牧師コラム 『新たなる人類の歩み』 2020年4月26日

牧師 高橋勝義

大洪水の後、ノアの三人の息子セム・ハム・ヤフェテから、新たなる人類の歩みが始まりました。そして、セム・ハム・ヤフェテの子孫が歴史に刻まれていきます。

ヤフェテの子孫は、黒海とカスピ海の周辺、ヨーロッパとアジア方面へ。
ハムの子孫は、南と中央アラビヤ、エジプト、地中海東岸とアフリカの東岸へ。この子孫からニムロデが現れ、メソポタミア地方に強大な王国を築きます。
そして、セムの子孫は中東地域へ。この子孫から、アブラハムが出てきます。

聖書は「神話」とされていたところもありましたが、近年、考古学の進歩により、その記述は神話ではなく、歴史の中に刻まれた事実であることが分かって来ました。
そのすべてが解明されたわけではありませんが、「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります(へブル11:3)」と聖書は語っています。

信仰とは、「鰯の頭も信心から」ではありません。宇宙や人間のからだを詳しく調べれば調べるほど、緻密に組み立てられていることが分かり、これらを創造したお方がいなければ説明不可能です。それゆえ、創造主なる神を信じるのです。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」と愛の神は約束し、あなたとともに歩んでくださるお方なのです。

牧師コラム 『セムの神、主』 2020年4月19日

牧師 高橋勝義

ノアの家族は、箱舟から出て、新しい歩みを始めました。ノアの息子たちはセム、ハム、ヤフェテの三人で、洪水後の新しい民は彼らから分かれ出たのです。

箱舟から出た後、ぶどう畑の農夫となったノアは、ある日、ぶどう酒を飲みすぎ、裸で寝込んでしまいました。息子のひとりハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に父の醜態を告げました。しかし、兄セムとヤフェテは上着を自分達の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行き、父の裸をおおいました。
彼らは顔を背けて父の裸を見なかったのです。

酔いからさめたノアは、末の息子が自分にしたことを知り、「カナン(ハムの子孫)はのろわれよ。」また「ほむべきかな、セムの神、主」と祝福しました。
神は、ノアを用いて、人類の救いがセム族の子孫によってなされることを前もって、知らせてくださったのです。
「セムの神、主」とは、この世界をご支配しておられるまことの神である主なのです。また、このお方は、私たちを愛し、とともに歩んでくださる神なのです。

すべての生き物が、大洪水で滅ぼされたのは“罪”の故です。
「愛はすべての背きをおおう(箴言10:12)」とあるように、私たちのすべての罪をおおうために、セム族の子孫から、救い主イエス・キリストが遣わされたのです。
このお方こそが「世(あなた)のを取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)」なのです。

牧師コラム 『契約のしるし“虹”』 2020年4月12日

牧師 高橋勝義

 雨上がりの空にかかる虹はとても綺麗で、心が躍ります。この虹には神の愛のメッセージが込められていると知るなら、誰もが虹を喜ぶことに納得するでしょう。

 ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中で1年と10日という長い時間を過ごしました。そして地はすっかり乾き、神の促しに従ってノアの家族と生き物たちは箱舟から出て新たな歩みを始めます。まず神を礼拝したノアとその息子たちを神は祝福して、彼らに「生めよ。増えよ。地に満ちよ。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える。」と仰せられました。
 さらに神は、もう洪水で地上を滅ぼすことはしないと約束され、空にかかる虹がその永遠の契約のしるしであると言われたのです。
人の罪がなくならないことをご存知の神が、二度と洪水で滅ぼさないと約束されたのは、救い主イエス・キリストによって人を罪から救うご計画があったからです。

 終わりの時には、今ある天と地は火で焼かれ、さばきと滅びの時がくると聖書は語ります(Ⅱペテロ3:7)。 私たちを愛しておられる神は、このさばきと滅びから救うために、神のひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。
 「それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3:16)」

牧師コラム 『芳ばしい香り』 2020年4月5日

牧師 高橋勝義

神がノアに語られた通り、大雨は四十日四十夜降り続き、水がしだいに地の上から引いていったのは、百五十日の終わり頃でした。ノアの生涯の六百年目の第一の月に雨が降り始め、六百一年目の第二の月に、地はすっかり乾きました(創世記8:14)。
そして、ノアの家族と生き物は、箱舟から外に出ます。そこでノアが最初に行ったことは、祭壇を築き、その上で全焼のささげ物を献げたことです(創世記8:20)。

