牧師コラム 「らしんばん」 2015年12月20日

IMG_8506  栗原 延元牧師

クリスマスはサンタクロースの誕生を祝う日と思う人がいるようですが、
クリスマスはイエス・キリスト(神の御子)の誕生を祝う日です。

キリストの誕生にまつわる出来事はルカ福音書が詳しく伝えています。
イエスの生まれた町はユダヤのベツレヘムで、今もその町は存在しています。
生まれた年はローマ皇帝アウグストの住民登録の勅令が出た時でクレニオが
シリヤ総督であった時の最初の住民登録でした。
この様な史実をルカは伝えています。

イエスの生まれたその夜ベツレヘム郊外の夜空に突如出現した御使いと
天の軍勢のメッセージと賛美の合唱の歌詞が伝えられています。
御使いのメッセージは

<きょうダビデの町(ベツレヘムはダビデの出身地)で、
あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼葉おけに
寝ておられるみどりごを見つけます。
これがあなたがたのためのしるしです>(ルカ2:11~12)

黄金のゆりかご、錦の産衣ではなく、馬小屋の飼い葉桶に
神の御子イエスは布にくるんで寝かせられたのです。
その誕生を神は喜ばれたのです。
謙遜な心に神は宿るのです。

宮田四郎氏 クリスマスホルンコンサート 2015年12月12日

今年のクリスマス会は、ホルン演奏の宮田四郎さんをお招きして行われました。
前日(11日)、仙台教会の「シャロンの花のつどい」は氷雨の中でもたれましたが、
翌日の石巻は、すっかり晴れ上がり、教会と仮設間の送迎もスムーズに行われて
感謝でした。
このホルンコンサートのチラシを11月23日(祝)に、数名で、教会近隣に配り、
同時に、手書きのコメントを加えた招待ハガキも送られました。
引っ越しされた方も多く、できるだけ、引っ越し先の住所を調べて送ったのですが、
残念ながら何枚も、戻ってきてしまいした。
改めて仮設住宅から新生活に移行されている方が多いことに気づかされました。

当日は、「何人集まってくれるかしら」と不安と期待の入り混じった思いで、
会場を準備していると、早々と数名の方が来られて、慌てて下足番の
用意を始めました。
その中、仮設にお迎えい行った車で、続々とお客さまが到着。
会場はすぐに人でいっぱいになりました。
この日の来場者は、石巻の方73名、仙台教会17名、東京武蔵野教会1人の計91名です。
ホルン奏者の宮田さんは、仙台教会の婦人の集い「シャロンの花のつどい(12月11日)」の演奏を終えられて、石巻会堂下見も兼ねて11日中に奏楽担当の土川姉と司会担当の伊東姉と共に、石巻へ移動されました。宮田氏は、13日(日)には、古川教会のコンサートもお願いしてありました。
連日の演奏にお疲れがでないようにと祈りながら、いよいよコンサートの開始。

宮田さんは、最初に吹き口をつけた長いホースを使ったユーモラスな演奏で、場を和ませてから、本物のホルンに変えて、ベートーベンから始まり、フォスター、アメィジング・グレィス、
オーソレミオなどとを解説や証しを交えながら、ぴったりと息のあった土川姉のピアノ伴奏と
共に演奏が繰り広げられました。
間に栗原牧師が、
聖句「それを聞いた人たちは、みな、羊飼いの話したことに驚いた。」(ルカ2章18節)を
朗読し、クリスマスのお話をしてくださいました。
後半は、日本民謡、クリスマスの歌などが演奏され、最後にホルンに合わせて、
一同で「きよしこの夜」を歌いました。

私は終始、裏方にいましたが、唯一「デンマーク王子の行進」(クラーク)のみ、会場でゆっくり聴きました。今回のプログラムの中で、この曲のみオルガン伴奏です。
少し調子が悪かったため、前夜、石巻在住の調律師Kさんに来ていただき、調律をお願いしたのです。教会の小さな足踏みオルガンが豊かに用いられて、感激でした。

演奏終了後は皆さんが楽しみにしている昼食の時間です。
70人がテーブルを囲んで、オムライスのお弁当を頬張りました。
食事をしながらのテーブルは会話もはずみます。
実は、3週間ほど前に、100人分のお弁当やお茶、デザートを(信仰をもって?)
注文しておきました。数が十分に足りましたので、私たち奉仕者も石巻の皆さんと
共に美味しく頂きました。

食事が終わると、お待ちかねビンゴ大会です。
会場内、一喜一憂の、ひとときとなりました。

そして、名残り惜しいですがお別れの時間。
お帰りになられる際には、全国の各教会や支援者の皆さまから送っていただいた
靴下、手袋、帽子、マフラー、お菓子、
クリスマスのパンフレットや教会案内などを1つ1つ詰めて、
可愛くリボンでラッピングして、カレンダーと共に、祈りながらお渡ししました。

