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「鰯の頭も信心から」とよく耳にしますが、これは昔、節分の夜にヒイラギのトゲと鰯の悪臭で鬼や悪を払うことが出来ると信じられていたことから、鰯の頭のようなつまらないものでも信じる人には、有り難いものになる。つまり、何を信じるかではなく、信心が大切だということを言っているようです。
イエス様が、エルサレムに向かう途中のことでした。ハンセン病をわずらっていた十人の人が「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と声を張り上げて、助けを求めました。イエス様は彼らに「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と言われ、彼らはその言葉に従い祭司のところに行きました。ところが、その途中で癒されたのです。癒やされた十人の中で、引き返して来て、イエス様の足もとにひれ伏し、感謝したのはサマリア人ひとりだけでした。イエス様は、その彼に『立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』と言われたのです。
この出来事は、『信仰とは何か』を三つの観点から教えています。
第一は、疑わずに信じて求めることです。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」という思いではなく、心をしっかりと定めて願う信仰が求められているのです。
第二は、御言葉に信頼することです。
イエス様から「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と言われた時に、自分の経験や知識に頼らず、また超自然的な奇蹟を渇望するのでもなく、素直に主のことばを信じ、従う信仰が求められているのです。
第三に、神を信じることです。
「神にとって不可能なことは何もない」お方を信じるのです。
信仰とは、信じるお方と何を信じるかがとても重要なのです。