牧師コラム 『神のご配慮』 6月21日

牧師 高橋勝義

「あなたの子孫は、星のようになる」と約束された神はアブラムに、もうひとつの約束である土地についても語られました。ここでもアブラムは神に「主よ。私がそれを所有することが、何によって分かるでしょうか。」(創15:8)と、正直に尋ねるのです。

すると神は、ご自身とアブラムとの間に、目に見える形で契約を結ばれたのです。これはアブラムに対する神の信頼の表れ、契約を結べる関係にあることを示しています。
そして、神は「あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられるが、その後、彼らは多くの財産とともに、そこから四代目の者たちがここに帰って来る」(創15:13,14,16)と、またアブラム自身については、「あなた自身は、平安のうちに先祖のもとに行く。あなたは幸せな晩年を過ごして葬られる。」(創15:15)と告げられました。

アブラムは、自分が尋ねた以上のことを自分に知らせてくだった神のご配慮、そして自分のような者を信頼してくださっていることに心から感謝したのです。明日のことをどんなに心配しても、自分にはどうすることもできないが、神は子々孫々にまでも心配してくださるお方、愛の神であることを知ったのです。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている─【主】のことば─。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

牧師コラム 『さあ、天を見上げなさい』 2020年6月14日

牧師 高橋勝義

アブラムは、神に祝福された日々を過ごしてしましたが、大きな不安を抱えていました。それは、まだ跡継ぎの子どもが与えられていないことです。
その彼に神が再び「あなたへの報いは非常に大きい」(創15:1)と語られたのです。すかさず、アブラムは「主よ、あなたは私に何を下さるのですか。私は子がないままで死のうとしています。」(創15:2)と自分の心の内を神に正直に訴えました。

自分の心配、落胆、不安を正直に言える、というのは彼が毎日神と向き合い、祈る者だったからです。正直に心の内を告げたアブラムを神は外に連れ出し、夜空に輝く星のしたで「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに「あなたの子孫は、このようになる」(創15:5)と約束されたのです。

「アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」(創15:6)

“義”とは、神が正しいと認めることです。それはアブラムの良い行いによるのではなく、神を信じる信仰によってであり、ここに信仰の原点があるのです。

アブラムは【主】を信じましたが、何の根拠もなく信じたのではありません。
今まで自分を導いてきてくださった神の愛と真実、そしてあわれみのゆえに信じることができたのです。また、不可能を可能にされる「まことの神」を信じたのです。

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない」(イザヤ55:11)

牧師コラム 『主に誓う』 6月7日

牧師 高橋勝義

アブラムは、甥のロトと別れた後、アモリ人マムレの樫の木の所に住んでいました。その頃、近隣の王たちが争っており、ソドムに住んでいたロトの家族も戦いに巻き込まれ、東方(イラン南西部)の4人の王たちに、財産ごと連れ去られていったのです。
この知らせを聞いたアブラムは、訓練された者318人を引き連れ、ダンまで追跡し、彼らを打ち破り、すべての財産、そしてロトと家族、その財産を取り戻したのです(創14:9)。アブラムを出迎えたソドムの王は「財産はあなたが取ってください」と告げるのですが、アブラムは「糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない」と【主】の名によって誓ったのです。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』と言われないようにするためでした。さらに、彼は一緒に戦った者たちへの配慮も決して忘れてはいませんでした。(創14:21~24)

アブラムは、自分を生まれ故郷ウルからカナンへと導かれたお方こそが「まことの支配者」であることをわきまえていたのです。
実際に、飢饉でエジプトに避難した時も、そして今住んでいる場所においても、祝福してくださっているのは「いと高き神、天と地を造られた方、【主】」だからです。

ですから、この【主】の名によって誓ったアブラムの信仰は、後のダビデが「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも【主】の家に住まいます。(詩篇23:6)」と告白した信仰と同じなのです。

牧師コラム 『さあ、見上げなさい』 2020年5月31日

牧師 高橋勝義

エジプトで手痛い失敗をしたアブラムでしたが、神はアブラムの家族も甥のロトの家族も祝福してくださり、多くの財産を所有するようになりました。しかし、それぞれの家畜が多くなり、牧者たちの間で水や牧草をめぐって争いがおこったのです。
そこでアブハムは、「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。(創13:9)」と平和的解決策をロトに提案し、ロトにその優先権を与えたのです。

ロトの目には、目前に広がるヨルダンの低地全体が、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っているように見え、彼はこの低地を選び住むことにしました。しかし、そこには道徳的に腐敗したソドムとゴモラの町があったのです。
一方、カナンの地に残ったアブラムに神は「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。(創13:14,15)」と、再び祝福の約束を語られました。そして、彼は祭壇を築き、神に感謝の祈りをささげたのです。

アブラムが甥のロトに選択権を譲ることができたのは、神を信頼していたからです。

聖書は、人の見る目ではなく、神を信じ、信頼する者に対して「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。(箴言3:5,6)」と約束しています。