毎回、集会には多くの方々が集ってくださっています。
石巻の皆さんに福音の光が届けられていきますように。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、
平和が、御心にかなう人々にあるように。」ルカ2:14
(栗原督枝)

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牧師コラム 「らしんばん」 2015年12月13日

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「歴史」は英語でヒストリーといいます。
ヒズ・ストーリーを略したことばで、このヒズは大文字で書き表します。
ヒズ、それは「彼」であり、ゴッド(God、神)です。
少々くどい説明になったかと思いますが、
ヒストリーとは、神の物語ということになります。
歴史の中の神の足跡を記したものが一冊の書物として書き留められ、
編集されたのであるとも言えます。

神ご自身が人間の歴史の中に出現したのがイエス・キリストです。
その出現の様子を詳しく書き表しているのがルカの福音書です。
ルカ1章1節から4節に著者ルカはイエスの誕生の次第を「綿密」に調べ
「順序」立てて書き、これが正確な「事実」であることをよくわかっていただくために
書いています。

神は、イエス誕生までは、アブラハム、モーセ、サムエル、ダビデなどの
預言者をとおして語ってきましたが、神ご自身が人となって歴史の中に
現れてくださったのです。
救い主(キリスト)出現の前にキリストの道を備える預言者が現れることが
旧約聖書に前もって預言されており、その事もキリスト誕生前に成就されたことを
ルカは録しているのです。
神は万全の準備をして歴史の中にご自身の直接の一歩をしるしたのです。

 

牧師コラム「らしんばん」 2015年12月6日

IMG_8506  栗原延元牧師

私たちの信仰は、使徒信条に明らかになっています。
この信条は初代キリスト教会から今日まで連綿とクリスチャンによって
告白されて来ました。

その信条の中で最も美しいフレーズは
「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ」であります。
このイエス・キリストの誕生を詳しく伝えているのが
ルカの福音書1章26~38節です。

御使いガブリエルとマリヤとの会話が静かに進行していきます。
まさに会話(単に言葉のやりとり)ではなく対話(相手の心情を思いやり、理解する)が
繰り広げられています。神と人との対話です。

多くの人は、このフレーズの故にキリスト教につまずきます。
処女マリヤからイエスが生まれたなどとは、信じられないと。
しかし、少し立ち止まって考えてみたいのです。
私達はひとりひとりの誕生においてさえ医学は
完全に解明できていないのではないでしょうか。
赤ちゃんが生まれて、すぐにオギャーと泣き声を発します。
そのためには赤ちゃんの肺の中に空気が入っていなければなりません。
その空気は絶妙のタイミングで入るそうです。

<神である主は~その鼻にいのちの息を吹き込まれた>(創2:7)
とあるように、いのちの創造は神のみわざなのです。

牧師コラム 「らしんばん」 2015年11月29日

IMG_8506  栗原延元牧師

今週からクリスマスの待降節(アドベント)に入ります。
いつの頃からキリスト教の暦にアドベントが入ったのかは
定かではないようです(これは私の勉強不足のせいかも知れません)。
ただアドベントは英語のアドベンチャー(冒険)に通じています。
冒険は様々な危険を犯して(世界最高峰の山に登るとか、ヨットで世界一周するとか)
事を成し遂げようとする事です。
命を懸けて事を行うことがアドベンチャーであるとするならば、
今までの歴史の中で最も偉大なアドベンチャーは、イエス・キリストであったと思うのです。

創造者な方が被造物となる。
永遠者が有限な時の制約の中に来る。
栄光の中にある方が、その栄光をかなぐり捨てるのですから、
神の御子イエスが人となることが何と人の想像を絶したことかと思うのです。

<キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました>(ピリピ2:6~7)と。
人としてこの地上に来られたイエスの心情を伝えています。
この歴史を大きく二分したキリスト降誕の出来事が正確な事実であることを
ルカの福音書は伝えているのです。

宮田四郎 クリスマスコンサートのご案内

寒さも厳しくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

ishinomakiXmas2015さて、石巻福音自由教会ではこのたび、ホルン奏者の宮田四郎さんをお招きして、クリスマスコンサートを開催することになりました。宮田さんは東京芸術大学で学ばれ、NHK交響楽団や、東京交響楽団の首席ホルン奏者として活躍なさり、音楽大学等でも教えられた、大変すぐれた演奏家でいらっしゃいます。

普段あまり耳にすることの無い、ホルンの美しい音色とピアノのアンサンブルは、きっと皆様の心に安らぎをお届けできるものと思います。

この機会に、皆様お誘いあわせの上、ぜひお越し下さい。

日時:2015年12月12日(土)開演10:30(開場10:00)
場所:石巻福音自由教会 礼拝堂
石巻市三和町6-3 TEL 0225-25-1705
費用:無料

