栗原延元牧師 |
私たちの信仰は、使徒信条に明らかになっています。
この信条は初代キリスト教会から今日まで連綿とクリスチャンによって
告白されて来ました。
その信条の中で最も美しいフレーズは
「主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ」であります。
このイエス・キリストの誕生を詳しく伝えているのが
ルカの福音書1章26~38節です。
御使いガブリエルとマリヤとの会話が静かに進行していきます。
まさに会話(単に言葉のやりとり)ではなく対話(相手の心情を思いやり、理解する)が
繰り広げられています。神と人との対話です。
多くの人は、このフレーズの故にキリスト教につまずきます。
処女マリヤからイエスが生まれたなどとは、信じられないと。
しかし、少し立ち止まって考えてみたいのです。
私達はひとりひとりの誕生においてさえ医学は
完全に解明できていないのではないでしょうか。
赤ちゃんが生まれて、すぐにオギャーと泣き声を発します。
そのためには赤ちゃんの肺の中に空気が入っていなければなりません。
その空気は絶妙のタイミングで入るそうです。
<神である主は~その鼻にいのちの息を吹き込まれた>(創2:7)
とあるように、いのちの創造は神のみわざなのです。