つまり、ノアは天地万物の創造主なる神を礼拝したのです。

主はその芳ばしい香りをかがれ、人の心の思い図ることが、たとえ悪であっても、「再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない(創世記8:21)」と言われたのです。
ところで、ここに記された「芳ばしい香り」とは、何でしょうか?
ノアはすべてを守って下さった神に感謝し、これから先の歩みも神がともにおられることを信じ、神を礼拝しました。神は、このノアの心と信仰を喜ばれたのです。
ですから、神はそれを「芳ばしい香り」と表現されたのです。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる(詩篇34:18)」とあるように、神は自分の内に潜む“罪”を認め、悔い改め(キリストの十字架は我が罪のためであると信じる)、謙遜に神とともに生きることを求めておられるのです。

牧師コラム 『モーセ物語~その4』 2020年3月29日

牧師 栗原延元

前回(2019年12月29日)の礼拝では旧約聖書「民数記」を学びました。今回は民数記に続いて、モーセ五書の「申命記」を学びます。
「申」とは「もうす」の意味で、申命記とは、モーセが約束の地カナンに入る前に、イスラエルの民に再度命じた律法書です。

この書物は、キリスト教の人生篇です。それを端的に言い表しているフレーズが「人はパンだけで生きるのではない。人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8章3節)です。このことをわからせるために、出エジプトの民は、40年間、荒野を旅したのです。
荒野での40年間、主はイスラエルの民に食べ物として「マナ」を過不足なく与え続けました。肉が食べたいと叫ぶときには、とり肉(うずら)を与えました。飲み水が苦いという民には、苦みのない水を与えました。このように神はイスラエルの民を養い続けました。単に生活必需品をようやく満たしたというのではなく豊かに与え続けられたのです。このことが申命記8章4節にこう描かれています。〈この四十年間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。〉と。
この故事を受けて、主イエスは空の鳥を見よ!野のユリの花を見よと語っておられるのです。

牧師コラム 『箱舟は水面に漂った』 2020年3月22日

牧師 高橋勝義

旅先で思わぬ出来事が起こり、何日も足止めされたりしたら困ってしまいます。足止めが解除されるのを、じっと待つしかありません。

さて、ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、箱舟の中に入ります。
すると、【主】は彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
そして、大雨は四十日四十夜、地に降り続き、水かさが増して箱舟を押し上げたので、箱舟は地から浮き上がったのです。(創世記7:17)
箱舟が水面に浮きあがったということは、地のすべては水の中に沈んだことになります。そして水は、百五十日の終わりに減り始めたのです。
しかし、いつ頃地が乾き、外に出られるのか、見当もつきません。

この間、ノアの家族と生き物たちは、箱舟の中でともに生活することになります。毎日、ノアの家族は生き物たちの世話でてんてこ舞いだったことでしょう。

心の中には不安もあったことでしょうが、すべて神が語られた通りであることを見てきたノアは、神である主に信頼し、大地が乾く日を期待して待ったのです。どんな状況に置かれても、神である主に信頼し、神を待ち望む信仰が大切なのです。

「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です(へブル10:36)」と語られている通りです。

牧師コラム 『神である主が戸を閉ざされた』 2020年3月15日

牧師 高橋勝義

近頃の住宅扉は鍵を使わず「カードキー」や「スマホ」で鍵を開閉し、雨の日や荷物のある時とても便利です。また病院や店舗では自動ドアが普通になっています。

さて、地に増え広がった人間が堕落した姿に心を痛めた神は、すべての生き物を滅ぼすことを決め、【主】の心にかなっていたノアに「ゴフェルの木で箱舟を造りなさい」(創世記6:13,14)と命じます。
そして、ノアはすべて神が命じられたとおりに行ったのです(創世記6:22)。
人々は、ノアから箱舟を造る理由を聞いていましたが、誰一人として信じませんでした。箱舟が完成すると、神はノアに「あなたの家族とすべてのきよい動物の中から雄と雌を七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌を一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌を七つがいずつ取り、箱舟に入るように (創世記7:1~3) 」と命じます。ノアはすべて命じられたとおりに行い、そして彼も箱舟に入りました。

すると【主】が、彼のうしろの戸を閉ざされたのです。(創世記7:16)
神が閉ざされたならば、誰もその扉を開けることはできません。

今、キリストを罪からの救い主として信じ、神と共に歩むことができる「扉」は開かれています。しかしこの救いの扉も、思いがけない時、突然、閉じられます。
ノアの時代の人々のようにならないために、救いの扉の中に入ってみませんか?
「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2)。