※ コンサート後、ささやかな茶菓の用意がございます。
※ 小さい子供さんをお連れの方でも音楽を楽しめる母子室があります。
※ 無料駐車場は教会前にございます。

良いことの知らせを伝える人々の足

石巻会堂が完成して、2度目のクリスマスを
迎えようとしています。
この1年間、神様が常に私たちを守ってくださった
ことを覚えて心から感謝しています。

昨年は、12月23日(祝)に、クリスマス会を開き
石巻会堂での初めてのクリマスを105名の方と共に
お祝いすることができました。

今年は、クリスマスには少し早目ですが、
素敵な音楽ゲストを招いてのクリスマスコンサートを
開きます。

そのコンサートチラシ教会近隣にお配りするために、
11月23日(祝)に、仙台教会の11名の兄姉と共に、
石巻に出向きました

当日の仙台は雨模様。雨の中のチラシ配布は、濡れないように
ポスティングをしなければなりませんから、気を使います。

石巻到着時には、強めの雨が降っていましたが、
祈りを捧げて、出発の準備をしていたら、少しづつ晴れ間が
見えてきました。

教会近辺を16地域に分けて1500部を用意。
いつも支援活動に出向く仮設住宅にも配布してきました。

教会ができてまだ1年。チラシ配布を通して、地域の方々に
「教会」の存在を知っていただくことが大切です。

昨年のクリスマス会に来られた方が、現在礼拝に出席されています。
今年も、そんな方がいてくださることを期待しています。

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私は
この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
ルカ2章10節

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牧師コラム 「らしんばん」2015年11月22日

IMG_8506  栗原 延元牧師

今日の聖書箇所は、富める者(お金持ち)が神の国に入るのが
何と難しいものであるかが論じられています。
難しいのではなく、ほとんど不可能であることが、
イエスによって次のように語られています。

<金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい>
(マルコ10章25節)

この言葉は弟子たちに大きな驚きを引き起こします。

<それでは、だれが救われることができるのだろうか>と。
イエスは更に話しを続けます。<それは人にはできないことです>。
人にはできないことを今までもイエスはハッキリ語ってきました。

まず人は<一本の髪の毛すら、白くも黒くもできない>(マタイ5:36)のです。
<自分のいのちを少しでも延ばすことができない>(マタイ6:28)のです。
人は人を救うことができません。どんなにお金を払っても、神の国を買うことはできません。

神の国は、神からの贈りものだからです。
贈りものをお金で買おうとする人には、神の国は絶対に買えないのです。
その人は、神ではなく、お金に依存しているからです。
お金に依存することを止めて(悔い改めて)神に頼ることです。
悔い改めに大きな妨げになるのが富なのです。
お金を神とすることがないように。

牧師コラム 「らしんばん」2015年11月15日

IMG_8506  門谷 信愛希牧師(古川福音自由教会)

「聖書の内容を、原稿用紙3枚でまとめてください」。

今日の聖書の箇所は、まさしくこの問いに対する答えを
くれる箇所と言えるでしょう。
実に多くの事が書いてある聖書ですが、このルカ15章の物語こそ、
聖書が語るメッセージの中心を語っているのです。
それは、「父の家に帰還する子の物語」です。

聖書は、この世界は偶然の産物ではなく、創造者なる神がおられて、
意味と目的を持ってお造りになったと語ります(創世記1:1)。
当たり前のことですが、子は親から産まれます。
では、歴史をずっとさかのぼった最初の親は誰でしょうか。
その方こそ本当の父ではないでしょうか。

ところが人間は、この「本当の父」である神様を捨て、
自分の思う道を歩むようになりました。
聖書が言う「罪」とは、犯罪行為のことと言うよりもむしろ、
この「本当の父を捨てて自分中心に生きる」ということです。
その罪から救い出され、再び本当の父の家に還り、
そして迎え入れられること。それが聖書が言う「救い」なのです。
今日の物語はまさに、そのことを表しているのです。

牧師コラム 「らしんばん」 2015年11月8日

IMG_8506  栗原 延元牧師

ひとりの真面目な青年が道をゆくイエスに走り寄り、ひざまずいて尋ねます。

「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには
何をしたらよいでしょうか。」
(マルコ10:17)

これに対しイエスは彼に「なぜわたしを『尊い』と言うのですか。
尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。」と応答し、
モーセの十戒の後半部分の人間関係の戒めを守るようにと話します。
すると彼は「私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」と
返事をします。

その青年をいつくしんで―原語では「愛して」―
イエスは「あなたには欠けたことが一つあります。」と言われ、
その欠けた一つの事をズバリ指摘して

「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」
(マルコ10:21)と話します。

大変厳しい事を何故にイエスは語ったのでしょうか。
それは、いのちは財産には無いという事と、人は二人の主人に同時に
仕える事は出来ない(神に仕え、同時に富にも仕える)事を分からせるためでした。
いのちの源泉は神にあるのですから。