。」とあります。これは、『家柄、財産、地位、才能などがあるから「高価で尊く、愛する」のではなく、ありのままの私たちを「高価で」なおかつ「愛している」と、まことの神が、言って下さる。』という意味です。
 イエス様は、あなたをかけがえのない存在として認めてくださるから「主がお入り用なのです」とあなたに語るのです。この招きを真摯に受け止めイエス様に従いましょう。

牧師コラム 『ヨセフ物語(前半)』 2019年2月24日

牧師 栗原延元

 前回(1/27)は、「陽はまた昇る」と題して、ヤコブの人生を転回させる出来事を学びました (創世記32章のヤボクの渡し) 。その後でヤコブは生まれ変わり、「イスラエル」と名乗るのです。この名がその後の神の選民となります。
 「アブラハム、イザク、ヤコブ」とイスラエルの族長の物語が、民族へ拡大する契機となったのがヨセフ物語です。ヨセフの生涯を貫く精神は「仕える」という事です。彼はまず、家族に仕えます。この中で、兄たちの反感を買って、エジプトに売られ、パロの廷臣、その侍従長ポティファルの奴隷として仕えますが、ぬれぎぬを着せられ、監獄に監禁され、囚人に仕えます。その後ヨセフは解放され、パロに仕え、エジプトの国難を救うようになり、最後は、自分を売った者たちに仕え、彼らの生命を救うことになるのです。
 ヨセフは波瀾万丈の生涯を送ります。その生涯を父ヤコブは《彼の弓はたるむことなく》(創世記49:23)と語っています。「弓はたるむことなく」とは、弓は張っているが弦がゆるんでいたことがないの意味です。ヨセフは、どんな環境の中に置かれても、そこで神と人とに仕える道を選んだのでしょう。ヨセフ物語は実に爽やかです。その爽やかさを今日の礼拝で感じていただけますように。

牧師コラム 『神の国への備え』 2019年2月17日

牧師 高橋勝義   

 イエス様は、ご自分が再び地上に戻って来られる(再臨)時まで、私たちがどのように過ごすべきかを教えるために、一つのたとえを話されました(ルカ19:1128)
 ある身分の高い人が、王位を受けるために遠い国に旅立つ時、しもべたちに十ミナのお金を与え、これで商売をするように命じます。身分の高い人とは、十字架に向かって進んで行かれるイエス様ことであり、商売を命じられたのは私たちのことです。イエス様は、王位を受けて帰って来た時(再臨)、しもべたちを呼び、もうけ話しを聞きます。そして彼らに「よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だった。(ルカ19:17)」と褒めるのです。ところが、ご主人を恐れ、お金を失わないように布に包んでしまっていたしもべには、悪い評価が下されたのです。
 イエス様が「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるため(ルカ5:32)」と語ったように、今は救いの時です。
 しかし、イエス様が再びこの地上に来られると、さばきが行われるのです。
 再びこの地上に来られるまでのこの救いの時に、イエス様は、神の国の福音を私たちにゆだねられたのです。そして、私たちが、神の国の福音を宣べ伝える働きが出来るようにと、一人一人に「賜物」を与えてくださったのです。
 また、イエス様を信じるすべての人に内住しておられる聖霊が、私たちを励まし、助け、時には戒め、賜物が生かされるようにと導いてくださるのです。
 賜物に優劣はなく、忠実に用いる時に神の称賛が与えられるのです。
 あなたに与えられている賜物を布に包まず、聖霊にゆだね、用いましょう。

牧師コラム 『ザアカイ』 2019年2月10日

牧師 高橋勝義   

 今日はルカの福音書19章に登場する「ザアカイ」の話しです。
 当時のイスラエルは、ローマ帝国に支配されていましたが、ローマ帝国は、税金を集める方法として、支配している国の人々を取税人に任命し、納税させていました。
しかも、いくら徴収するかは取税人にまかせ、一定額をローマに納めれば良いというきまりでしたから、当然のように取税人たちは必要以上のお金を取り立てました。
 「憎まれっ子世にはばかる」のたとえの如く、取税人は、嫌われ者・厄介者でした。ザアカイはその取税人のかしらでしたから、人々は彼に近寄らず、いつも孤独でした。
 その彼がイエス様のうわさを耳にし、近くを通られるお姿を見ようとしたのですが、背の低い彼は群衆に阻まれ、やむなくいちじく桑の木に登りました。
 イエス様はその場所に来ると、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と言われたのです。
 人々は「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言いました。
 当のザアカイは、自分の名が呼ばれたことにも驚きましたが、ありのままの自分をすべて受け入れて下さるイエス様の愛に触れ、「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」と約束したのです。彼の人生は、この瞬間から全く新しくされたのです。
 イエス様は、「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです(ルカ19:10)」と語られたように、まことの神から離れ、自分中心の歩みをして、さ迷っているあなたを捜し、救うために、この世に来て下さったのです。