牧師コラム 『箱舟を造りなさい』 2020年3月8日

牧師 高橋勝義

子どもの頃、「ポンポン船」を作って遊んだことがあります。とても簡単な仕組みですが、「ポンポンポン」と音を立て、勢いよく水の上を走ります。

さて、人々は神を忘れ、神に背を向け、堕落していきました。
そのような中で、たった一人、神に従って暮らすノアという人がいたのです。
神は、このノアの家族を救うことによって人類の再出発を計画されました。
そして神は、ノアに「見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。(創世記6:13,14)」と命じます。

箱舟の大きさは、長さ約132m・幅約22m・高さ約13.2メートルです。

ノアの時代には大型重機などなく、すべて手作業であり、働き手はノア夫婦、息子三人とその妻の合計8人です。「ポンポン船」を造るのとは、けたが違います。
ノアは、すべて神が命じられたとおりに行ったのですが(創世記6:22)、彼らの箱舟造りは、周囲の人々の目にはどのように映ったのでしょうか?
ノアは、信仰によって、まだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造ったのです(へブル11:7)。
神を信じて歩むことは、時として、この世の歩みからの決別でもあります。

「神のみこころを行う者は永遠に生き続けます(Ⅰヨハネ2:17)」

2020年2月20日 クラフト教室・支援報告 第196回

・日時:2020年2月20日
・参加者:12名
・奉仕者:仙台教会4名、石巻教会1名
・製作:「 撥水加工生地で作る着替えバッグ (1回目) 」

・チャペルタイム
「 逆境の時にも 」
賛美:「明日を守られるイエス様

聖書:「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。 (詩篇46:1)」

今月と来月は、日帰り温泉や小旅行に便利な撥水加工生地を使ったバッグの製作です。二ヶ月かけての製作ですから、ゆっくりと手を動かすことができました。
バッグの内側は取り外して、そのまま洗濯機に入れられるようになっていて「なるほど…」と感心しました。JR女川の駅舎には温泉「ゆっぽ」が併設されており、地元の方が年間チケットを購入されるほどの評判の温泉です。バッグを間違わないように目印をつけなくては…と、笑いが起こりました。あの日から9年の笑い声です。
この日のお話しは遠くアメリカの話、しかし、私たちの人生にも重なるものでした。
アメリカ・アラバマ州エンタープライズ市は綿花栽培で有名な街でした。ところが、二十世紀初頭、突然「ワタミハナゾウムシ」という害虫が大発生し、大打撃を受け、最も裕福な地域から最も貧しい地域になってしまいました。人々は涙して神に祈り、神に信頼して、大切な綿花畑を掘り起こし、そこにピ-ナッツやアーモンドを植えたのです。
そして、これらのもので収益を得るようになっていったのです。ちょうどその頃、世の中には安価な化学繊維が出回り、綿花の需要が減り、綿の栽培に頼っていた他の州は大きな打撃を被りましたが、アラバマ州はすでに繁栄を味わっていました。
神様は彼らの涙の祈りに答えて下さり、事態をひっくり返し、恩恵をもたらしてくださったのです。私たちの人生にも、「ワタミハナゾウムシ」に蝕まれるようなことがあるかも知れません。しかし、どんな時にも神は私たちを守り、救ってくださるお方です。神様は私たちが祈ることを待っておられます。

「 神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。(聖書)」

牧師コラム 『人の齢は百二十年』 2020年3月1日

牧師 高橋勝義

あなたはご自分の人生を、何年ぐらいあればいいなと思っておられるでしょうか。

神は「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。(創世記6:3)」と言われました。
あなたにとって齢百二十年は、長いでしょうか、それとも、短いでしょうか…。
神は人の齢を百二十年と定めましたが、実はここに愛が詰まっているのです。
それは定められた百二十年の先には必ず“”があり、誰もがそれを意識し自らの人生を考えるようになるからです。なぜ、死があるのか。また死後どうなるのか。

聖書は、「罪の報酬は死です。しかし神の賜物(プレゼント)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)」、また「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9:27)」と語ります。
この罪とは、私たちを造られた創造主なる神に背を向け、自分勝手な歩みをすることです。その結果、争いが絶えない世界になりました。

しかし、私たちを愛してやまない神は、キリストによる希望と救いの道を開いてくださいました。キリストの十字架の赦しを受け取り、罪を悔い改める期間(チャンス)を設けてくださったのです。それが、人の齢を百二十年にした理由です。

「しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」