牧師コラム 「らしんばん」 2015年11月8日

IMG_8506  栗原 延元牧師

ひとりの真面目な青年が道をゆくイエスに走り寄り、ひざまずいて尋ねます。

「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには
何をしたらよいでしょうか。」
(マルコ10:17)

これに対しイエスは彼に「なぜわたしを『尊い』と言うのですか。
尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。」と応答し、
モーセの十戒の後半部分の人間関係の戒めを守るようにと話します。
すると彼は「私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」と
返事をします。

その青年をいつくしんで―原語では「愛して」―
イエスは「あなたには欠けたことが一つあります。」と言われ、
その欠けた一つの事をズバリ指摘して

「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」
(マルコ10:21)と話します。

大変厳しい事を何故にイエスは語ったのでしょうか。
それは、いのちは財産には無いという事と、人は二人の主人に同時に
仕える事は出来ない(神に仕え、同時に富にも仕える)事を分からせるためでした。
いのちの源泉は神にあるのですから。