牧師コラム 『わたしに何をして欲しいのか』 2019年2月3日

 牧師 高橋勝義   

 「私に何をして欲しいのか」と尋ねる人がいたとしたら、どうしますか?
 相手にもよるのでしょうが、自由に何でも願い事を言えるでしょうか…。
 聖書には、イエス様からこの質問を受けた盲人の記事が記されています。
 この盲目の人は、道端に座り、物乞いをしていたのですが、周りが騒がしいので、「これはいったい何事か」と尋ねました。そして、ナザレ人イエスがお通りになると知ると、大声で「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と叫び続けました。そんな彼に、イエス様が「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねたのです。彼は、即座に「主よ、目が見えるようにしてください」と答え、イエス様は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」と言われたのです。すると、すぐに目が見えるようになり、彼は神をあがめながらイエスについて行ったのです。
 彼の姿を見たイエス様には、その願いは察しがつきます。それなのに、なぜ、あえて尋ねたのか…。それは、彼の本心を引き出し、確認させるためでした。
 人は、質問する相手の腹の中を探ります。警戒しながら色々考えますから、初めから素直にはなれません。しかし、これは痛い目に遭わないための処世術でもあります。
 盲目の彼は、自分の置かれている現実を自覚し、そのうえで、イエス様なら必ず自分を救って下さると信じて、願いをストレートに訴えたのです。

 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる(詩篇34:18)」と聖書に約束されている通りです。
 あなたも、心の中にある色々な思いをストレートに、イエス様にぶつけてみませんか?

牧師コラム 『陽はまた昇る』 2019年1月27日

 牧師 栗原延元

 

 今日は、昨年11月に続いてヤコブを学びます。ヤコブは双子の弟で、兄はエサウでした。本来、兄エサウが継ぐべき家長の相続を、兄エサウをだまして自分のものとしてしまいました。そこから兄弟同士の相克が始まります。ヤコブは兄エサウの殺意を逃れて、母リベカの親戚に身を寄せ、そこで20年すごします。ヤコブにとって最大の課題は兄との仲直りであったのです。ヤコブの物語は創世記32章に入ってクライマックスに達します。
 ヤコブは兄エサウに当時としては最も大きな贈り物を送って兄と仲直りしようとするのですが、ヤコブの心の中は、兄への怖れで一杯でした。その不安と苦悩のためにヤボク川の渡し場にひとり残るのです。その夜〈ある人が夜明けまで彼と格闘した〉(3422)
 この格闘とは、夜を徹してのヤコブの祈りでした。聖なる神の御前に、神ご自身と格闘する程にヤコブは〈祝福〉を求めて祈ったのです。ヤコブから離れようとするその人に〈私はあなたを去らせません。私を祝福してくだらさらなければ〉とヤコブは祈るのです。この祝福とは、ヤコブの父祖、アブラハム、イサクたちが求めた天の故郷に入ることです。この地上にある故郷ではなくさらにすぐれた故郷です。
 その故郷を見上げるヤコブの信仰の目なざしがハッキリとしたのです。彼の日々の歩みの上に陽は昇り続けるのです。

牧師コラム 『神にはできる』 2019年1月20日

牧師 高橋勝義   

 「何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」という若い指導者の質問に、イエス様は「神の教えを守るように」と答えました。
 しかし、「それらはすべて守っています」と断言する彼に対し、イエス様は「あなたの財産をすべて売り払い、貧しい人たちに分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」と語られたのです。これを聞いたその人は、非常に悲しみ、去って行きました。なぜなら、彼は大変な金持ちだったからです。さらに、イエス様は言われました。「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」
 人々は「それでは、だれが救われることができるでしょう」と驚きました。
 しかし、イエス様は『人にはできないことが、神にはできるのです』と言われました。
 イエス様に質問した青年の拠り所は、自分の正しい行い、そして財産でした。どちらも真面目に生きてきた証です。
 しかし、イエス様は、彼の心にある大切なものをも手離すように、すなわち、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか(マタイ16:26)」と語っているのです。

 「永遠のいのち」は、行いによっては決して得ることが出来ません。

 神の教えを完璧に守ることは、誰一人として出来ないからです。
 ただ、イエス・キリストを信じる信仰によって(イエス・キリストの十字架は自分の罪の肩代わりであることを認める)人は救われ、「永遠のいのち」が与えられるのです。
 すべてが、神の成される御業であり、恵みであり、賜物(プレゼント)なのです。

2018年12月6日 クラフト教室・支援報告 第183回

〇日 時:2018年12月6日(木)
〇参加者:11名
〇奉仕者:仙台教会5名、石巻教会2名
〇場 所:石巻福音自由教会

 12月のクラフト教室では、「クリスマス会」を行いました。
初めに「重ね星のクリスマス飾り」を作りました。9センチ28枚の正方形のプリント生地を折りたたんで土台の生地に縫い付けて行きます。細かい作業ですがおしゃべりしながら、楽しく縫い進めて行きました。赤、緑、白の鮮やかなクリスマスカラーがそれぞれのお家のクリスマスを盛り上げてくれることでしょう。
 その後「きよしこのよる」を賛美し、クリスマスストーリーのDVDを見て頂きながら、クリスマスの本当の意味をお話しました。罪に苦しむ人間を救うために、この世界に神のひとり子イエス様を送ってくださった神様と、その愛を知って頂きたいと、心から願いお話させて頂きました。それはほかならぬ「あなたのため」にと。
 昼食は、手作りの鮭のお寿司ご飯とお吸い物、イチゴのショート・ケーキです。楽しくおしゃべりして、お腹も心もいっぱいになって、主の恵みの内にクラフト教室のクリスマス会が無事終わりました。
 いつもこの働きのために、お祈りくださりご支援くださって、本当にありがとうございます。新しい年も、神様の愛と力を頂いて、この働きを進めて行けますようにお祈り頂けましたら幸いです。
 皆様の上にも、神様の祝福が豊かに注がれますように。感謝しつつ。

                           仙台福音自由教会
                             吉田真知子