牧師コラム 『アブラムの策』 2020年5月24日

牧師 高橋勝義

神の約束の地カナンに着いたアブラムたちですが、飢餓が激しくなり、食料を求めて隣国エジプトへ行くことにしました。
ただ、彼はこのことを神に祈らず、自分の考えで行動してしまったのです。
さらに、アブラムは妻サライに「私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっているので、『私の妹』だと言ってくれれば、私たちは生き生き延びられるだろう(創世記12:11~13)」と頼むのです。
神の導きを求めなかった彼の心には恐れと不安が広がっていたからでした。予想どおりファラオ(エジプト王)は美しいサライを宮廷に召し入れ、それによって、彼には多くのものが与えられました。

アブラムの策は、見事に成功したかに見えましたが、神はそれを良しとなさいませんでした。神はサライのことで、ファラオとその宮廷を大きなわざわいで打ち、すべてがバレてしまったのです。
神はアブラムが大きな罪を犯す寸前で止められ、さらにはファラオの心を寛大にして、一歩間違えれば殺されてもしかたのないアブラムを救ってくださったのです。
神は彼の行動を叱責するのではなく、助けてくださいました。
それは、アブラムが神の語りかけに応答し、カランの地を出て、信仰の歩みを始めた故でした。神は彼にご自身の深い愛を示されたのです。
この経験から、アブラムは、神である主を知ることが出来たのです。

「あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)」

牧師コラム 『わたしが示す地に行きなさい』 2020年5月17日

牧師 高橋勝義

アブラムの父テラは息子アブラムとカナンの地を目指して故郷を旅立ちましたが、途中のカランに住み着きました。父テラはこの地で二百五年の生涯を終えます。

このハランで、主はアブラムに現れ「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい(創世記12:1)」と告げたのです。
アブラムは、甥のロトを伴い、【主】が告げられたとおりに父の家を出て行きました。この時、彼は七十五歳です。
聖書は、彼のこの行動を「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました(ヘブル11:8)」と証言しています。その時、神は「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し~(創世記12:2)」との約束も彼にお与えになりました。

このアブラムの旅は神を信じる人の人生そのものです。

まだ見ぬ将来や不安な中にあっても、「あなたを祝福しよう」と語られる神の約束を信じて生きる人生です。アブラムは、自分に現れてくださった主のために、祭壇を築き、神を礼拝し、自分が生きている間には、実現しないことを承知の上で「あなたの子孫にこの地を与える」との約束を信仰をもって受け取ったのです。
私たちも、目には見えなくても確かにおられる神を信じ、励ましと希望をいただきながら人生を歩むのです。

「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」

牧師コラム 『アブラハムの父テラ、故郷を出る』 2020年5月10日

牧師 高橋勝義

ノアの息子セムの歴史は、メシア(イエス・キリスト)につながる一族の歴史です。

セムから数えて8代目となるテラは、『信仰の父』とも言われるアブラム(アブラハム)の父親です。聖書に『あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた』(ヨシュア記24:2)と記されているように、彼らの居住地ウルは、異教の神々への信仰が盛んな地であり、彼もその影響を強く受けていました。
このような状況の中で、神である主はテラにふれられ、彼は息子アブラムとその妻サライ、孫のロトを伴い、カナンの地をめざし、生まれ故郷ウルを出たのです。
しかし旅の途中のハランで、彼は二百五年の生涯を終えます(創世記11:32)。

目的地カナンにはたどり着くことが出来なかったテラですが、異教の神々に長く仕えてきた高齢の彼がすべてを捨てて故郷ウルを出た背景には、「セムの神、主」(創世記9:26)とノアが語ったことを神が覚えておられたからです。
これは、神の一方的なあわれみと恵みによるものです。同様に、神に背を向けて歩んでいる私たちが、神の赦しと愛の中に生きる者とされるのは、キリストが私たちのすべての罪を代りに負って十字架の上で死んでくだったからです。

「あなたがたが救われたのは恵みによるのです」(エペソ2:5)

牧師コラム 『名をあげよう』 2020年5月3日

牧師 高橋勝義

「故郷に錦を飾る」という思いが様々な困難に立ち向かう力になった、と聞くことがあります。何事にも目標を持つことは大切ですが、その動機はさらに重要です。

さて大洪水の後、ノアの子ども達セム・ハム・ヤフェテから全世界の民が分かれ、世界がまだ共通のことばを使っていた時のことです。
人々は「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう(創世記11:4)」と、壮大な目標に向かって動き始めたのです。しかしそれは「われわれが地の全面に散らされるといけないから」という思いからでした。
そこには、神が人を地の全面に住むようにされたみこころへの反抗心、また「名をあげよう」という願いの根底にあるものは、「神がいなくても、自分たちの力をもってすれば何でもできる」と考える高慢心など、罪の本質が見えます。

神である主は、この出来事をご覧になり、互いの話しが通じないように、ことばを混乱させ、天に届く塔の建設ができなくなるようにされました。そして、この町の名はバベルと呼ばれ、これ以後、人々は全世界に散って行ったのです。
キリストの救いが示された今、神は民族や言葉の壁を超えて、再び人々を神の国に集めようとしておられます。それは、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じるすべての人は、神の子とされ、神の民となるからです。